トルーマン・カポーティ略年譜【暫定版】 |
*本年譜はジョージ・プリンプトン『トルーマン・カポーティ』(1997年/野中郁子訳・1999年・新潮社)付載のものを元として、各種資料を加味して編集したものである。より詳細な年譜を目標としているので、表記の統一も含めて、順次編集を加えていく予定である。 |
西暦 |
月日 |
年齢 |
人生 |
雑誌等掲載 |
単行本 |
演劇・映画・テレ‐ヴィジョン等 |
1924年 |
9月30日 |
0歳 |
トルーマン・ストレクファス・パースンズ、ルイジアナ州ニューオーリンズにリリー・メイ・パースンズ(旧姓フォーク)とアーチ・パースンズの子として生まれる。 |
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1925年 |
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1歳 |
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1926年 |
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2歳 |
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1927年 |
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3歳 |
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1928年 |
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4歳 |
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1929年 |
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5歳 |
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1930年 |
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6歳 |
母リリー・メイの保護者であり、いとこにあたるジェニー・フォークに引きとられる。アラバマ州モンローヴィルで、ジェニー、姉のスック、妹のコーリー、長兄バッドとともに暮らす。 |
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1931年 |
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7歳 |
リリー・メイはニューヨークに転居し、ジェセフ・ガーシーア・カポーティと知りあう。リリー・メイ、アーチ・パーソンズと離婚。 |
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1932年 |
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8歳 |
リリー・メイ、ジョゼフ・カポーティと結婚。「ニーナ」と名のるようになる。 |
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1933年 |
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9歳 |
トルーマン、ニューヨークの母のもとに移り、トリニティ・スクールの4年生に編入する。トリニティ・スクールは当時、高監督教会派の男子校で、マンハッタンのアッパーウェストサイドにあった。 |
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1934年 |
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10歳 |
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1935年 |
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11歳 |
母リリー・メイがトルーマンの養育権を得る。ジョゼフ・カポーティはトルーマンを養子にして、「トルーマン・ガーシーア・カポーティ」と名づける。 |
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1936年 |
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12歳 |
全寮制の男子校、セント・ジョンズ・ミリタリー・アカデミーに転校。 |
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1937年 |
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13歳 |
トリニティ・スクールに復帰する。 |
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1938年 |
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14歳 |
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1939年 |
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15歳 |
カポーティー家はコネチカット州グリニッチに転居。トルーマンはグリニッチ高校で国語教師キャサリン・ウッドの指導を受ける。 |
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1940年 |
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16歳 |
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1941年 |
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17歳 |
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1942年 |
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18歳 |
カポーティー家はニューヨークに戻る。トルーマンはト リニティ高校に戻るが、すぐに私立フランクリン高等学校の最上級学年をやりなおしたのち、同校を卒業。アッパーウェストサイドにあったフランクリン高等学校は現在では廃校になっている。 |
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在学中から雑誌 『ニューヨーカー』 のコピー・ボーイとして勤務しはじめる。 |
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1943年 |
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19歳 |
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1944年 |
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20歳 |
ハロルド・ロスにより『ニューヨーカー』 を解雇される。 原因はヴァーモントで開催されたプレッド・ローフ作家会議でのロバート・フロストをめぐるトラブルだった。南部であちこちの親戚を転々としながら、小説「真夏の航海」にとりくむが、末完に終わる。 |
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1945年 |
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21歳 |
二ューオーリンズに部屋を借りて、「遠い声、遠い部屋」の執筆にとりかかる。 年内には二ューヨークへ戻る。 |
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『マドモアゼル』1945年6月号に「ミリアム」が掲載され、1946年にオー・ヘンリー賞を受賞。 |
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1946年 |
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22歳 |
ニューヨーク州サラトガ・スプリングスの芸術家村ヤドーに参加し、ニュートン・アーヴィンと知りあう。 |
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1947年 |
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23歳 |
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1948年 |
1月 |
24歳 |
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第1長篇小説『遠い声、遠い部屋』がランダムハウスより出版される。 |
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秋、ジャック・ダンフィーと出会う。 |
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1949年 |
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25歳 |
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第1短篇小説集『夜の樹』が出版される。 |
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2月 |
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ジャックとともにヨーロッパに向けて出発し、12 月まで滞在する。 |
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1950年 |
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26歳 |
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紀行文・エッセイ集『ローカル・カラー』が出版される。 |
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ジャックとともにヨーロッパへ戻り、シチリア島のタオルミナに居を構える。 |
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短篇小説「わが家は花ざかり」の最初の章/Botteghe Oscure |
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1951年 |
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短篇小説「わが家は花ざかり」/Harper's Bazaar |
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8月 |
27歳 |
ジャックとともにシチリア島より戻る。 |
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9月 |
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第1中篇小説『草の竪琴』が出版される。 |
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1952年 |
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28歳 |
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セイント・サバーのプロデュースによるミュージカル『草の竪琴』(脚本担当)がブロードウェイのマーティン・べック劇場で開幕する。 |
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4月 |
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ジャックとともにヨーロッパへ戻る。 |
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ジョン・ヒューストン監督の映画『悪魔をやっつけろ』のシナリオにとりかかる。 |
1953年 |
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29歳 |
母ニーナが致死量のセコナール(睡眠剤)を服用する。 |
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映画『終着駅』(台詞担当)。 |
1954年 |
1月4日 |
30歳 |
母ニーナ死去。トルーマンはニューヨークに戻る。 |
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『悪魔をやっつけろ』(脚本担当)が封切られる。 |
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ミュージカル『わが家は花ざかり』(脚本担当)がブロードウェイのアルヴィン劇場で開幕する。 |
1955年 |
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31歳 |
ジャマイカのラウンド・ヒルにあるウィリアム(ビル)・S・ペイリー夫妻(妻はべイブ) の自宅で夫妻に紹介される。 |
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義父ジョー・カポーティが文書偽造と重窃盜で有罪となり、シンシン刑務所に服役する。 (1956年5月14日に釈放。) |
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1956年 |
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32歳 |
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トルーマンが『ポーギーとべス』の出演者とともにソヴィエトを旅したときの紀行『詩神の声聞こゆ』が、はじめ2回に分けて『ニュ一ヨーカー』 に連載される。 |
紀行文『詩神の声聞こゆ』ハードカバーとしてランダムハウスより出版される。 |
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短篇小説"Carmen Therezinha Solbiati – So Chic"/Vogue。 |
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短篇小説『クリスマスの思い出』 |
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1957年 |
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33歳 |
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マーロン・ブランドのインタヴュー記事 「お山の大将」 が『ニューヨーカー』に掲載される。 |
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1958年 |
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34歳 |
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第2中篇小説『ティファニーで朝食を』が出版される。 |
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1959年 |
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35歳 |
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トルーマンが文章を寄せたリチャード・アヴェドンの写真集『観察記録』が出版される。 |
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11月16日 |
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トルーマン、11月16日付の『ニュ一ヨーク・タイムズ』を読んでカンザス州ホルカムのクラター一家殺人事件のことを知り、「冷血」の調査を始める。 |
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1960年 |
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36歳 |
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へンリー・ジェイムズの小説『ねじの回転』の映画用シナリオを手がける。映画のタイトルは『イノセント』(邦題は『回転』)で、ジャック・クレイトンが監督し、デボラ・カー、マイケル・レッドグレイプが出演した。 |
1961年 |
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37歳 |
スイスのヴェルビエにコンドミ二アムを購入する。 |
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1962年 |
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38歳 |
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1963年 |
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39歳 |
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選集『トルーマン・カボーティ作品集』が出版される。 |
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1964年 |
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40歳 |
ニューヨーク州ロングアイランドのサガポナックに家を買う。ついで隣家をジャックのために購入する。 |
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1965年 |
4月14日 |
41歳 |
クラター一家殺人事件で有罪判決を受けた殺人犯、ぺリー・スミスとディック・ヒコックが絞首刑に処せられる。 トルーマンは死刑執行に立ち会う。 |
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9月25日 |
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『冷血』 が『ニューヨーカー』に連載される。 |
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10月2、9、16日 |
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『冷血』 が『ニューヨーカー』に連載される。 |
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1966年 |
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42歳 |
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第2長篇小説『冷血』のハードカバー版がランダムハウスより出版される。 |
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11月 |
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トルーマンはプラザ・ホテルで黒と白の舞踏会を開催する。 |
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ニューヨークー番街49丁目のUNプラザに、2寝室のアパートを購入。 |
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1967年 |
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43歳 |
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映画『冷血』(原作担当)が封切られる。監督はリチャード・プルックス。 |
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テレ‐ヴィジョン映画『クリスマスの思い出』(脚本担当)/ABCテレビ。最優秀脚本エミー賞受賞。 |
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トルーマンはリー・ ラジウィルを女優として売りこむ。 はじめシカゴのアイヴァンホー劇場での『フィラデルフィア物語』、 続いてABCテレビ製作の『ローラ』のリメイク版への出演を世話する。 |
1968年 |
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44歳 |
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短篇小説『感謝祭のお客』が出版される。 |
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テレ‐ヴィジョン映画『ローラ』(脚本担当)。 |
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カリフォル二ア州パームスプリングスに家を買う。 |
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初めてテレ‐ヴィジョン 『トゥナイト・ショウ』に出演し、ジョニー・カーソンと対談する。 |
1969年 |
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45歳 |
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1970年 |
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46歳 |
「エアコン修理人」に出会う。 |
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1971年 |
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47歳 |
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『華麗なるギャッビー』 のシナリオを書くが、パラマウントは最終的にこれを不採用とした。 |
1972年 |
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48歳 |
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雑誌『ローリング・ストーン』の依頼で、ピーター・ビアード、 ヤン・ウェナーとともにローリング・ストーンズの北米ツアーを取材する。 |
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1973年 |
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49歳 |
ジョン・オーシェイと知りあう。 |
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エッセイ選集『犬は吠える』 |
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1974年 |
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50歳 |
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1975年 |
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51歳 |
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未完の小説『叶えられた祈り』の第1稿、「モハーベ砂漠」が『エスクァイア』に掲載される。続いて「ラ・コート・バスク、1965」も掲載。 |
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1976年 |
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52歳 |
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ニール・サイモン脚本の映画『名探偵登場』に、ライオネル・トウェイン役で出演する。 |
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『叶えられた祈り』のその他の章、「まだ汚れていない怪獣」と「ケイト・マクロード」が『エスクァイア』に掲載される。 |
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1977年 |
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53歳 |
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1978年 |
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54歳 |
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1979年 |
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55歳 |
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1980年 |
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56歳 |
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短篇小説・エッセイ・ノンフィクション集『カメレオンのための音楽』が出版される。 |
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1981年 |
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57歳 |
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1982年 |
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58歳 |
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1983年 |
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59歳 |
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短篇小説『あるクリスマス』 |
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1984年 |
8月25日 |
59歳 |
ジョアン・カーソンの自宅で息を引きとる。享年59歳。 |
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1986年 |
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第3小説『叶えられた祈り』(未完) |
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1987年 |
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オムニバス A Capote Reader |
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1992年 |
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ジャック・ダンフィー死去。 |
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1994年 |
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トルーマン・カポーティ文学基金が設立される。 |
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2002年 |
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短篇エッセイ『高台の家』 |
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2004年 |
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短篇小説20編の選集 The Complete Stories of Truman Capote |
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2004年 |
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ジェラルド・クラーク編・カポーティの手紙集 Too Brief a Treat: The Letters of Truman Capote(未邦訳) |
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2006年 |
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未刊行長篇小説『真夏の航海』 |
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2015年 |
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未刊行短篇小説集『ここから世界が始まる――トルーマン・カポーティ初期短篇集』 |
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🐥 |
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①3,935字(10枚) 20230924 1718 |
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