鳥  批評と創造の試み

主として現代日本の文学と思想について呟きます。

天才小説家の裏と表を広汎なる取材と卓抜なる筆致で活写――ジェラルド・クラーク『カポーティ』

 

叶えられなかった祈りより、叶えられた祈りのうえにより多くの涙が流される――聖テレサ[1]

 

 

 

 

トルーマン・カポーティ――叶えられなかった祈り

  

附章 主要参考文献・解題

第Ⅱ節 天才小説家の裏と表を広汎なる取材と卓抜なる筆致で活写――ジェラルド・クラーク『カポーティ

  

 

 

■Gerald Clarke, Capote: A Biography,1988, Linden Pub/ジェラルド・クラーク『カポーティ』中野圭二訳・1999年4月20日文藝春秋

■目次

・全4部、全59章

・「謝辞」(ジェラルド・クラーク)

・「「あとがき」に代えて」(中野圭二)

■6,000円(税抜き)。

■2023年9月22日読了。 

■採点 ★★★☆☆。

 

🖊ここがPOINTS!

① 小説家トルーマン・カポーティの人生は、その前半と後半では余りにも差があり過ぎて、酷いというしかないものだった。

② ジャーナリスト、ジェラルド・クラークはこの天才小説家の裏と表を広汎なる取材と卓抜なる筆致で活写した。

③ 中野圭二の翻訳は、淀みなく流れ、一ヵ所たりとも疑問を挟むところのない、彫琢の訳文であった。

 

目次

第Ⅱ節 天才小説家の裏と表を広汎なる取材と卓抜なる筆致で活写――ジェラルド・クラーク『カポーティ』... 2

1 なんと酷い人生だったことだろう!... 4

2 悪魔との取引... 6

3 広汎なる取材力と卓抜なる筆致... 7

4 中野圭二の素晴らしい訳業... 8

5 詳細過ぎたか... 8

6 引用の典拠がない... 10

7 パリピ・カポーティ... 10

8 そんなにゲイの人は多かったのか... 12

9 数多くの女友達... 12

10 自他未分化?... 13

11 ファッション雑誌と文学... 16

 

 

 

 

1 なんと酷い人生だったことだろう!

他人の人生に関して、いい人生とか、悪い人生とか、あるいは素晴らしいとか、酷いとか、そんなことを軽々に言える訳ないじゃないですか? まさにそれは大きなお世話、ということに尽きます。しかしながら、この大部となる、ジャーナリストであるジェラルド・クラークの手になるトルーマン・カポーティの伝記『カポーティ』を一読して思うことは、なんとまあ、酷い人生であったことだろうか(´;ω;`)、ということです。

ま、そんなことを言ったら、自分の人生だって、他人様に対して、そうそう胸を張れるような人生ではないのですが、それにしてもカポーティの人生は、活躍期と晩年では、余りにも落差があり過ぎて、とても常人にはその急激な落下、これはもう大気圏突入と言ったらいいのか、あるいは、まさに地獄堕ちとでも言ったらいいのか、こんな急落には、きっと耐えられないだろうな、と思います。

本書、第1章でも触れましたが、簡単に言えば、19歳で、「ミリアム」*[2]という短篇小説でO・ヘンリー賞を受賞し、文壇の寵児となり、その後、『遠い声、遠い部屋』*[3]、『ティファニーで朝食を』*[4]でその文業を確かなものとし、ノンフィクション・ノヴェルと銘打った『冷血』*[5]で、そのピークに達しました。その直後に主宰した「白と黒の舞踏会」なるパーティに上流階級、芸能界、文壇、様々な人々を500人も集め、マスコミはじめ一般の人々の注目を集めました。しかし、これを最後に、彼は、酒と薬物に飲まれ、男性の愛人をとっかえひっかえし、奇矯な振る舞いを繰り返し、病院との間も何度も往復し、遂には廃人、つまりは彼一人では日常生活に支障が出るほどとなり、呆気なく死を迎えます。

以下、簡単に箇条書きにするとこうなります。

 

  • 1924年 誕生 0歳
  • 1945年 短篇小説「ミリアム」でデビュー 21歳
  • 1965年 長篇小説『冷血』 41歳
  • 1984年 死去 59歳

 

つまり、滅茶苦茶暴論を言えば、彼の文学的活動期間はたかだか20年でした。その後の20年間は、あるいは死への道をなだらかに辿って行ったとも言えますが、その20年間は苦痛に満ちたそれであったことを考えると、前半の成功に満ちた20年間の喜びと、後半の20年間の苦しみで、差し引きゼロ、というよりも、むしろ、苦しみの方が強く、その落差の苦しみも含めて、カポーティに圧(の)し掛かっていったのではないでしょうか。

 これを酷い人生だと言わずになんと言えばよいのでしょうか。

 

 2 悪魔との取引

わたしは、本書の中で、何度も、カポーティは悪魔と取引をしたのではないか、悪魔に魂を売り渡してしまったのではないか、と書いています。

 短篇小説の名品「誕生日の子どもたち」*[6]の主要人物であるミス・ボビットが、何度も悪魔にお願いをして、自らの望みを実現させている*[7]ように、カポーティも、少なくとも2回は悪魔と取引した気がします。一度は「ミリアム」による文学的成功と、もう一回は『冷血』の完成です。彼はこれらの成功と引き換えに、人間としての命脈を断たれ、20年間苦しみながら、死を迎えることになります。

 悪魔は、と、考えてくれば、彼の命が欲しかった、というよりも、彼がこの世で地獄のような苦しみ、現世で命を長らえながら地獄の業火で肉体を焙られ、恐怖と苦しみの叫びを上げることこそが、目的だったのではと勘繰られてきます。

 確かに、文明がこのように発達しているにも関わらず、むしろ、この世の苦しみが存在し、あるいは倍化し続けるのは、悪魔がそれを望んでいるからなのでしょうか。

 悪魔とは誰あろう、人間の異名であると考えれば、得心もいき、また、この世の地獄も恐らく絶えることもないのであろう、とも思う次第です。

 

 3 広汎なる取材力と卓抜なる筆致

さて、以下、形式、外枠の問題についてお話ししていきましょう。

先にも述べましたように、「天才」の名を恣(ほしいまま)にした小説家、トルーマン・カポーティの作品と人生の裏と表を、広汎なる取材力と卓抜なる筆致で活写しています。ジャーナリストとしての、客観的な視点とともに、クラークは文学にも造詣が深く、この700頁に垂々(なんなん)とする本書を、読者をして飽きさせることのない勁(つよ)い文体で牽引していきます。訳者の中野圭二さんの「あとがき」によれば、「ジェラルド・クラークはタイム誌の上級ライターであり、のちにはタイムの寄稿家として、カヴァー・ストーリーも数多く手がけている。」*[8]とのことです。

 

4 中野圭二の素晴らしい訳業

また、それと同時に中野圭二さんの翻訳の文章が極めてこなれていることも、特筆すべきことかも知れません。その訳文たるや淀みなく流れ、一ヵ所たりとも首を傾げるところはありませんでした。これは稀有なことです。とんでもなく素晴らしいことなのです。どんな名訳者でも、何箇所かは、これはどうなのかと思うことが一再ならずあります。その意味では、まさに彫琢の訳業であると言ってよいでしょう。

中野圭二さんは、慶應義塾大学(後に中京大学)でアメリカ文学の教鞭を取られつつ、数多くのサスペンス小説や、現代アメリカ文学ジョン・アーヴィングティム・オブライエンなどを翻訳された方ですが、惜しむらくも、2012年に永眠されています。本書が、中野さんの最後の翻訳書のようです。中野圭二さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

5 詳細過ぎたか

さて、クラークの叙述に戻ります。

カポーティの複雑にして、奇怪なる人間関係についても、徹底した調査で、細大漏らさず、描写されています。その記述は詳細に渡っています。

逆に詳細過ぎたために、例えば同じ規模の長篇小説であれば、同じような位置関係にある人物たちは、キャラクターの統合が行われて、風通しが良くなるのでしょうが、ノン・フィクションならではの問題点として、当然ではありますが、そのような省略なり、編集なりと言った処置を行えません。したがって、人物の同定が難しくなり、その人間関係の遷移なども、うまく頭に入ってこないきらいがあります。つまり、誰が誰だか分かんなくなってしまうということですね。

その意味では、これ以上本書の頁数を増やすのは困難だったでしょうが、カテゴリー(家族、愛人、友人、知り合いなど)ごとの人物位置関係と、その流れを簡単にでもおさらいしてもらえるとよかったと思うのは、贅沢と言うべきでしょうか。せめて、人物相関図などが附載されていれば、まだましだったかも知れません。ま、自分でやれってことですね。

 

6 引用の典拠がない

また、この種の、一般向け*[9]だと思われる、伝記、評伝の類いの通例(?)として引用元が注記されていません。一般向けだから、無くてもいいや、ということなんでしょうか。本人の言とされているのは、全て、クラークのインタヴューによるのでしょうか。それは、いつの時点ので、どんな状況での発言かで、意味合いやニュアンスが変わってくると思いますが。この点がいかにも残念でした。

それにしても、とてもよく書けていると思います。素晴らしいの一言に尽きます。

 

7 パリピカポーティ

話が前後しますが、内容に戻ります。

カポーティの作品、例えば『遠い声、遠い部屋』、あるいは『ティファニーで朝食を』なんかを読むと、カポーティ本人は相当内向的な、少なくとも、積極的には出しゃばらず、自分からは人を誘ったりしないような印象を持っていました。これはわたし個人の、単なる印象です。それは、幼少期の頃、両親の愛に恵まれなかったことによるのだと勝手に思っていました。しかし、その原因そのものはその通りなんでしょうが、何がどうしてそうなったのか、ちょっと分かりかねますが、本書を読むと、全くの逆でした。

現今「パリピ」、すなわち「パーティ・ピープル」という言葉が流行っている(?)ようですが(流行ってないか?)、まさに、この「パリピ」こそ、トルーマン・カポーティの或る種の本質を捉えたものかも知れません。言うなれば、「お祭り男」ということになるかも知れませんが、彼がいるところに人は集まり、そして笑いが起き、更にはひと騒ぎが起きる、という感じだったようです。実際、後年の彼の芸能人ぶりを考えると、宜(むべ)なるかな、というしかありません。

しかしながら、それというのも、カポーティが一種の「寂しがりやファミリー」の一人だった、というところから来るのかも知れません。とにかく退屈が嫌い、とにかく他人と話をしていたい、というのも幼年期の孤独感の裏返しなのかも知れませんが、それは、ちょっと小説家としては、困るだろうな、あるいは、もしかしたら、性格的には小説家に向いていないな、ということになりかねません。ま、それが、彼の、あの長い20年間の晩年の姿だったということになりますが。

 

8 そんなにゲイの人は多かったのか

また、ちょっと、これも驚いたのは、カポーティがゲイであるのは別に問題はありませんが、彼がとっかえひっかえ(失礼)、ホモ・セクシャルの相手を見つけ出して、どんどんとその相手を変えていった、ということです。恐らく、現代よりは、ゲイであることを明らかにするのは社会的な抵抗が強かったのではないかと思いますが、ゲイであるかどうかって、ご本人たちにはすぐ分かるもんなんですね。というか、そんなにゲイの方ってたくさんいるんですね。ま、もっとも、晩年にカポーティが惚れ込んだ男性たちは、もしかしたら、完全な(?)ゲイではなく、カポーティに説得されて、あるいは経済的な事情から已む無く、そうしていた節がありますが。

 

9 数多くの女友達

ということがありながら、本書では「白鳥たち」と呼ばれている数多くの女性たちとも、恐らくこれは、カポーティにとっては「友情」ということだったかもしれませんが、深いお付き合いがあったようです。中でも、本書を読む限りでは、カポーティの父親アーチが、もしかしたら、息子トルーマンはゲイではなく、ちゃんと女性と結婚するんだと思い込んだ*[10]というリー・ラジウィルの存在が気になるところです。リーは、例の暗殺されたロバート・ケネディと結婚したジャクリーン・ケネディ・オナシスの妹です。彼女は3回結婚した、ということは3人夫がいた訳ですが、或る一時期、カポーティは彼女をいつでも連れて歩いていた*[11]、ということですから、一体どうなっているのだろう、と思います。カポーティは両刀使いで、リーと性関係があったかどうかは、分かりませんが、恐らく、カポーティにとっては、究極のところ、男性とか女性とかという具体的な性の区別など、関係がなかったのではないか、とも思われます。あるいは自分と他人の関係の区別すらも、あるいは曖昧だったかもしれません。

 

10 自他未分化?

ただ、恐らく、そのような彼の態度や言動は、彼と深い関係にあった人々にも理解が難しいものだったかも知れません。

その表れが、晩年、カポーティをして、社交界から追放することになった、いわゆる「ラ・コート・バスク1965」事件、ということになるのでしょう。これは、カポーティの未完の長篇小説『叶えられた祈り』*[12]の1章で、雑誌『エスクァイア』に発表されたものですが、カポーティが知り得た、多くの友人たちの秘密を暴露するもので、事実上、これ以降、彼は社交界から追放されることになってしまいますが、カポーティとしては、全く納得がいかなかったでしょう。何しろ、他人のものは自分のもの、自分のものは他人のもの、ぐらいの感覚だったでしょうから。

カポーティの作品には、――無論、そう思って読むからそうなるのですが、彼自身の運命を予告する、あるいは予言するような作品が散見されます。例えば、「最後のドアを閉めろ」*[13]の冒頭で、年長の女友達(あるいは愛人?)アンナに手厳しく忠告されて、主人公のウォルターは、逆切れをして、アンナの悪口を吹聴して回ります。「あんな女は嘘つきだ」とか言って……。ま、言ってませんけど。それを耳にしたアンナから別れの電話を受け、ウォルターはこう独白します。

 

でもどうして? 僕が何をしたっていうんだ? ああ、確かに君の悪口を言ってまわったさ。でもなにも本気で言ったたわけじゃない。そして結局のところ、ジミー・バーグマン (あれこそまさに裏表だらけのやつだぜ) にも言ったことだが、相手のことを客観性をもって語れないとしたら、友だちであることの意味なんてどこにあるんだ?*[14]

 

つまり、「友だち」であるからこそ、率直に、「客観性をもって」「悪口」が言える、そうでなければ「友だち」じゃない、と、こういうことになります。軽々に小説の登場人物とその作者の心情を同定するのは、あるいは慎むべきなのかも知れませんが、少なくとも、この下りに関しては、後年のカポーティの心情を率直に語っているような気がします。「友だち」だから、これぐらいのことは大丈夫だよね、と。むしろ、そんなことで怒るなんて、もう「友だち」じゃない、とまでは思わなかったかも知れませんが。

つまりは、人間関係も、男女関係も、深いも浅いも、いずれも、泥沼のように(失礼)、ズブズブの関係のようにわたしには感じられました。

ただ、それが、露骨に露呈してきたのは、やはり『冷血』以降、ということになるかと思います。その意味では、『冷血』が、カポーティにとっての、人間としての形、のようなものを吸収して、奪い去っていったということになるのではないでしょうか。

それほどまでに『冷血』の完成度は鉄壁のように高く聳え立ち、その見返りの代償は余りにも大き過ぎた、ということでしょうか。

 

11 ファッション雑誌と文学

以下、些末なことですが気になったことを附記しておきます。

カポーティがデビュー当時、その活躍の場としたのは、女性向けファッション雑誌である『ハーパーズ・バザー』や『マドモアゼル』だったと言います。実はこの当時、カポーティだけに留まらず、「純文学小説」がこの種のファッション雑誌に掲載されていた*[15]ということは面白いですね。

日本で言えば、1980年代に、今は亡き安原顯主導するところの『marie claire』というファッション雑誌が、文学から現代思想に至るまで、時代精神を体現したハイ・カルチャー雑誌だったことが思い出されます。面白いですね。

 

参照文献

カポーティ トルーマン. (1987年/1999年). 『叶えられた祈り』. (川本三郎, 訳) Random House/新潮社.

カポーティトルーマン. (1945年~1995年/2002年/2009年). 『誕生日の子どもたち』. (村上春樹, 編, 村上春樹, 訳) 原書/文藝春秋/文春文庫.

カポーティトルーマン. (1948年/1971年). 『遠い声 遠い部屋』. (河野一郎, 訳) ランダム・ハウス社/新潮文庫.

カポーティトルーマン. (1949年/1994年). 『夜の樹』. (川本三郎, 訳) Random House/新潮文庫.

カポーティトルーマン. (1958年/2008年). 『ティファニーで朝食を』. (村上春樹, 訳) ランダム・ハウス社/新潮社.

カポーティトルーマン. (1966年/2006年). 『冷血』. (佐々田雅子, 訳) Random House/新潮文庫.

カポーティトルーマン. (2023年SUMMER/FALL). 「最後のドアを閉めろ」. 著: 『MONKEY』vol.30 (村上春樹, 訳). Switch Publishing.

クラーク ジェラルド. (1988年/1999年). 『カポーティ』. (中野圭二, 訳) Linden Pub/文藝春秋.

 

 

 

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② 7,567字(19枚) 20230924 1902

 

*[1] [カポーティ , 1987年/1999年]より援引。

*[2] [カポーティ ト. , 『夜の樹』, 1949年/1994年]。

*[3] [カポーティ ト. , 『遠い声 遠い部屋』, 1948年/1971年]。

*[4] [カポーティ ト. , 『ティファニーで朝食を』, 1958年/2008年]。

*[5] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]。

*[6] [カポーティ ト. , 『誕生日の子どもたち』, 1945年~1995年/2002年/2009年]。

*[7] [カポーティ ト. , 『誕生日の子どもたち』, 1945年~1995年/2002年/2009年]p.p.28-29。

*[8] [クラーク , 1988年/1999年]p.675。

*[9] 原著の価格が不明ではありますが、その割にはいかにも値段が張ります。この6,600円という価格設定はどういう意味があるのでしょうか? 因みに同じぐらいの厚さのジョージ・プリンプトンの『トルーマン・カポーティ』は3,850円でしたが。

*[10] [クラーク , 1988年/1999年]p.p.480-481。

*[11] [クラーク , 1988年/1999年]p.466下段。

*[12] [カポーティ , 1987年/1999年]。

*[13] [カポーティ ト. , 「最後のドアを閉めろ」, 2023年SUMMER/FALL]。

*[14] [カポーティ ト. , 「最後のドアを閉めろ」, 2023年SUMMER/FALL]p.139。

*[15] [クラーク , 1988年/1999年]p.99上段。