鳥  批評と創造の試み

主として現代日本の文学と思想について呟きます。

「死の家の記録」――『ダブリナーズ』「エヴリン」を読む

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Eveline

 

謎々『ダブリナーズ』その4

死の家の記録」――『ダブリナーズ』「エヴリン」を読む



【凡例】

・『ダブリナーズ』からの引用は原則として新潮文庫版を使用し、適宜他の訳書も参考にした。また、英語原文はwebサイト『Project Gutenberg(プロジェクト・グーテンベルク)』(Dubliners by James Joyce - Free Ebook (gutenberg.org))によった。

・『新英和中辞典』(研究社・電子版)はwebサイト「weblio」からの引用であり、以下「新英和」と略記し、最終更新日、閲覧日については省略する。一般的な訳語についての語註は「weblio」の見出しから取り、「weblio」と表記する。

・綿貫陽、宮川幸久、須貝猛敏、高松尚弘、マーク・ピーターセン『徹底例解ロイヤル英文法』改定新版・2000年・旺文社からの引用は「ロイヤル」と略記する。

・引用文の傍線(下線)、傍点の類いは何の断りもない場合は引用者によるものである。

 

目次

謎々『ダブリナーズ』その4.. 1

「死の家の記録」――『ダブリナーズ』「エヴリン」を読む... 1

はじめに... 2

1 優れた短篇小説とは?... 2

2 “a ghost story”. 6

3 日々の営みの苦しみ... 7

4 何故ブエノスアイレスなのか?... 12

5 「人形の家」... 13

6 究極の選択... 14

7 母の呪い?... 16

8 結語――「死の家の記録」... 18

参照文献... 18

 

 

 

はじめに

 本稿は、小林広直さん(東洋学園大学准教授)主宰によるon lineの読書会及び公開講義『Deep Dubliners』Deep Dubliners ――ジェイムズ・ジョイス『ダブリナーズ』オンライン読書会 - STEPHENS WORKSHOP (stephens-workshop.com)に際して起こしたメモが元になっています。基本的な内容は読書会の前に書かれたもので、その後修正をしております。

 

1 優れた短篇小説とは?

 言うまでもなく、小説は何をどう書いてもよい文学的形式です。登場人物がいて、何らかのストーリーがあり、それなりの読後感が与えられれば、それでよし、とすべきですが、極端に言えば、人物が登場しなくても、ストーリーがなくても、いわんや、何らかの読後感めいたものが残らなくても、作者が「これは小説なのだ」と言うのであれば、それはやはり小説と遇するべきです。しかしながら、そのような作品は、作者がそれなりの立場にいないと、なかなか受け入れてもらえないでしょう。したがって、或る一定の枠内での文学的技量を競うことになりますが、それが正解だと、言いたい訳ではありません。

その前提の下にいわゆる「優れた短篇小説」とは何か、と言った場合、やはり、キーワードになり得るものが「予想外」とか「想定外」ということにならないでしょうか。

 文学作品ですから、そもそも文章として、「文芸」=文の芸能・文の芸術になっていなければなりませんが、その意味では、その文章の在り方が、読者の「予想」を外れている、超えている必要があります。さらに、予想外なキャラクター、予想外な状況設定、予想外なストーリー展開なども重要なファクターではないでしょうか。

しかしながら、取り分け短篇小説として重要だと思われるのが予想外なストーリー展開、極端な言い方をすれば、それは、いわゆる「落ち」ということになるのでしょうが、言い換えれば、それは結末の付け方、と言ってもよいでしょう。

漢詩の形式に沿って言えば、長篇小説であれば、きちんと「起承転結」と揃っているところが、短篇では「結」を書かずに「転」で終わる、「起承転」という形になるのではないかと思います。これを「小説的切断」*[1]、あるいは単に「切断」と呼ぶことにします。

 さて、本作『ダブリナーズ』*[2]は短篇連作となっていますが、それぞれの作品を一つの、つまり単独の短篇小説として見た場合、いかがでしょうか? 個々の作品については、また個々に論ずることとして、少なくとも、本作”Eveline”/「エヴリン」はいかがでしょうか?

 個人的な感想ですが、最初の印象としては、これはいただけないな、と思っていました。家の束縛というテーマ、そこからの離脱願望、そしてさらに、その挫折という訳ですから、まー、言葉はよくないですが、ありきたりな展開です。とりわけ、結末について言えば、エヴリンが思考停止、行動不可能な状態に陥り、ダブリンを、自らの家を、恐らく離れられない、というオチになるのは容易に想像できてしまいます。これは流石に面白くない。

 『ユリシーズ』*[3]の共訳者でもある丸谷才一さんはあるところで、長篇小説の評価の基準のようなものということで3点挙げていらっしゃいます。それは「①作中人物、②文章、③筋(ストーリー)の三つ」*[4]だそうです。短篇と長篇では、無論、基準も違うでしょうが、本作の評価に多少参考に出来そうです。

 

  • 作中人物……全員、陰鬱で、どうも好感が持てない。とりわけ主人公たるエヴリンの決断力のなさ、優柔不断さが読者の苛立ちを呼ぶかも。
  • 文章……一読した限りでは、極めて平易な文章で、取り立ててどうこういう文章ではない。
  • 筋(ストーリー)……先程、言った通り、よくある話のような気がする。

 

 以上のような次第で、どうも旗色が芳しくないようです。

しかしながら、もう一度考え直してみましょう。

 

2 “a ghost story”

病気で寝込んだエヴリンに、父親は「怪談」(柳瀬訳)*[5]、「幽霊話」*[6](結城訳)を読んで聞かせますが(“he had read her out a ghost story”*[7])、これは何故でしょうか。病人、と言っても病気の重さにもよるのだと思いますが、ことさらに病人を怖がらせる「怪談」などを、何故読んで聞かせたのでしょうか? この当時、アイルランドでは、日常的に気晴らし、退屈しのぎにこの種の話をする習慣でもあったのでしょうか? それとも、特に意味はないのでしょうか?

高松さんや柳瀬さんのように「怪談」と訳してしまうと、いささか子供じみた話になってしまいますが、原文は ”a ghost story“ なので、結城訳のように「幽霊話」とするか、あるいは「幽霊の話」、もう少し突っ込んで「死者の話」と考えれば、要は、父親は病身の娘に「死んだ者たちの話」を聞かせていたのではないかと取れます。

無論、この「幽霊=死者」という等号は、最終章「死者たち」/”The Dead“からの遡行に依るものですが、本章「エヴリン」に限らず、本作『ダブリナーズ』は要所要所において、何らかの形で「死者」の臭いが立ち込めている気がします。つまりは「死臭」が漂う気がするのです。

そもそもエヴリンの置かれている状況とはいかなるものだったのでしょうか?

 

3 日々の営みの苦しみ

母親が亡くなった後、若い娘エヴリン・ヒルは百貨店の店員の安い給金で父親と弟妹たちを支えながら、家事を一手に引き受ける存在です。店員の仕事は給料が安い割には、仕事もきつく、生活は決して楽ではありません。「土曜の夜には、必ずお金のことで口げんかになり、彼女はつくづくうんざりしていた。」*[8]/“Besides(*[9], the invariable(*[10]  squabble(*[11]  for money on Saturday nights had begun to weary(*[12]  her unspeakably .” *[13]とあるように、恐らく週給日の支払日だったと思われる土曜日には親子で口論になったことでしょう。それというのも父親が娘の給料を当てにしているところに起因しているようです。

そもそもそのエヴリンの給与も必ずしも高いものではなかったようです。彼女の(恐らく)週給が「七シリング」*[14]とありますが、仮に1シリング=2000円ぐらいだとすると、週給14,000円ぐらい。月当たりにすると56,000円ほどになります。そう言えば、『ユリシーズ』の第2挿話で代用教員スティーヴンが貰った給与は「3ポンド12シリング」でした*[15]。1ポンド=20シリングですから、72シリングで144,000円。金井嘉彦さん(一橋大学大学院教授)によれば「£1(1ポンド*[16])あると家族で一週間暮らせる額なので」*[17]、スティーヴンはかなりの給与をもらっていることになります。スティーヴンの給与が週給なのか月給なのか分かりませんが(多分月給?)、それと比べると、デパートメント・ストア店員であるエヴリンの給与は相当かつかつなのかなとも思います。つまり、エヴリンは経済的にも相当追い詰められていたのではないでしょうか?*[18] そして店では、他の店員たちからは辛く当たられているようでした*[19]

更には、家庭では父親から、言葉の暴力や、あるいは場合によっては性的な虐待、あるいはその未遂を受けていたかも知れません。本文

コラム tea for one

 

~父親は何を言うようになったのか?~

本文では、父親はエヴリンに性的な要求をしたのではないかとしていますが、この解釈はあくまでも柳瀬訳に基いたものです。原文の“he had begun to threaten her and say what he would do to her only for her dead mother’s sake”を直訳すれば、「彼(父)は、脅すようになり、死んだ母親のために、彼女のためだけに、彼女にしようとしたことを言うようになった」(引用者訳)とか「彼は彼女を脅し始め、死んだ母親のためなら何をしてもいいと言い始めた。」(DeepL訳)、「彼は彼女を脅迫し、死んだ母親のためだけに何をするだろうと言い始めた。」(Google翻訳)という具合に何を言いたいのかよく分かりません。

ここはいささか難所です。念のために、同じ箇所の訳を挙げておきます。「だが、この頃の父は脅すようになった。死んだ母さんの手前さえなけりゃただではすまさんところだ、なんて言うようになった。」(高松訳 [ジョイス , 『ダブリンの市民』, 1914年/1972年/1987年/1999年]p.61)、「でも近頃、父さんはわたしを脅すようになった。母さんが死なないでいてくれたら、目にものを見せてやるのだが、などと言い出した。」(結城訳 [ジョイス , 『ダブリンの市民』, 1914年/2004年]p.64)、「でも最近父親は、死んだ母さんのためを思っていまは勘弁してるんだぞ、などと脅したりした。」(柴田訳 [ジョイス ジ. , 2022年]p.29)。

つまりは、母親に免じて、殴らないでいるんだぞ、というようなことでしょうが、しかしながら、恐らくはその母親も、また他の家族も殴られていたことを考えれば、得心が行きません。何故、年頃の女の子になれば、殴らず、その代わりに、何かを脅し要求する、という文脈で捉えるべきでしょう。ここは柳瀬訳に分があるような気がします。                     📖

にはこうあります。

 

(結婚すれば*[20])母が受けてきたような扱いを受けることはないだろう。十九歳になったいまでも、父が暴力をふるう恐れを感じるときがある。胸がどきどきするのは、その恐れのせいだと気がついていた。子供たちが大きくなると、ハリーやアーネスト(*[21]にするようには、彼女には手をあげることはなくなった。女の子だからだしかし、最近では、彼女を脅すようになり、死んだ母の手前言わなかったことを言うようになってきた。*[22]

She would not be treated as her mother had been. Even now, though she was over nineteen, she sometimes felt herself in danger of her father’s violence. She knew it was that that had given her the palpitations. When they were growing up he had never gone for her like he used to go for Harry and Ernest, because she was a girl; but latterly(*[23] he had begun to threaten*[24] her and say what he would do to her only for her dead mothers sake.*[25]

 

「彼女を脅すようになり」とありますが、一体何を脅すというのでしょうか? 金を出せ、というのであれば、エヴリンは既に「給料を全部――七シリング――差し出し」*[26]ていたのです。さらには「死んだ母の手前言わなかったことを言うようになってきた」とあります。「死んだ母の手前言わなかったこと」とは一体どういうことでしょうか? その直前にある「彼女には手をあげることはなくなった。女の子だからだ。」というところからすると、エヴリンは女の子だから手をあげないが、その代わり、「女の子だから」こその要求をしたということでしょうか。深読みをし過ぎかも知れませんが、これは「性的な」要求をするようになった、ということではないでしょうか。

あれほど、強く、家を出たいとエヴリンが望むのも、その辺りに背景があるのかも知れません。

 

4 何故ブエノスアイレスなのか?

そこに、船乗りのフランクが登場し、エヴリンを誘惑し、結婚まで同意させられることになります。しかしながら、彼が言うには、はるか遠く南米のブエノスアイレスに新居があり、そこで一緒に住もうというのです。ちょっと感覚が分かりませんが、この当時のアイルランドの人達がどのように感じていたのか、明確には述べるのは難しいですが、これは流石に超遠距離なのではないかとも、思います。そもそも、彼は船乗りなのですから(と言っても自称「船乗り」ですが)、ずっとその家で暮らすという訳にはいかないのでしょう。

そもそも、何故、ブエノスアイレスなのでしょうか? 高松訳注には「「ブエノスアイレスへ行く」は、「売春婦になる」という意味でも使われた」*[27]とTerence Brownの註*[28]を紹介していますが、何となくそんな感じも否定できないような気がします。つまりは、ブエノスアイレスか、場所はどうでもよく、適当なところで、エヴリンは売り飛ばされてしまうのではないでしょうか? 仮に売春婦まで行かなくても、恐らく、ブエノスアイレスに行ったエヴリンの人生航路はさほど明るくはないだろうと、容易に予想できる気もします。

 

5 「人形の家」

あるいは、こういうことも言えるかも知れません。フランクはエヴリンのことを「ふざけて(中略)ポペンズと呼んだ。」*[29]/“He used to call her Poppens out of fun.”*[30]とありますが、「ポペンズ」とは一体何でしょうか? 高松訳注には「人形、小さな美女の意か。」*[31]とあり、結城訳ではそのまま「お人形さん」*[32]とあります。これを素直に「可愛い人」と取って間違いではないのでしょうが、例えば、「人形」ということで、容易に想起されるのが、ヘンリック・イプセンの『人形の家』*[33]です。ジョイスイプセンの多大な影響を受け、更には「イプセンの新しい劇」*[34]という評論までものしているほどです。

さて、この場合の「人形」とは、単に「可愛らしい存在」ということではなく、無論、自らの意思を持たない「操り人形」のことです。エヴリンもフランクにとっては、「俺の意志に従うべき、操り人形」のような存在ではなかったでしょうか? あるいは、もっと言えば、エヴリンは、他の人達にとっても、つまり父親や、デパートメント・ストアの同僚たち、もしかしたら、彼女の兄弟妹達にとっても、自身の意志を発揮することのできない「操り人形」だったかも知れません。

 

 

6 究極の選択

となると、エヴリンは、今や死神の様相、つまり、エヴリンの生きる力、意慾を吸い取る存在としての死神の姿を呈している実の父親――だからこそ、彼は「死者の物語」を病の床に臥せる娘に話して聞かせたのです――に絡み取られて、死者(のような者)として、「生きる」(あるいは死ぬ?)のか、南米の最果ての地で「売春婦」として「生き生きとして(?)」「生きる」のか、いずれにしても、エヴリンにとっては、相当辛い選択になるような気もします。

その究極の選択の前に彼女は、まだ物理的には生きているにも関わらず、精神的には、あるいは生命的には、「停止」状態、つまり、生きながら「死者」であることを余儀なくされたのではないでしょうか。

最後のシーンのエヴリンの様子はまさにそれを物語っているようです。

 

彼女は、無力な動物のように、感情なく、蒼白な顔を彼に向けた。その目は彼に、愛のしるしも、分かれを惜しむしるしも、別れを告げるしるしも送らなかった。*[35]

/She set her white face to him, passive, like a helpless animal. Her eyes gave him no sign of love or farewell or recognition. *[36]

 

それは、あたかも、機械が、あるいは人工知能が容量オーヴァーでフリーズ(凍結)してしまったかのようです。言うなれば、死神たる父親の死の霊力が、娘が国外逃亡する、すんでのところで、やっと娘に追いついた、というところでしょうか? 

 

 

7 母の呪い?

エヴリンを最後的に押し留めたものは、あるいは父親の力ではないのかも知れません。それは、「家」の霊力、生きる力を奪い去り、家に縛り付けようとする力のようなものが働いていたのかもしれません。その根幹には「母親」の呪い、呪文があったのではないかと思います。

 

まさにこの夜にそのアリアを聴いて、母との約束を思い出すことになるとは思いもよらなかった。できるかぎりの間は家の面倒をみるという約束を。彼女は、母が病床にあった最後の夜、廊下の向いの締め切った暗い部屋にいた。家の外からイタリアのもの悲しいアリアが聞えてきた。*[37]

Strange that it should come that very night to remind her of the promise to her mother, her promise to keep the home together as long as she could. She remembered the last night of her mother’s illness; she was again in the close dark room at the other side of the hall and outside she heard a melancholy air of Italy.*[38]

 

「母が病床にあった最後の夜」とありますから、この後、母は死者へとなり替わるのです。その死者たる母との約束――この家を守れという約束――を不意にエヴリンは思い出した、というのです。これをして母の呪いと言わずに何と言えばいいでしょうか? 確かに母は「デレヴォーン、セローン! デレヴォーン、セローン!」*[39] /“Derevaun Seraun! Derevaun Seraun!”*[40] と、謎の言葉を呪文さながらに呟いていたではないですか。

 

 

8 結語――「死の家の記録

その意味では、これは「人形の家」ならぬ、「死の家の記録」とでも呼ぶべきものかも知れません。『死の家の記録』*[41]と言えば、かのヒョードルドストエフスキーの、自身の収監中の回想を小説にした名作ですが、その名に反して、登場する囚人たちは極めてユニークで、生きる気力、慾望に満ちています。これはこれで反語的な真実ではあるでしょうが、本作エヴリンにとって、ヒル家という家は、まさに文字通り「死の家」というべきものだったでしょう。つまり、本作の本質は「死の家の記録」というべきではないでしょうか?

 

参照文献

Joice James. (1914年/2001年). Dubliners. 参照先: 『Project Gutenberg(プロジェクト・グーテンベルク)』: https://dev.gutenberg.org/ebooks/2814

Joice James. (1923年/?). Ulysses. 参照先: 『Project Gutenberg(プロジェクト・グーテンベルク)』.

アルチュセール ルイ. (1965年/1994年). 『マルクスのために』. 原著/平凡社ライブラリ―.

イプセン ヘンリック. (1879年/1996年). 『人形の家』. (原千代海, 訳) Gyldendal社、コペンハーゲン岩波文庫.

ジョイス ジェイムズ. (1899年/2012年). 「イプセンの新しい劇」. 著: 吉川信 (編), 『ジェイムズ・ジョイス全評論』. 原著/筑摩書房.

ジョイス ジェイムズ. (1914年/1972年/1987年/1999年). 『ダブリンの市民』. (高松雄一, 訳) グラント・リチャーズ/中央公論社/福武文庫(福武書店)/集英社.

ジョイス ジェイムズ. (1914年/2004年). 『ダブリンの市民』. (結城英雄, 訳) グラント・リチャーズ/岩波文庫.

ジョイス ジェイムズ. (1914年/2009年). 『ダブリナーズ』. (柳瀬尚紀, 訳) グラント・リチャーズ/新潮文庫.

ジョイス ジェイムズ. (1922年/1964年/1996年-97年/2003年). 『ユリシーズ』全4巻(集英社文庫版). (丸谷才一, 永川玲二, 高松雄一, 訳) シェイクスピア&カンパニー書店/河出書房/集英社集英社文庫ヘリテージシリーズ.

ジョイス ジェームズ. (2022年). 「対訳と自注 ジェームズ・ジョイス「エヴリン」をどう訳したか」. 著: 『MONKEY』vol.26. Switchi Publishing.

ドストエフスキー ミハイロヴィッチヒョードル. (1862年/1973年). 『死の家の記録』. (工藤精一郎, 訳) 原著/新潮文庫.

丸谷才一, 湯川豊. (2010年). 『文学のレッスン』. 新潮社.

金井嘉彦. (2022年3月4日). (コメント). 「22Ulyssesージェイムズ・ジョイスユリシーズ』への招待」第3回.

 

 

 

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②10,618字(23枚) 20231103 2042

 

*[1] これは、言うまでもなくルイ・アルチュセールの「認識論的切断」(『マルクスのために』 [アルチュセール , 1965年/1994年])のパクリです。

*[2] [Joice , Dubliners, 1914年/2001年] [ジョイス  ジ. , 『ダブリナーズ』, 1914年/2009年]。

*[3] [Joice , Ulysses, 1923年/?]

*[4] [丸谷 湯川, 2010年]p.46。

*[5] [ジョイス  ジ. , 『ダブリナーズ』, 1914年/2009年]p.62。

*[6] [ジョイス  ジ. , 『ダブリンの市民』, 1914年/2004年]p.66。

*[7] [Joice , Dubliners, 1914年/2001年]。

*[8] [ジョイス  ジ. , 『ダブリナーズ』, 1914年/2009年]p.59。

*[9] 【引用者註】そのうえ。

*[10] 【引用者註】変えられない、変化しない、一定不変の、一定の、常数の(weblio)。

*[11] 【引用者註】(つまらない事での)けんか、口論(weblio)。

*[12] 【引用者註】疲れた、疲労した、(…で)疲れて、退屈な、あきさせる、うんざりする、(…に)あきあきして、うんざりして(weblio)。

*[13] [Joice , Dubliners, 1914年/2001年]。

*[14] [ジョイス  ジ. , 『ダブリナーズ』, 1914年/2009年]p.59。

*[15] [ジョイス  ジ. , 『ユリシーズ』全4巻(集英社文庫版), 1922年/1964年/1996年-97年/2003年]Ⅰ・p.79。

*[16] 【引用者註】。

*[17]  on line読書会『22 ULYSSES』2022年3月4日]でのコメント。

*[18] あるいは、やはり『ユリシーズ』第4挿話でブルームの15歳の娘ミリーの週給が「12シリング6ペンス」とありますが、こんなに差が生じるものでしょうか? あまり実態に沿っていないのか、デパートの店員が安過ぎるのか、あるいは写真館の看板娘の方が高過ぎるのか? どうなんでしょうか?

*[19] 「――ヒルさん、ほら、ご婦人方がお待ちでしょ?」/「ぼさっとしないでよ、ヒルさん。」( [ジョイス  ジ. , 『ダブリナーズ』, 1914年/2009年]p.59)したがって、エヴリンはこう思います。「デパートをやめたところで、涙はあまり流れまい。」( [ジョイス  ジ. , 『ダブリナーズ』, 1914年/2009年]p.59)。

*[20] 【引用者註】。

*[21] 【引用者註】ハリーやアーネストはエヴリンの兄弟。

*[22] [ジョイス  ジ. , 『ダブリナーズ』, 1914年/2009年]p.59。

*[23] 【引用者註】近ごろ、このごろ、最近、後期に、末期に(weblio)。

*[24] 【引用者註】脅す、脅迫する、(…で)脅す、するぞと脅す、(…の)恐れがある、(…し)そうである、(…に)迫っている、脅威を与える(weblio)。

*[25] [Joice , Dubliners, 1914年/2001年]。

*[26] [ジョイス  ジ. , 『ダブリナーズ』, 1914年/2009年]p.59。

*[27] [ジョイス  ジ. , 『ダブリンの市民』, 1914年/2004年]p.62脚注。

*[28] Terence Brown, ed. , Dubliners, Penguin Books,1992。

*[29] [ジョイス  ジ. , 『ダブリナーズ』, 1914年/2009年]p.61。

*[30] [Joice , Dubliners, 1914年/2001年]。

*[31] [ジョイス  ジ. , 『ダブリンの市民』, 1914年/1972年/1987年/1999年]p.63脚注。

*[32] [ジョイス  ジ. , 『ダブリンの市民』, 1914年/2004年]p.65。

*[33] [イプセン , 1879年/1996年]。

*[34] [ジョイス  ジ. , 「イプセンの新しい劇」, 1899年/2012年]。

*[35] [ジョイス  ジ. , 『ダブリナーズ』, 1914年/2009年]p.64。

[36] [Joice , Dubliners, 1914年/2001年]

*[37] [ジョイス  ジ. , 『ダブリナーズ』, 1914年/2009年]p.62。

*[38] [Joice , Dubliners, 1914年/2001年]。

*[39] [ジョイス  ジ. , 『ダブリナーズ』, 1914年/2009年]p.63。

*[40] [Joice , Dubliners, 1914年/2001年]。

*[41] [ドストエフスキー , 1862年/1973年]。