鳥  批評と創造の試み

主として現代日本の文学と思想について呟きます。

豊饒なる「南部」の喪失 トルーマン・カポーティ『真夏の航海』 

◎総特集=トルーマン・カポーティ×村上春樹――カポーティ『遠い声、遠い部屋』新訳刊行に寄せて🐈トルーマン・カポーティ―を読む🐈

  

豊饒なる「南部」の喪失

 

トルーマン・カポーティ『真夏の航海』 

  


  

■Truman Capote, Summer Crossing,2005/トルーマン・カポーティ『真夏の航海』安西水丸訳・2006年9月13日・ランダムハウス講談社

■翻訳・長篇小説。

■目次 

・第1章~第6章

・「訳者あとがき」(安西水丸

・「失われた処女作の軌跡」(アラン・U・シュワルツ〈トルーマン・カポーティ・文学基金理事〉)

■221ページ。

■1,600円(税別)。

■2023年7月12日読了。 

■採点 ★★☆☆☆。

 

🖊ここがPOINTS!

① トルーマン・カポーティの幻の長篇小説『真夏の航海』は文体的に、『遠い声、遠い部屋』等と比べると文体的に著しく劣る。

② 物質文明に咲いた徒花を描いたという意味では、『なんとなく、クリスタル』と相似形をなしている。

③ カポーティの文学的エネルギーの源泉である南部的なものとは違うものを書こうとしたところに、彼の失速の理由がある。

 

 

目次

1 “Summer Crossing”はカポーティの真作なのか?... 3

2 文体の差... 5

3 『真夏の航海』と『遠い声、遠い部屋』の間に何が起きたのか?... 7

4 カポーティの欠点... 8

5 1940年の「なんとなく、クリスタル」?... 9

6 南部もの、北部もの... 11

〈表1 トルーマン・カポーティ作品の南部もの/北部ものの類型〉. 12

7 訳題は『真夏の航海』でよいのか?... 14

参照文献... 15

【Summary】... 17

 

 

 

1 “Summer Crossing”はカポーティの真作なのか?

カポーティの第1長篇小説は、言うまでもなく、1948年に刊行された『遠い声、遠い部屋』*[1]なのだが、それ以前にカポーティが“Summer Crossing”という長篇小説を書いていて、それが散逸したということは広く知られていた。例えば、それはカポーティ本人の「証言」*[2] でも明らかだったのだが、無論カポーティの言葉をどれくらい信じたものか、にわかには断定できない。

彼のエッセイ「雲からの声」*[3]によれば、執筆中であった、この“Summer Crossing” を途中で放棄して、「雲からの声」、つまりは「天からの声」、「神からの声」に従って、『遠い声、遠い部屋』の執筆に切り替えたことが回想されている。無論、しつこいが、それが事実かどうかは、カポーティ本人にしか分からない。 

ところが、その失われたと思われていた、幻の最初の長篇小説が、カポーティの死後、発見されたというのである。その詳細は、本書に収録されている、トルーマン・カポーティ文学基金の理事であるアラン・U・シュワルツの手になる「失われた処女作の軌跡」*[4]に詳しいが、要は、カポーティが若き日に執筆とともに生活をしていたアパートを引き払うときに、ガラクタや紙ゴミなど共に、この原稿も放棄していったというのだ。それが、どういう訳か偶然の賜物で、保管されていて、売りに出された*[5]、というのだが、本当なのだろうか。人の悪い読者や批評家であれば、ここは眉に唾を付けるところである。

あるいはミステリー小説ファンであれば、このプロットから、新たな文芸ミステリーを妄想するかも知れない。つまり、この発見された幻の原稿は、偽作で、一山当てようとした詐欺グループが売れない作家の卵を一人ないし数名雇って執筆に当たらせ、サザビーズ経由で、カポーティ文学基金に、この原稿を高額で買い取るように持ち掛けた。題して『トルーマン・カポーティを追え』*[6]。ま、今なら人工知能に原稿を書かせ、さらにはそれが真作かどうかすらも人工知能が判定するのであろうな、……というような冗談さえ浮かぶぐらいである。つまり、正直に言うと、わたしは、これが本当にカポーティの作品なのか、と今でも半分から3分の1ぐらいは疑っている。

ま、しかし、恐らく専門家たちの手によって、カポーティの真筆だと判定されたのであろうから、カポーティの作品として我々も考えざるを得ない。     

 

2 文体の差

わたしが、この作品の真作性をいささかならず疑うのは、文体の問題である。この作品の次が『遠い声、遠い部屋』である。あの稠密な文体、あるいは持って回ったような表現、事態を正確に読者に伝達するというよりも、かえって事態を隠蔽するかのような比喩*[7]、そういう、言ってみれば大変凝った文体こそが、まずもって『遠い声、遠い部屋』の魅力のコアをなしていることは言うまでもない。

しかし、この『真夏の航海』にあるものは、そういった表現が全くないとは言わないが、有体に言えば、程遠いと言うしかない。雲泥の差、と言ったら言葉が過ぎるであろうか? 子供と大人ぐらいの差は存在する。無論、翻訳の文章の問題もあるかも知れないが、恐らくそれは些細な問題であるような気がする。

例えば、冒頭の表現を比べてみよう。

 

『真夏の航海』冒頭

「あなたってふしぎな子ね」/ルーシーは娘のグレディに言った。グレディは中央に飾られているバラやシダをテーブル越しに見つめ、穏やかな笑みをうかべた。/――そう、わたしってふしぎかも。/グレディはそう思っていることに満足した。*[8]

 

『遠い声、遠い部屋』冒頭

ヌーン・シティへ行こうと思う旅行者は、今のところ何とか自分で方法を講ずるよりほかに手がない。バスも汽車もその方角へは通じていない。*[9]

 

これは、もう一目瞭然というしかない。会話文と地の文の違いはあるにせよ、前者の書き出しは、余りにも無防備に投げ出されている。無論、未定稿なのだから、後で書き直すつもりだったかもしれない。しかし、それにしても、これはどうなんだろうと疑問を抱かせる書き出しである。

したがって、本書は偽作である、とわたしは主張したい訳ではない。同時代や先行作品の影響関係なども分析せねばならないし、やはり、お藏に入っていた初期の短篇小説*[10]をみると、まあ、こんなものかなという気もしてくる。

 

3 『真夏の航海』と『遠い声、遠い部屋』の間に何が起きたのか?

仮に、本書が真筆だとすると、逆に言えば、では、この『真夏の航海』と『遠い声、遠い部屋』の間に、一体何が起きたのであろうか。何が、このようなあたかも別人が書いたかのような作品のレヴェルの差に表れたのであろうか? カポーティ本人の弁によれば、突如、「雲からの声」が聞えてきた*[11]、というのであるが、確かにそうだったのかも知れないが、それでは何も説明したことにならない*[12]

つまり『遠い声、遠い部屋』の魅力、というのか、作品の持つ文学的な力について考えるということは、この「離陸」、あるいは「跳躍」が如何にして生じたのかを考えねばならないのである。ただ、それは、本稿の主題ではない。別稿で論ずることとする。

 

4 カポーティの欠点

後年の作品との関係について、付け足しておくとすると、名作とも言ってよい「最後のドアを閉めろ」*[13]という短篇小説がある。そこでは主人公の男性が金持ちの女性と付き合うが、これは男性から見た視線であった。本作は、この状況を女性の立場から書いたとも言える。しかしながらこの二作品の間には歴然たる違いがある。これは本作と『遠い声、遠い部屋』との関係と相似形をなしている。要するに、カポーティは自分のことを、自分の立場からしか書けないのである。本作が粗筋をなぞったような印象を残すのも、女性の主人公グレディが、読者にとって納得のいかない迷走ぶりをするのも、そこに原因があったのかも知れない。

それとは別の問題として、カポーティは得てして、長篇小説の結末を付けられない、という悪癖を持っている。その意味では、これもそうかも知れない。本作は中絶しているが、あるいは結末をどうつけたらいいのか、迷い、その挙句、放り出したとも考えられる。グレディは「最愛」の男性と結ばれるが、或る時期を過ぎると、呆気なく幼馴染の男性への愛情を感じ、恐らく、二人は性関係に至る。その後、トラブルに巻き込まれたこれらの三人は、グレディの運転する自動車で暴走し、死を予感させるところで途絶えている。結局、これは何だ、と言いたくなる。

 

5 1940年の「なんとなく、クリスタル」?

さて、この作品を単体で考えた場合、どういうことになるか。個人的な印象ではあるが、これは1940年代の『なんとなく、クリスタル』*[14]なのだ。『なんとなく、クリスタル』は、後に政治家に転身した田中康夫による、文藝賞を受賞した中篇小説である。1980年代のバブル経済に溢れる東京の飲食店や風俗などに1つ1つに註*[15]を入れて、大学生でありつつ、プロフェッショナルのファッション・モデルをしている若い女性の生活と意見(考え方)を描いて話題を呼んだ。また、当時、文藝賞の選考委員をしていた江藤淳が激賞したことでも知られている。要は裕福さの象徴として、註の形、すなわち、記号化されてしまっている世界の中で、最後的に、その主人公が確かなものとするのが、本命の彼氏との愛情であり、なおかつ、その生活のあちこちに見出される「なんとなく、クリスタル」なものである。その意味では、新奇さに身を纏った古風な心情を、江藤は評価したのであろうか*[16]

この「なんとなく、クリスタル」なものを、例えば『ティファニーで朝食を』の主人公ホリー・ゴライトリーであれば、「ティファニー」的な何かを持ってくるであろう*[17]。本作の主人公グレディはそのようなものを発見できていないが、それを懸命に探そうとはしている。

 結局のところ、国も違い、時代も違うが、人は、裕福な生活に満足できず、それらの物質的豊かさの上に、あるいはそれらの中に宿る非物質的な「クリスタル」なもの、「ティファニー」的なものを求めてしまうのであろう。

 

 6 南部もの、北部もの

 翻訳家の柴田元幸は、村上春樹へのインタビューの中で、カポーティの作品は「大雑把に北部もの、南部ものと分けられる」と述べている*[18]。興味深い指摘だ。

本来、カポーティは彼の出自であるアメリカ南部に、その創造的淵源、エネルギーの源泉を持っていた。それは、あるいは物質的には貧困かも知れないが、混乱に満ちた豊饒さを持っていた。『遠い声、遠い部屋』を始めとして、数々の短篇小説にそれらが現れている。

 

〈表1 トルーマン・カポーティ作品の南部もの/北部ものの類型〉

 

南部もの

北部もの

1940年代

「ここから世界が始まる」所収の短篇小説

 

1940年代

 

『真夏の航海』

1945年

 

「ミリアム」

1948年

『遠い声、遠い部屋』

 

1949年

「夜の樹」

 

1949年

 

「夢を売る女」

1949年

 

「最後のドアを閉めろ」

1949年

 

「無頭の鷹」

1949年

「誕生日の子どもたち」

 

1949年

「銀の壜」

 

1949年

「ぼくにだって言いぶんがある」

 

1950年

「花盛りの家」

 

1950年

「ダイアモンドのギター」

 

1951年

『草の竪琴』

 

1956年

「クリスマスの思い出」

 

1958年

 

ティファニーで朝食を

1966年

『冷血』

 

1968年

「感謝祭のお客」

 

1980年

 

『カメレオンのための音楽』

1983年

「あるクリスマス」

 

1986年

 

『叶えられた祈り』

 

 ところが、大都市ニュー・ヨークでの経験を経たカポーティは、その物質的、経済的豊かさの上に構築された砂上の楼閣のようなもの、その幻影を書こうとした。あるいはそこにカポーティ自身の、或る種の誤解があったのかも知れない。

 大都市の生活に慣れ親しみ、セレブリティたちと親交を深め、彼らとのナイト・ライフに勤しみ、半芸能人のような日々を送るカポーティが次第に書けなくなっていったのは、必然的な理と言うべきなのか。

 

7 訳題は『真夏の航海』でよいのか?

最後に、訳題の問題である。“Summer Crossing” は、確かに本文中に「夏の航海」の意味で使われている*[19]が、それはグレディの両親によるヨーロッパへの船舶旅行の意味で使われている。主人公のグレディは、この夏の航海には同道していない。その夏の間、ほぼずっとニュー・ヨーク周辺にいる。彼女が繰り広げる様々な人々との邂逅や衝突を「航海」と取れなくはないが、原文の“cross”が元々持っている意味が損なわれる。“cross”と言えば、まずは「十字架」であり、「十字を切る」ことであろう。グレディが最後に死を思うに至り、「神」的な何かに近接しているのであれば、ここは「夏の十字架」なのだが、直截的過ぎるのと、動詞の意味がなくなるので、「夏の十字路」でどうだろうか。「十字路」とすることで、人々が行きかう様を連想させるし、また運命の選択に迫られている様も容易に頭に浮かぶ。当然そこで人は「神」のこと、「神」的な何かに想いを致すであろう。

“summer”を「真夏」とするのは語感の問題だろうが、ここは単に「夏」でよいと思う。真夏だけの話ではないし、読者に誤解を与えないのであれば、そのまま訳すべきではないか。

 

参照文献

CapoteTruman. (1951/1993). The Grass Harp and A Tree of Night and Other Stories. Random House/Vintage International.

The Grass harp. (2023年March月26日). 参照先: Wikipedia, the free encyclopedia: https://en.wikipedia.org/wiki/The_Grass_Harp#cite_note-Rudisill,_Marie_2000_page_86-6

カポーティトルーマン. (2015年/2019年/2022年). 『ここから世界が始まる――トルーマン・カポーティ初期短篇集』. (エバーショフデヴィッド, 編, 小川高義, 訳) ランダムハウス社/新潮社/新潮文庫.

カポーティトルーマン . (1951年/1971年). 『草の竪琴』. (小林薫, 訳) ランダムハウス/新潮社.

カポーティトルーマン. (1945年~1995年/2002年/2009年). 『誕生日の子どもたち』. (村上春樹, 編, 村上春樹, 訳) 原書/文藝春秋/文春文庫.

カポーティトルーマン. (1948年/1971年). 『遠い声 遠い部屋』. (河野一郎, 訳) ランダム・ハウス社/新潮文庫.

カポーティトルーマン. (1949年/1994年). 『夜の樹』. (川本三郎, 訳) Random House/新潮文庫.

カポーティトルーマン. (1951年~1973年/2006年). 「雲からの声」. 著: 『犬は吠えるⅠ――ローカル・カラー/観察記録』 (小田島雄志, 訳). 原著/ハヤカワepi文庫(早川書房).

カポーティトルーマン. (1956年/1990年). 『クリスマスの思い出』. (村上春樹, 訳) 原著/文藝春秋.

カポーティトルーマン. (1958年/2008年). 『ティファニーで朝食を』. (村上春樹, 訳) ランダム・ハウス社/新潮社.

カポーティトルーマン. (1982年/1989年). 『あるクリスマス』. (村上春樹, 訳) 原著/文藝春秋.

カポーティトルーマン. (1985年/1988年). 『おじいさんの思い出』. (村上春樹, 訳) 原著/文藝春秋.

カポーティトルーマン. (2006年/2006年). 『真夏の航海』. (安西水丸, 訳) Random House/ランダムハウス講談社.

カポーティトルーマン. (2023年SUMMER/FALL). 「最後のドアを閉めろ」. 著: 『MONKEY』vol.30 (村上春樹, 訳). Switch Publishing.

グリシャムジョン. (2017年/2020年). 『「グレート・ギャツビー」を追え』. (村上春樹, 訳) Doubleday (US)、Hodder & Stoughton (US)/中央公論新社.

シュワルツUアラン. (2006年/2006年). 「失われた処女作の軌跡」. 著: カポーティトルーマン, 『真夏の航海』 (ランダムハウス講談社編集部, 訳). Random House/ランダムハウス講談社.

加藤典洋. (1982年/1985年). 「アメリカの影――高度成長下の文学」. 著: 『早稲田文学』1982年8月、9月、11月号/『アメリカの影』. 早稲田文学会/河出書房新社.

村上春樹. (2023年summer/hall). 「カポーティ・ショック」. 著: 『MONKEY』vol.30. Switch Publishing.

村上春樹, 柴田元幸. (2023年summer/fall). 「村上春樹インタビュー――カポーティは僕にとってとても大事な作家――『遠い声、遠い部屋』と「最後のドアを閉めろ」」. 著: 『MONKEY』vol.30. Switch Publishing.

田中康夫. (1981年). 『なんとなく、クリスタル』. 河出書房新社.

 

 

 

【Summary】

◎General Feature = Truman Capote x Haruki Murakami -- On the Occasion of the Publication of a New Translation of Capote's Other Voices, Other Rooms

🐈Reading Truman Capote🐈.

 

Loss of the fertile "South"

 

Truman Capote, Summer Crossing

 

 

Truman Capote, Summer Crossing, 2005 / Truman Capote, Summer Crossing , translated by Mizumaru Anzai, September 13, 2006, Random House Kodansha.

■Table of Contents 

・Chapters 1-6

・“Translator's Afterword”by Mizumaru Anzai

“In the Tracks of a Lost First Novel" by Alan U. Schwartz [Director, Truman Capote Literary Foundation].

■221 pages.

■1,600 yen (tax not included).

■Read July 12, 2023.

■Grading ★★☆☆☆.

 

🖊Here are the POINTS!

(i) Truman Capote's visionary long novel Summer Crossing is stylistically significantly inferior to Other  Voices, Other Rooms and others in terms of style.

(ii)  It is analogous to Somehow, Crystal in the sense that it depicts an idle flower blooming in material civilization.

(ⅲ) The reason for Capote's stall lies in his attempt to write something different from the Southern sources of his literary energy.

 

■Table of Contents

1  Is “Summer Crossing" Capote's True Work?

2  Differences in Style

3  What Happened Between Summer Crossing and Other Voices, Other Rooms ?   

4  Capote's shortcomings

5  Somehow, Crystal in 1940?

6  Southern and Northern

Table 1: Southern/Northern Types of Truman Capote's Works

7 Should the translation be titled The Midsummer's Voyage  ?       

References

(DeepLの機械翻訳に筆者が手を加えた)

 

 

🐤

第3稿 9,133字(23枚) 20230720 1140

第2稿 5,990字(15枚) 20230719 1311

第1稿 5,869字(15枚) 20230718 1312

 

*[1] [カポーティ ト. , 『遠い声 遠い部屋』, 1948年/1971年]

*[2] [カポーティ ト. , 「雲からの声」, 1951年~1973年/2006年]

*[3] [カポーティ ト. , 「雲からの声」, 1951年~1973年/2006年]p.20。

*[4] [シュワルツ, 2006年/2006年]

*[5] [シュワルツ, 2006年/2006年]p.216。

*[6] 無論、これはジョン・グリシャムの『「グレート・ギャツビー」を追え』 [グリシャム, 2017年/2020年]のパクリであるが。

*[7] 言うまでもないが、否定しているのではなく、そこに価値を認めているのだ。

*[8] [カポーティ ト. , 『真夏の航海』, 2006年/2006年]p.9。

*[9] [カポーティ ト. , 『遠い声 遠い部屋』, 1948年/1971年]p.5。

*[10] [カポーティトルーマン, 2015年/2019年/2022年]。

*[11] [カポーティ ト. , 「雲からの声」, 1951年~1973年/2006年]p.22。

*[12] 作家本人がこれを説明する必要はないし、またすべきではないと、少なくともわたしはそう考えている。

*[13] [カポーティ ト. , 「最後のドアを閉めろ」, 2023年SUMMER/FALL]、 [カポーティ ト. , 『夜の樹』, 1949年/1994年]

*[14] [田中, 1981年]

*[15] 見開きで、右に小説の本文、左に註を入れるという、画期的な(?)ペイジ・レイアウトであった。

*[16] 話は逸れるが、同じような若者の風俗を描いた、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』を、江藤は評価しなかった。この問題は実は奥が深いのだが、これを詳細に論じたのが、加藤典洋の「アメリカの影――高度成長下の文学」 [加藤, 1982年/1985年]である。

*[17] ホリー・ゴライトリーは不安感に襲われたとき、どうするか、という質問にこう答える。「(前略)これまで試した中でいちばん効果があったのは、タクシーをつかまえてティファニーに行くことだったな。そうするととたんに気分がすっとしちゃうんだ。その店内の静けさと、つんとすましたところがいいのよ。そこではそんなにひどいことは起こるまいってわかるの。隙のないスーツを着た親切な男の人たちや、美しい銀製品やら、アリゲーターの財布の匂いの中にいればね。(以下略)」( [カポーティ, 『ティファニーで朝食を』, 1958年/2008年]p.52)。

*[18] [村上 柴田, 「村上春樹インタビュー――カポーティは僕にとってとても大事な作家――『遠い声、遠い部屋』と「最後のドアを閉めろ」」, 2023年summer/fall]p.155。

*[19] [カポーティ ト. , 『真夏の航海』, 2006年/2006年]p.33。