鳥  批評と創造の試み

主として現代日本の文学と思想について呟きます。

神の不在の重石として――『冷血』

 

トルーマン・カポーティ――叶えられなかった祈り

  

第2章 その作品

第Ⅹ節 

神の不在の重石として――『冷血』

  【未定稿】

 

🖊ここがPOINTS!

① トルーマン・カポーティ『冷血』は、事実には基いてはいるが、架空のジャーナリストの視線で書かれたことを装った、あくまでも「ノヴェル」である。

② 被害者、加害者を問わず、この事件で亡くなった人々の様々な苦しみは、「神の不在」を痛恨の思いで問いかける重石になっている。

③ カポーティの文業の本筋は『冷血』のようなノンフィクション風の作品にではなく、『遠い声、遠い部屋』のような、あくまでも純粋な小説作品にある。

 

 

 【凡例】

① 引用は原則として新潮文庫現行版の佐々田訳を使用します。

② 更に、旧新潮文庫版・龍口訳、及び原文は2012年刊行のPENGUIN BOOKS版を元にして検討します。

③ 引用文における下線(傍線)、強調などは断りがない限り、引用者が付したものです。

 

■Truman Capote, In Cold Blood,1965,The New Yorker/1966, Random House/2006,PENGUIN BOOKS/トルーマン・カポーティ『冷血』龍(たつの)口(くち)直太郎訳・1967年・新潮社/1978年9月26日・新潮文庫/佐々田雅子訳・2005年・新潮社/2006年7月1日・新潮文庫

■翻訳・長篇小説。

■目次(佐々田訳・新潮文庫) 

・謝辞

・Ⅰ 生きた彼らを最後に見たもの

・Ⅱ 身元不詳の加害者

・Ⅲ 解答

・Ⅳ 〝コーナー〟

・訳者あとがき

■623ページ。

■895円(税別)。

■2023年8月12日読了。 

■採点 ★★★☆☆。

 

 

【目次】

1 梗概... 3

2 「ノン-フィクション・ノヴェル」とは何か?... 5

3 一級のミステリー作品... 9

4 「精神異常者」による犯罪だったのか?... 24

5 単なる偶然の連鎖なのか?... 32

6 何故、カポーティはこの事件に心惹かれたのか?... 34

8 何が運命を分けたのか?... 37

9 鸚鵡... 41

10 イエスの肖像画... 48

11 神の不在への重石、あるいは墓碑銘... 51

附記 その① 訳題は『冷血』でよいのか?... 55

附記 その② 佐々田訳はこれでよいのか?... 57

結語 文学作品としての『冷血』の意味... 66

【主要参考文献】... 69

【Summary】... 71

 

 

はじめに

例の如く言い訳から始めていいですか?( ´∀` ) 

本稿は未定稿です。結論が駄目なことと、全体の推敲が為されていないのは分かっているですが、話が進まないので、一旦アップし、後程、元気があれば修正します。

いやー、それにしても今年の夏は暑かったですね。うちはクーラーがないので( ´∀` )、まじで死ぬかと思いましたが、なんとか生き残っています。有難いことです。

さて、本稿は、単なる素人が、単なる読書感想文を書き継いでいるものの一端です。素人と言っても、偶々研究者ではないという意味で、玄人はだしの在野の「研究者」の方もいらっしゃいますが、わたしはマジで素人です。何にも知りません。アメリカ文学史もさっぱり分かっていません。英語も読めている振りをしているだけで、全く読めません( ´∀` )。単に個人的な思い出として書き残しているだけなので、無視していただいて結構です。

昨年は偶々『ユリシーズ』の読書会に引っかかって(?)、『ユリシーズ』関連の駄文を2本、草しました。本当は書き書けのものがもう一本あるのですが、力尽きてお藏に入っています。『ユリシーズ』の読書会、というか公開講義ですが、とても勉強になりました。

今年は偶々、村上春樹さん訳のカポーティ『誕生日の子どもたち』を読んで、たかだか10歳の少女、ミス・ボビットの、この前向きな絶望、というか前向きな虚無というのは一体なんだろう、一体全体、こんな小説を、これまた、たかだか20歳にも満たない青年が書いたというのは一体、何があったのであろう、という疑惑、というか疑問に囚われて、更に偶々、また村上さんの手になる新訳『遠い声、遠い部屋』が刊行される、ということで、カポーティの作品をぽつぽつと読み始めて、感想の一端を雑文の形で残すことにした訳です。

ま、せっかくなので、カポーティの作品についてのコメントと、彼の人生と時代についても、他人の著作のパクリにはなりますが、簡略にまとめて一冊のコピー文書の束にしたいと思います。本にするお金がないので、コピーしたものを、木工用ボンドで綴じたいと考えています。題して『トルーマン・カポーティ――叶えられなかった祈り』となります。

と言っても、必ずしもカポーティがとても好きだという訳ではありません。さっきも申し上げたように、とても大きな謎があるので、まー、なんとか自分なりに理会したいと思い、読んだり、書いたりしているだけに過ぎません。

本当は「悪」の問題や「苦しみ」の問題、あるいは「機械の倫理性」の問題、更には「偶然性」の問題を考えねばならないのですが、全く進みません。そのうちにお迎えが来るはずですが、それまでに、なんとか、死神を少しでも追い払うべく頑張りたい、と思います。

 

この後、『夜の樹』の感想文を仕上げます。そして、順に『ティファニー』、『遠い声』と書き継いでいく予定です。

まー、なんと言っても単なる感想文なので、気楽に行きます。そこんとこ夜露死苦

2023年9月3日

🐤鳥の事務所

 

 

 

1 梗概

 まず、本作の内容を簡単に振り返ってみましょう。

1959年11月16日深夜、アメリカはカンザス州西部、ホルカム村で農場主クラッター一家4人が何者かによって殺害されるという事件がありました。クラッター氏は喉もとをナイフで切り裂かれた上に頭部を猟銃で撃たれていました。他の3人の家族、妻と娘と息子らも頭部を撃たれていました。この殺害の仕方だと、普通に考えれば、怨恨を原因と考えるのが一般的だと思います。実際それを裏付けるかのように、少額の現金などを除いて、その他の盗品はなさそうでした。

 ところが問題だったのは、クラッター家の人々は、近隣の人は元より、彼らを知るものの恨みを買うようなことが全くなかったのです。では、何故、クラッター家の人々は殺害されたのか?

物語は、事件前の被害者の日常生活、ホルカム村の人たちのことが詳細に描かれます。そして、事件が起きます。ついで、この事件の捜査に従事するカンザス州捜査本部のアル・デューイ捜査官たちの執拗な捜査の成り行き、そして、犯人であるディック・ヒコックとペリー・スミスの、過去の人生と、有体に言えば、出鱈目とも言うべきその後の足取りも描かれます。

 そして、様々な偶然の成り行きから、二人は逮捕され、裁判で争われますが、弁護団の様々な努力も甲斐なく、最終的にはディックとペリーは絞首刑台の露と消えていきます。

 ストーリーとしてはこんな感じです。因みに、本書には以下のことは全くと言っていいほど書かれてはいませんが、背景的なこと*[1]を少しお話ししておきましょう。

このニュース記事の初報*[2]を偶々見た小説家のトルーマン・カポーティは何やら興味を惹かれ、幼馴染であった、『アラバマ物語』*[3]の原作者で知られるハーパー・リーとともにこの事件の調査を始めます。 彼らは現場に赴き、ホルカム村の住民たちと懇意になり、徹底的に話を聴き出していきます。さらには、事件の1か月後、2人の犯人ディック・ヒコックとペリー・スミスが逮捕されると、彼らとも親密な関係となり、手紙のやり取りや、面接などを通じて、彼らの過去と事件に関わる行動を組み立てていきます。

 

2 「ノン-フィクション・ノヴェル」とは何か?

 まず、文体が明らかに違いますね。『遠い声、遠い部屋』*[4]、あるいは『ティファニーで朝食を』*[5]の、持って回ったような、読者をして夢の世界に誘うような「小説」の文体ではなく、当然と言えば、当然なのですが、新聞や週刊誌などの「ニュース報道」、というよりも「調査報道」の文体*[6]、――「作者」、というか「書き手」、「語り手」の存在を消去するような、客観的な文体で、あるいは「客観を装った」文体で叙述が進みます*[7]。1ヵ所のみ、それも、物語が大分押し迫ったところで、カポーティ本人を思わせる人物が登場しますが、それも小説家として、ではなくて、「ジャーナリスト」*[8]という形で登場します。それまで頑なに自身の登場を本作に書き込むことを避けていた「語り手」が、何故ここだけ、そういう形にしても、それを書き込んだのか、これについては検討の余地があると思いますが、ここでは、自身を「ジャーナリスト」としてとして表象した、ということに意味があるのだと思います。つまり、本作品『冷血』は小説家・カポーティによって書かれた「ノン‐フィクション」ではなくて、或る架空のジャーナリストによって書かれた「ノン‐フィクション」の体裁で書かれた「ノヴェル」なのではないでしょうか?

したがって、この文章は、一貫して「ジャーナリズム」の文章、あるいは、架空の「ジャーナリスト」によって書かれた調査報道の文体を模して書かれているのです。

 だからこその「ノンフィクション・ノヴェル」なのです。「ノンフィクション・ノヴェル」とはカポーティ自身による創案、造語らしい*[9]のですが、そもそも、これは形容矛盾というべきです。「ノヴェル」の定義をどう取るかにもよりますが、仮にその本質を「虚構」とするなら、「非-虚構である虚構」ということになります。おかしいですね。ま、揚げ足をとっても仕方がないのですが、カポーティが言いたかったのは、事実に即した上で、それを小説の形式と内容と主題を持つように編集を加えて再構成したもの*[10]、というぐらいの意味合いだったのでしょうか。

 例えば、最終の場面で、デューイ捜査官が墓参りをして、被害者のナンシーの親友スーザンと再会するシーンは、「語り手」による虚構だ*[11]そうです。個人的な感想では、この場面は不要だとは思いますが*[12]、何らかの形で結末(らしき場面)を付加する必要があると、「語り手」は考えたのでしょうか。このような、些細な事実の改変は枚挙に暇がないほどだとは思います。無論、事実の骨格となる大筋の部分では、当然事実そのままだったとは思いますが、繰り返しになりますが、あくまでもこれは「ノヴェル」、「小説」なのです。「ノン‐フィクション」の形式を取った、あるいはそれを装った「ノヴェル」なのです。

 つまり、カポーティは必ずしも、この「事実」を正確に伝えたい、と思った訳ではなく、この「事実」とされていることの中に、彼が伝えなければならない何か(somehting)があると考えたのではないでしょうか。

したがって、事実かどうか、ということは一次的には関係ない、ということになります。

しかしながら、正直に言って、これは本当にカポーティが書いたのか、彼にこんな作品が書けるのか、と訝(いぶか)しまれるほど、少なくとも形式面では一つの欠点も見当たらない、と言えば、大袈裟かも知れませんが、とにかく素晴らしい、としか言いようのない作品です。まずもって現行の文庫で617頁になんなんとするこの大分の物語を全く叙述に緩みを感じさせない構成力と集中力で維持し続けた、ということにも驚きますが、そもそも、事件発生の1959年から本書発表の1965年まで6年かかっていますが、準備、調査に3年、実際の執筆に3年かかったということです*[13]。調査の資料は6,000頁にも及んだと言います*[14]。ま、無論カポーティのことですから、本当かどうかは分かりませんが、いずれにしても、それに値するぐらいの労力は掛けられたと言ってもよいでしょう。

 

 3 一級のミステリー作品

 さて、そろそろ、本題に入ることにしましょうか。

 本作『冷血』を通して、カポーティは何を読者に伝えたかったのか? あるいは、作者の意図を越えて、あるいは、作者の意図とは別に、本作は一体、何を意味しているのか? という問題です。

 先行する作品、これは小説に限らず、映画やテレ‐ヴィジョンやラジオなどのドラマを含みますが、それらや同時代の作品などの影響関係などが、今一つわたしには分かってないのが困った問題ですが、単純に読むとこれは一級の推理小説、探偵小説といったミステリー作品として読むことができると思います。あるいは、その劇的構成を考えると、映画やテレ‐ヴィジョン・ドラマにもうってつけの作品だとも言えます。実際に複数の映画*[15]やテレ‐ヴィジョン・ドラマ*[16]にもなっています。本来であれば、それらについても別途検討する必要がありますが、一旦別稿に譲ります。

いささか横道に逸れますが、この作品の末尾に近い箇所で、ディックとペリーと同様に、死刑判決を受け、刑の執行を待っているローウェル・リー・アンドルーズという若い男が登場します。彼は何の理由もなく実の父と母と姉を拳銃とライフルで射殺するのですが、その直前にドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読み終えています*[17]。言うまでもなく、『カラマーゾフの兄弟』は父殺しが題材になっていて、言ってみれば、推理小説の傑作として読むことができるものです。無論、読み進むに従って、あるいは何度も反復して読むことで、単にストーリーや題材の面白さに留まることのない、人間の業の問題や、運命の問題や、あるいは神の問題にまで、読者を誘います。ドストエフスキーの時代には、いわゆる「純文学」とか「大衆小説」とかいった区別などなかったでしょうから、まずは読者に手に取ってもらい、買ってもらい、そして読んでもらう、ということがとても大切なことだったと思います。『カラマーゾフ』に限らず、ドストエフスキーの作品、『罪と罰』にせよ『悪霊』にせよ、そういう側面が濃厚でした。それと本作『冷血』は方向性が似ているのではないでしょうか。

ペイジ・ターナーという言葉があるそうですが、頁(ペイジ)を捲る(ターンする)手を休ませない書き手、その作品、まさにそれです。この600頁を越える長篇作品を以てして、読者の手を止めさせることなく、ぐいぐいと作品世界に引っ張り込んで、読ませてしまう、というのは、作者(? 書き手? 語り手?)が、過剰な修飾をすることなく、余計な能書きを述べることなく、一見事実だけを詳細に叙述する、事実を以て語らしめる、というところにあるのではないでしょうか。

その意味では、言葉はよくないかも知れませんが、一級のエンタテインメントの一冊として愉しみのひとときを過ごせればそれでいいのかもしれません。

 

4 何故、一家、皆殺しをしたのか?

しかし、本作に描かれているような、厳しい、というか残酷なと言うべきなのか、このような現実(のようなもの)を前にしたわたしたちは、何事かを感じ、何事かを考えてしまいます。

何故、彼らは何の罪もない一家を皆殺しにしたのだろうか、と。

本作を読む限りではありますが、一言で言えば、それは、「偶然」としか言いようのないことでした*[18]。かつて、クラッター家の農場で働いていたフロイド・ウェルズという男が、犯人の一人・ディックに、クラッター家は金持ちで、金庫の中に金があると言わなければ、あるいは、そこに若い娘が一人いる、ということを言わなければ、別の被害者が発生した危険性はありますが、少なくともクラッター家は襲われることも、殺害されることもなかったでしょう。

そもそも、彼らは金目当てだった訳ですから、金がない、金庫など存在しないと分かった段階で、早々に撤退すべきだったのですが、彼らは何故か、そうはしませんでした。証人を存在させない、という意味で、元々、彼らは、現場にいた人間を一人残らず殺す予定だったのですが、それは、あくまでも大金との引き換えで、という話だったでしょう。彼らが手に入れたのは、家族の財布からかき集めた40~50ドルと、双眼鏡とポータブル・ラジオぐらいだったのですから。全く割りに合わない話です。

また、犯人の一人ペリーは元々殺す気はなかった、とも言っています。事実は不明ですが。それが、何故、このような悲劇に結びついたのか? 

ディックは、世間一般の常識からすると、逸脱した性癖を持つ男でした。彼は女好きでしたが、それに留まらず、小児性愛、いわゆるロリータ・コンプレックスを持つ男だったのでした。彼の最初の妻は16歳でした。犯行後の逃亡中にも、性的目的で少女(思春期の女の子)に近づいて、ペリーにみとがめられる箇所があります。彼はそのような行いを「この数年間で〝八回か九回〟やってきたことだった」*[19]と言います。逆にペリーは「〝性的に自分を抑制できない人間は尊敬できない〟」*[20]人物でした。

それがどうしたというのでしょうか。それが何の問題になるのか。いや、なるのです。

ここが、或る意味では、人間の謎、というか不可解な部分の最たるものかもしれませんし、まさにこうであるからこそ、人間なのだとも、あるいは生物だと言える気がするのですが、どういうことかと言うと、ディックがクラッター家を狙ったのは、金だけではなかったというのです。そこに若い女性、というよりも少女がいたからなのです。つまり、ディックはナンシーを強姦しようとしてクラッター家に狙いを着けていたのです。そのことは事前にはペリーに話していませんでした。後にディックは精神科医に対して、報告書を書いています。

 

クラッター事件で今まで話さなかったことが一つある。わたしはあの家にいく前から、娘がいるということを知っていた。あそこにいったおもな理由は、強盗を働くことではなく、その娘を強姦することだったと思う。というのは、振り返ってみれば、そのことばかりを考えていたからだ一度、引き返そうとして、そうしなかった理由の一つはそれだ。金庫がないとわかったときもそうだった。わたしはあそこにいたとき、クラッターの娘に何度かちょっかいをかけた。ところがペリーにことごとくチャンスをつぶされた。*[21]

 

というのです。開いた口が塞がらない、と簡単に言えますが、全く人間の心を迷わせるのは、物慾でも、金慾でもなく、性慾なのではないでしょうか。性慾に心を囚われたものは、全く他のことが見えなく

なってしまうのでしょう。自身の人生や、家族の破滅や、他者を殺すことすら厭わなくなってしまいます。恐るべきことです。しかし、これがなければ人間とは言えない、というか、生命体としての維持ができなくなりますから、ここが難しいところです。

さて、逮捕されたペリーの側から言うとこうなります。取り調べ中の発言です。

 

それから、ナンシーの部屋へ向かって廊下を歩いてく途中、あいつがいうんです。『おれはあの子をやってやるぜ』で、おれはいってやりました。『そうか。だったら、おれを先に殺さなきゃならないぞ』あいつは聞いたことが信じられないって顔をして、こういいました。『何を気にしてんだよ? なあ、あんただってやっていいんだぜ』それこそ、おれが軽蔑してるものです。自分を性的に抑制できない人間っていうのが。ほんと、おれはそういうことに我慢ならないんです。で、はっきりいってやりました。『あの子は放っておけ。でないと、丸鋸(まるのこ)持ちだして喧嘩(けんか)しなけりゃならなくなるぞ』それであいつはほんとにかっとなりました。だけど、今は派手な立ちまわりなんかやってる場合じゃないと気づいたらしくて。で、こういうんです。『わかったよ。あんたがそういう気なら』*[22]

 

ここで、彼らは険悪な雰囲気になります。つまり、この段階でペリーはディックに対して腹を立てていたことが、次の行動の導火線へと火を着けることになります。もし、そうでなければ、あるいは一家は殺されずに済んだかも知れないのです。彼は取り調べの中で、縛り上げたクラッター氏に話しかけた内容を述べています。

 

(前略)朝までそう長くはないし、 朝になったら、 誰かがあんたがたに気づいてくれるだろう。そうなったら、おれのこともディックのことも何もかも、夢だったみたいな気がするだろうって。おれはけっしていいかげんなこといってたわけじゃないんですよ。あの人(*[23]に手出ししたくはなかったんです。立派な紳士だと思ったし。ものいいの穏やかな。あの人の喉(のど)を掻っ切る瞬間までそう思ってました。*[24]

 

本当かどうかは勿論わたしたちには分かりませんが、ペリーは殺害の意思はなかった、と言っています、殺す直前までは。では、何故、このような悲劇が起きたのでしょうか。取り調べの続きです。

 

「そのあと、ええと、 二人にテープを貼ったあと、 おれとディックは隅のほうにいったんです。相談するために。いいですか、ほら、おれたち、険悪な雲行きになってたから。そのとき、おれは胸がむかむかしてたんです。自分があんなやつに感心して、あんなはったりを真に受けてたかと思うと。で、いったんです。『どうした、ディック。気がとがめるのか?』って。あいつは答えませんでした。おれはいってやりました。『あいつらを生かしといたら簡単には済まないぞ。少なくとも、十年はくらいこむ』あいつはそれでも黙ってました。まだナイフを持ったままで。*[25]

 

結局、先程迄威勢のいいことを言っておきながら、どうもディックはびびっているようだ、どうしてこんな奴に感心していたんだろう、ってペリーは腹が立っている訳ですね。そこで、ペリーは切れてしまうのです。先程の引用のすぐ次です。

 

おれがそれ(*[26]をくれというと、素直によこしました。で、おれはいったんです。『よし、 ディック。やるぞ』だけど、本気じゃなかったんです。あいつにやれるもんならやってみろと迫って、徹底的に突きつめて、自分が偽者(にせもの)で臆(おく)病者(びょうもの)だってことを認めさせようってつもりだったんです。そう、あれはおれとディックの間の問題だったんです。*[27]

 

つまり、ペリーは、その直前までクラッター氏を「本気」で殺す気はなかった、しかし、この期に及んでディックが「本気」を出していない、あるいは「本気」を持っていないことが露呈したので、ディックを「徹底的に突きつめて、自分(つまり、ディック)が偽者(にせもの)で臆(おく)病者(びょうもの)だってことを認めさせよう」と思った、というのです。だからこそ、「あれ(殺すか殺さないか、あるいはあの殺人事件)はおれとディックの間の問題だった」のだ、ということになりますが、ま、確かに言っていることは分かりますが、子どもの言い分に近いですね。そんなことで殺されたクラッター家の人々が浮かばれません。ま、しかし、ペリーはそう思ったのでしょう。殺す気はなかった、あるいは殺す、殺さないは問題ではなくて、自らの男気を、勇気を見せつけてやる、ということにこそ意味があった、というのでしょう。引用続きます。

 

おれはクラッターさんのそばに膝をつきました。そのときの膝の痛みで――おれはあの一ドルのことを思いだしたんです。一ドル銀貨のことを。あの恥ずかしさもう居たたまれなかったな。おれはカンザスへは二度と戻るなといわれてたのに。*[28]

 

「あの一ドル」とは何か、というと、この少し前に、ナンシーの部屋で財布を見つけ、そこに入っていた1ドル硬貨を落としてしまったため、跪いて拾わねばならなかったことをペリーは思い出しているのです*[29]。彼はそこで、とても「うんざり」した気持ち(“I was just disgusted.”*[30] 龍口訳では「ほんとに胸くそが悪くなった」*[31]となっています)に陥るのです。ペリーにとっては、このことが合図になってしまいました。彼は無意識のうちに(恐らく)、クラッター氏の喉元をナイフで切り裂きます。

 

だけど、あの音(*[32]が聞こえるまで、自分か何をしているのかわからなかったんです。誰かが溺(おぼ)れてるような声がして。水の中で叫ぶような声が(*[33]。おれはディックにナイフを渡して、こういいました。『片づけちまえよ。すっきりするぞ』ディックはそうしようとした――あるいは、しようとするふりをしたんです。だけど、あの人(*[34]は十人分の力を振るって――ロープから半分抜けだし、両手は自由になってました。ディックはあわてふためいて、その場から逃げだそうとしました。だけど、おれがそうはさせなかった。どっちみち、あの人は死ぬだろう。おれにはそれがわかってました。だけど、そのまま放っておくわけにはいかなかった。おれはディックに懐中電灯を持って、しっかり照らせっていいました。それから、銃の狙(ねら)いを定めて(*[35]。部屋が爆発したみたいだったな。あたりが真っ青になって。と思ったら、ぱっと燃えあがって。いや、二十マイル四方で、誰もあの音を聞かなかったなんて、おれには信じられない」*[36]

 

以上のように、ペリーはクラッター氏を射殺(止めを刺す?)すると、あとは、大した違いはなかったのかも知れません。長男を射殺すると、あとの2人の殺害をディックに任せたことになっています。

 繰り返しになりますが、幾つかの偶然の連鎖によって、ペリーはナイフを振るうことになりましたが、少なくともペリーの供述を信用すると、ビビっているディックに対して男気を見せようとしたところ、たかだか1ドル硬貨を拾おうとして膝まづいて、探している自分を思い出し、何やかにうんざりしてナイフを振るったことになります。つまり、「うんざり」した気持ちが殺害への引き金を引いたことになりますが、話としては分かりますが、追い込まれた人間がどのような振る舞いに陥るかということは、まさにそのような状況に、自らが追い込まれないと、あるいは理会することは難しいのかも知れません。しかし、普通の感覚で言えば、「うんざり」というのが適切かどうかわかりませんが、今風に言えば「むかついた」、それも被害者に対してではなく、自分や、自分の置かれている状況に対して「むかついた」ので、その場にいた未知の人間を殺しました、というのは、その間、気持ちと行動の間の距離が相当広がっていて、かなりのジャンプ力が必要とされるはずですが、ペリーはあたかも「どこでもドア」の扉を開けるかのように、瞬時にその距離を跳び越えていきます。普通は、これを「おかしい」と言います。

 確かに、彼の供述を読むと、いわゆる「離人症」、自分の行っていることを、別の自分が冷静に見ている、そういう症状がみられます。

 

自分が自分の外にいるみたいに感じたのは。何かいかれた映画に出てる自分を眺めてるみたいだったな。*[37]

 

自分が現実の一部じゃないみたいな気がして。むしろ、小説でも読んでいるような感じだったな。*[38]

 

実際どうだったのかはわたしたちには分かりません。ただ、彼の行動は確かに、どこかが違うと思わされる何かが存在したようです。

 

 4 「精神異常者」による犯罪だったのか?

さて、法廷での審理に入って、当然のことながら、彼、あるいは彼らは何らかの精神の「異常」、あるいは「障害」によって、この犯行をなしたのであり、従って、彼らは法的責任を取ることができないが故に無罪になるような気がしますが、事はそう簡単ではありませんでした。

この当時アラバマ州では、精神の障害の有無に関わらぬ形での判決が下せる「マクノートン・ルール」を採用していて、実はこれは英米の大半で支持されているものでした。むしろ例外である「ダラム・ルール」を採用している州の方が圧倒的に少なかったのです。したがって、彼ら二人の弁護団は、この二人が、少なくとも事件当時、精神に「異常」を来していて、法的責任を取ることが困難であったことを証明するだけではなく、このマクノートン・ルールが人道的にも誤謬であるとの見地から、覆す必要があったのです。

二人の被疑者の精神鑑定を行ったジョーンズ医師の鑑定を指示した、司法精神医学界の長老とされているジョセフ・サテン博士は、ペリー・スミスをして、自身の共著論文「明白な動機なき殺人――人格解体の研究」*[39]の中で述べられた殺人者のタイプであると述べました*[40]。題名をそのまま受け取れば、明白は動機が存在しない殺人事件は、犯人の人格の解体による、ということでしょうか。

彼ら、サテン氏を始めとする共同論文執筆者たちは、「すぐには動機の見当たらない殺人で有罪判決を受けた四人の男の診察を行」*[41]い、更に分析を行いました。彼らはこの論文で次のように述べていると「語り手」は言及しています。引用文中の(α)と(β)は便宜上、引用者が付加しました。

 

「(前略)殺人者が一見、合理的で首尾一貫し、抑制がきいているようでありながら、(α)その行為が奇怪で無意味としか思えないような場合には、難問を呈することになる。(中略)概して、このような個人は、(β)原始的な暴力の表出を可能ならしめる著しい自制の喪失に陥りやすい。それは、今は意識にのぼらないが、以前に外傷を受けた経験から生じるものである」*[42] 

 

さて、(α)「その行為が奇怪で無意味としか思えないような場合」とは一体どういうことを指しているのでしょうか。本作の「語り手」はサテン氏らの見解を敷衍(ふえん)するかたちで、こう述べます。

 

そして、あまりよく知らない被害者を、なぜ殺したのかについては、犯人自身が当惑している、と記している。それぞれの事例において、犯人は夢のような解離性トランスに陥り、それから覚めると、自分が被害者を攻撃しているのに〝突然気づいた〟というのだ。*[43] 

 

これは、先にも引用したように、ペリーに訪れた「症状」と同一性を示しているように思えます。

 

自分が自分の外にいるみたいに感じたのは。何かいかれた映画に出てる自分を眺めてるみたいだったな。*[44]

 

自分が現実の一部じゃないみたいな気がして。むしろ、小説でも読んでいるような感じだったな。*[45]

 

次に、(β)「原始的な暴力の表出を可能ならしめる著しい自制の喪失に陥りやすい。それは、今は意識にのぼらないが、以前に外傷を受けた経験から生じるものである」ですが、つまり、自分では暴力を抑えることができないのは、何故か。何故か、というよりも、何が起因となってそのような現象が生じるのか、ということですが、「以前に外傷を受けた経験から生じる」と述べられています。これは単にけがをしたとか、事故に遭った、ということもあるのでしょうが、この4人には或る共通点があったというのです。

 

「(前略)また、生い立ちを調べてみると、四人すべてが幼少時代に両親から過激な暴力を振るわれた経験を持っている……一人は『振り向くたびに、鞭で打たれた』と述べている……別の一人は、行儀の〝悪さ〟をしつけるためと称して、また、吃音(きつおん)や〝ひきつけ〟を〝なおす〟ため、激しく殴打(おうだ)された……過激な暴力というのは、それが空想されたものであれ、現実に観察されたものであれ、子どもが実際に体験したものであれ、精神分析の一つの仮説に符合する。その仮説とは、子どもがそれを克服する能力を身につける前に、圧倒的な刺激にさらされるのは、自我の形成における初期の欠陥や、衝動の抑制における後期の深刻な障害と密に関係する、というものである。*[46]

 

いうまでもなく、ペリー・スミスについても、家族環境の劣悪さについては類似点があると言ってよいでしょう。

以上の観点から、「語り手」はサテン博士の考えを次のようにまとめています。

 

スミス(*[47]はクラッター氏を襲ったとき、いってみれば心理的日食の状態精神分裂病の深い闇の中にあった。というのは、自分が殺そうとしていると〝突然気づいた〟相手は、必ずしも生身の人間ではなく、〝過去の外傷の中での中心人物〟だったからだ。それは、彼の父親か? 彼を嘲(あざけ)り、打ち据えた孤児院の尼さんか? いまいましい軍曹か? 彼に〝カンザスに足を踏み入れるな〟と命じた仮釈放監察官か? その中の一人か、あるいは、全員なのだ。*[48]

 

 しかしながら、いくら彼らの精神に何らかの異常があったとしても、アラバマ州の法廷に「マクノートン・ルール」が存在する以上、有罪になることは間違いありませんでした。

 そこで、先にも言及しましたが、偶々、自分の家族3人を呆気なく皆殺しにしたアンドルーズ事件というのがあり、ペリーとディックと、このアンドルーズは同じ死刑囚の独房に収監されて、刑の執行を待っているところでした。そこで、先に登場したサテン博士が再び登場します。

 

サテン博士とその同僚の意見によれば、アンドルーズ事件は限定責任能力(訳注 精神障害などで理非を弁別する心理的能力が減退した状態)の論議の余地のない実例であり、カンザスの法廷でマクノートン・ルールに挑戦する絶好の機会を提供するものだった。すでに述べたように、マクノートン・ルールは、被告人が正邪を識別する能力――道徳的にではなく、法律的に――を有する場合、いかなるかたちの精神障害も認めない。精神科医やリべラルな法学者にとっての悩みの種は、このルールが英連邦と合衆国の法廷で優位を占めていることだ。例外は合衆国の数州とコロンビア特別区の法廷で、もっと寛大な、けれども、実際的でないと懸念する向きもあるダラム・ルールを受けいれている。このルールは、簡単にいえば、被告人の違法行為が精神病、または精神的欠陥の所産である場合、刑事責任は問わないというものだ。/要するに、アンドルーズの弁護団、メニンジャー・クリニックの精神科医たちと一流の弁護士二人からなるチームが目指したのは、法律上画期的な進歩をもたらす勝利だった。それに不可欠なのは、マクノートン・ルールの代わりにダラム・ルールを採用するよう裁判所を説得することだった。*[49]

 

結果的に言えば、それは、大変困難なことでした。一言で言えば、地元の保守的な(?)考えをそう易々と覆すことはできなかったのです。つまりは、先にも述べたように、彼らは有罪の判決を受け、死刑にされたのです。

主要な物語はそこで一応終わっています。

 

5 単なる偶然の連鎖なのか?

実際に、彼らの精神の状態が異常だったのかどうか、分かりません。仮に、もしそうだとしたら、クラッター一家の殺害とは何の因果関係はありません。つまりは、偶々襲われたのが彼らだったのであって、言うなれば、単なる「事故」というしかありません。残忍な殺害のされ方はしていますが、まあ、崖から落ちて亡くなったとか、エンジン・トラブルに陥って墜落した航空機に偶々乗り合わせために亡くなった、と同じようなことです。実際「語り手」はこう言っています。

 

この犯罪は心理的な事故、さらにいえば、人格を欠いた行為のようなものだった。被害者たちは雷に打たれて死んだも同然だった。*[50]

 

あるいは、精神の異常云々とは一旦無関係に、彼らの行動の要因を探ると、先にも述べたように、クラッター家とは全く関係のないところで生じていた、様々な偶然の連鎖が事件へと繋がっていたことを先に確認しました。つまり、そうすると、これもまた「事故」ということになります。

つまり、「語り手」は、人間というものは、かく、このように無慈悲な偶然の連鎖のままに転がされる、呆気ない存在なのだ。そこには努力や人柄や、愛や信頼など、毛筋ほども入る余地はないのだ。なんと人生とは虚しいものであろうか、とでも言いたかったのでしょうか?

本作の題名、「冷血」と訳されている ”In Cold Blood” ですが、一般的には「冷酷に」という意味の慣用表現で、カポーティが、獄中にあるペリーにこの書題を伝えたところ、怒り出した*[51]、というところから分かるように、普通に取れば、彼ら二人の犯行の様子を「冷酷に」と表現した、と、捉えられます。しかし、果たして、そうでしょうか?

題名の問題*[52]は、後に再度触れますが、むしろ、この偶然の連鎖の下で、悲劇も、あるいは喜劇も繰り広げねばならない人間存在のありようこそが「冷酷」なのではないでしょうか? 無論、カポーティ本人には別の考えもあったかも知れませんが。

 

6 何故、カポーティはこの事件に心惹かれたのか?

いや、しかし、カポーティをして、6年にも及ぶ調査と執筆に赴かせたのは、単にそのような禅的な詠嘆だったのでしょうか? 無論、蓋を開けてみたら、こうだった、ということはあったかも知れません。

しかしながら、カポーティが、偶然、New York Times 紙でこの一家4人惨殺事件を見たとき、何が彼の脳裏に過(よぎ)ったのでしょうか? どんなことが彼の心の奥に突き刺さったのでしょうか? 何故にこの事件の深層を知りたいと熱望したのでしょうか? 

 暴論を敢えて言えば、一家4人が殺されたことに、カポーティは何某(なにがし)かの、倒錯的な喜びのようなものを感じたのではないでしょうか? 彼は幸せ(そう)に暮らす一家に何某(なにがし)かの憎しみのようなものを感じていたのではないでしょうか?

恐らく初期の報道では、知る由もなかったことでしょうが、調査が進むに従って、彼らクラッター家の人々は、他人から非難や恨みを買うようなことが一切ない、絵に描いたように、一家の経済的裕福さと緊密な家族愛を具現化したような家族ということが分かりました。 

こんなことはカポーティは一言も言ってませんし、流石に本文にも書けなかったとは思いますし、さらには彼自身が意識に登らせていたかどうかも怪しいところですが、このような幸福な一家は死んでしまって当然なのだ、残酷な殺害でこの世を去るのが相応しいのだ、と、カポーティは思わなかったでしょうか? そう、彼に尋けば、きっと色をなして怒るか、あなたも変わったことを聞くね、と苦笑したでしょうか?

 いやいや、ミスター・カポーティ、わたしは至って真面目に訊いているのです。

 先に見たように、今や主犯と考えていいペリーの殺害までの一つ一つの行動はクラッター家とは全く、と言っていいほど、無関係な、偶然から成り立っていました。しかしながら、彼らも実は同じではなかったでしょうか。こんな幸せな家族は死んでしまえばいいのだ、と。極論を言いうと、それこそが、カポーティとこの犯人の2人を結び付けたものではないでしょうか?*[53]

 何故、平和な一家の惨殺を望むのか? 単純です。彼らにはそれが望んでも与えられなかったからです。本書のどこを探しても、カポーティも含めて、犯人二人の、クラッター一家への呪詛はどこにも書かれていません。しかし、問題は、書かれていることよりも、巧妙に、あるいは無意識に隠蔽しようとした書かれてないことではないでしょうか。

 これは、小説に限らず、映画でもそうなんだと思いますが、アメリカのエンタテインメント作品であっても、背景となるような描写に家族の問題、離婚は当然のこと、育児放棄や、あるいは両親の実子への無関心、あるいは虐待、暴力など、しばしばお目にかかります。だからと言って、登場人物たちが一家皆殺しをする訳ではありませんが。

さて、カポーティは無論のこと、ディックとペリーはいずれもそういう意味での家族関係には全く恵まれていませんでした。

 

 8 何が運命を分けたのか?

 しかしながら、家族関係に恵まれない人々は恐らく枚挙に暇がないはずです。むしろ、クラッター家のような幸福に暮らしている家族こそ例外と言うべきかも知れません。したがって、家族愛の欠如から、即時的に殺人犯が誕生する訳ではないのです。実際、少なくとも、カポーティは殺人犯にはなりませんでした。一体、何が違ったのでしょうか? 子ども時代に愛情を注がれた経験でしょうか? 少なくともカポーティは家族愛には恵まれていなかったかも知れませんが、『クリスマスの思い出」*[54]や『草の竪琴』*[55]に描かれた年長の従姉であるスックさんに可愛がられた経験があります。

あるいは経済的な裕福さでしょうか? それもあるかも知れません。実母の再婚相手はそれなりの裕福さで継子であるカポーティを十分過ぎるほど保護してくれました*[56]

その意味では、アメリカの、あるいは近代の持つ社会構造の問題をも考慮に入れなければならないかも知れません。つまり、近代社会こそが、家族の闇を生み出したのだと。無論、この問題についてはそれだけで本一冊書けます。

あるいは、カポーティには文学というアジールがあって、それが彼を守ってくれた、ということでしょうか? これは大きいのかも知れません。彼が思春期の頃から書き始めた小説と、さらにはそれを、少数ではあったかも知れませんが、それを認めて、賞賛した人々が存在した、という事実*[57]は相当大きいのかも知れません。

いずれにしても、カポーティは少なくとも殺人犯ペリーに、自身との何らかの共通性を見出し、のっぴきならない問題の存在を感じ取ったはずです。ですが、何かが、――それを人々は「運命」とでも言うのでしょうか? 何かが、彼らの人生を分けたのです。殺人犯と小説家と、という具合いに。

カポーティの初期の、というよりも未発表だった短篇小説作品に「分かれる道」*[58]という作品があります。小川高義さんの翻訳ですが、ちょっと変な感じがしますよね。普通なら、「分かれ道」ぐらいが妥当かな、と思いますが、それが「分かれる道」。しかし、原題は“Parting of the Way”となっています。いわゆる「分かれ道」と言えば“forked road”、これは「フォーク」ですね、フォークのように分かれた道、ということでしょうか、あるいは“branch road”(枝道)、“crossroads”(十字路)とかぐらいが普通かと思いますから、カポーティが“parting”、つまり「分かれていく」、「離れていく」道としたのも理由があるのだと思います。ま、厳密に言えば、これは「道の分かれ」でしょうが、“parting”を動名詞と取るのではなくて、現在分詞と取り、あるいはその意味の反響を込めて、「道の分かれていく」というような意味合いだったのかも知れません。

この小篇は、後に『冷血』に登場するペリーとディックの2人組を思わせる、腐れ縁の二人の若者が登場します。彼らは衝突し合い、にも関わらず信頼を回復し、そして、さらに、にも関わらず、訣別する物語なのですが、恐らく、二人は何か決定的なことがあって、別れを決した訳ではないのだと思います。何か、些細なことと思われる小さなことが幾つも幾つも集まって、この別れへと至っているのだと思います。つまりは何か決定的なことがあって、分かれ道に至るのではなくて、ずっと前から道は分かれていたのです。だから「分かれる道」なのです。

 その意味では、先程皆さんに申し上げた、何が小説家と殺人犯に分けたのか? 何も決定的なことがある訳ではなくて、まさに些細な偶然の連鎖の集積こそが、彼らの道を分けたのではないでしょうか?

 さて、そうすると、わたしたちに出来ることは、この厳しい運命の現前に対して、慨嘆することしかできないのでしょうか? 無論、それらを、その運命とやらを「遮断」、「拒絶」するという意味では、人は「自死」を選ぶことができるでしょう。あるいは、同じような意味合いで「発狂」することも可能かも知れません。しかし、発狂は、一般的には、必ずしも自己の意思とは無関係に生ずることですから、果たして「可能性」という言い方が妥当かどうかはいささか議論の余地があるかも知れません。

 そして、こう論じてくれば、当然のことながら、「神」の問題がそこに口を開けて待っているようです。

 

 9 鸚鵡

 こればかりは難問というしかありません。カポーティ自身に訊いたとしても、まともに答えてくれるとは到底思えません。むしろ、カポーティは「悪魔」、あるいは「悪魔的なもの」との親近性が強かったようにも思えます。第Ⅴ節でも引用しましたが、「誕生日の子どもたち」*[59]に登場するたかだか10歳の少女ミス・ボビットは極めて独特な人生哲学を開陳しています。

 

「わたくしのことを不信心者だと思ったりしないでくださいね、 ミスタ・C(*[60]。この世界には神様がいらっしゃって、悪魔がいるということをわたくしはさんざん目にして参りました。しかしわざわざ教会まで出向いていって、悪魔がどんなに罪深い阿呆であるかという話を聴かされたところで、それで悪魔をどうこうできるというものではありません。そうです、大事なのは、悪魔を愛することなのです。ちょうどあなたがイエス様を愛するようにです。なぜなら悪魔というものは強いカを持ったものであり、もしあなたが彼のことを信頼しているとわかれば、あなたに対して報いてくれるからです。(下略)」*[61]

 

一体、どういうつもりで、カポーティがこの言葉を10歳の少女に語らせたのかは分かりません。実際、悪魔は彼女の野望、――その田舎町から抜け出してハリウッドに行き、有名になるという野望を微塵に打ち砕いたばかりか、彼女の10年の命をも呆気なく奪い去っていったのです。神について、直截には語りたくなかったカポーティ一流の韜晦でしょうか?

 本作『冷血』にはカポーティ本人は原則としては登場しませんし、地の文にも「語り手」としての論評や感想の類いは原則、強い禁じ手になっているようで、そこには、なみなみならぬ潔さを感じます。

 「神」、あるいは「神」のような存在は、ペリーの言葉として語られます。どういう神話的な表象なのかは分かりませんが、ペリーにとって「神」(的な存在)は「巨大なオウム」の姿で現れました*[62]

 そう言えば、つい最近、例の宮﨑駿監督の手になる『君たちはどう生きるか』*[63]を観ました。とても一回観たぐらいでは咀嚼が難しいとは思いましたが、とても素晴らしい作品だと思いました。この映画の後半に巨大な鸚鵡(おうむ)たちが登場します。「富士(ふじ)山麓(さんろく)鸚鵡(おうむ)鳴く(な)」の鸚鵡ですね。

 で、話を戻しますが、ペリーの夢? 空想? の中にやはり鸚鵡が登場するのです。ペリーは以前見た夢の話、ということで大蛇に食べられそうになったことをディックに話しています。

 

とてつもなく大きな鳥、黄色い〝オウムのような鳥〟の話をしたのだ。(中略)誰もがオウムを嘲笑(あざわら)うだろう。オウムはペリーが七歳のとき、はじめて夢の中に飛びこんできた。当時、 ペリーは尼さんたちが営むカリフォルニアの孤児院に預けられていた憎まれっ子の混血児だった――修道服の尼さんたちは厳格で、寝小便をしたといってはペリーを鞭打(むちう)った。そういうお仕置き、けっして忘れられないお仕置き――「おれは尼さんに起こされた。尼さんは懐中電灯を持ってたが、それでおれを殴った。何度も何度も殴った。懐中電灯が壊れても、闇の中で殴りつづけた」――のあと、ペリーが眠っている間に、オウムかやってきたのだ。 〝キリストより背が高く、ヒマワリのように黄色い〟鳥。その戦士の天使は、くちばしで尼さんの目玉をつつきだして食べてしまった。そして、〝慈悲を乞う〟尼さんたちを皆殺しにすると、ペリーを優しく持ち上げ、抱きかかえて、〝天国〟へ連れ去った。*[64] *[65]

 

それは、「“キリストより背が高く、ヒマワリのように黄色い”鳥」[66]で彼を虐待する孤児院の尼たちの皆殺しにします。「キリストより背が高」い、とされていることに注意しましょう。素直に読めば、「イエス=キリストを越えた存在」、「イエス=キリストより上位の至高の存在」を意味していると考えられます。そして、それは、彼の「力」の表象となり、さらにまた、彼が夢見る「楽園」の象徴ともなっているのです。

 

ひどい苦痛から鳥に救いだしてもらったものの、歳月を経るうち、また別の苦痛が襲ってきた。ほかの連中――年上の子どもたち、父親、不実な女、軍で出くわした軍曹――が尼さんたちに取って代わったのだ。しかし、空を舞う復讐者のオウムは変わらなかった。だから、ダイヤがなる木の守り手の蛇も、ペリーをのみこむ前に、オウムにのみこまれてしまった。そして、あの至福の飛翔! そういう天国への飛翔も、ある場合には“感じ”だけにとどまった。力の感覚、揺るぎない優越の感覚に。しかし、また、ある場合には、それがさらに変遷していった。ほんとの場所へな。映画から抜けだしたような場所へ。たぶん、おれがその映画を見たんだな――映画に出てきたのをおぼえてたんだろう。でなきゃ、あんな楽園をほかのどこで見るっていうんだ? 白い大理石の階段。噴水。楽園の外れまでいくと、ずっと下のほうに海が見える。まさに絶景だ! カリフォルニアのカーメルあたりみたいな。だが、何よりすばらしいのは――そう、長い長いテーブルだ。あんなにたくさんの食べ物は誰にも想像がつかないだろう。牡蠣。七面鳥。ホットドッグ。百万杯のフルーツカップでもつくれそうな果物。それに、いいか、――それがみんな、ただなんだ。つまり、びくびくしながら手を出すなんてことはない。食いたいだけ食っても、一銭も払わなくていいんだ。おれは自分が今、どこにいるかを、それで知るんだ」[67]

 

ペリーはこれらを映画で観た記憶からの想像だとしていますが、あるいはそうかも知れませんが、しかし、わたしが思うのは、人類が持つ根源的なイメージとしての楽園と、鸚鵡なのです。ま、そんなものがあるとして、の話ですが。

これが、実際に犯人のペリーが語ったことなのか、あるいはカポーティが創作したのかは分かりませんが、少なくともカポーティにとって、これらの楽園と鸚鵡のイメージは自身の内的世界の何かと呼応する、極めて重要なものだったのではないかと思います。「自身の内的世界の何か」とは何でしょうか。「神」をも超える「神」、つまり、信仰とか宗教という枠を超越して、なおも、存在し、「何らかの形」で、わたしたちを「救済」してくれるかも知れない、或る種の「根源的宗教性」のようなものでしょうか。その世界を仮に場所の名前で言えば「楽園」ということになり、そこで人々は永久に飢えることはない、さらには、経済的な貧富の差によって食べることができない、などということのない、まさに「夢」のような世界なのです。

ペリーは一度その「楽園」に行きかけたことがあります。犯行後の逃亡中に中米に潜伏していた時のことです。

 

 アカプルコの港には、骨董ものの木製の箱型カメラを持ってぶらついている老人がいる。エストレリータ(*[68]が桟橋につくと、オットー(*[69]は獲物と並んでポーズをとるぺリーの写真を六枚撮ってくれと頼んだ。技術的にいえば、老人の撮った写真は出来が悪かった――茶色がかって、筋が入っていた。それでも、その写真は注目に値するものだった。そうさせているのは、ペリーの表情だった。とうとう、夢に見たとおり、大きな黄色い鳥が天国へ連れていってくれたとでもいうような完全なる成就、至福の相貌だった。*[70]

 

この後、1ヶ月も経たぬうちに、尾羽打ち枯らして、アメリカに戻り、呆気なく逮捕されてしまいます。

残念ながら、ペリーが考えるような楽園は実際には存在しないのでしょう。また、当然のことながら、神様もきっと、わたしたちが思うような形では存在しないのではないでしょうか。

 

10 イエス肖像画

ペリーは、以前別の罪で収監中にイエス肖像画を描いて友人に見せています。「信心を表にあらわすのを軽蔑していた」*[71]というペリーですが、聖歌隊のウィリー・ジェリーという男の美声に興味を持ち、彼に接近していきます。そこで、どういう訳か、イエス肖像画を描く気になったのでしょう。

 

その絵は心底から真摯になれなかったペリーの精神的探求の旅の頂点をなすものであったが、皮肉なことに、その終点でもあった。*[72]

 

つまり、それまで、様々な小さな犯罪などを働き、自らの人生に対して「心底から真摯になれなかった」ペリーが、どういう訳か、宣教師であったウィリーに何らかの刺激を受けたため「イエス肖像画」を描いたということなのでしょうか? いずれにしても、自らの人生なり、行いなりを顧みる行為だった気がします。したがって、「その絵は(中略)ペリーの精神的探求の旅の頂点をなすもの」になったのでしょう。それは恐らく、ペリーにとっては、彼が思いつく限りでの「善」的なものだったはずです。少なくとも、可能な限り「悪」から遠ざかろうとする行いだったのでしょう。しかし、残念なことに、それ以上、遠くの方にはペリーはいけなかったのです。その絵が単なる〝思い付き〟の域を出ていないことはペリー自身がよく分かっていました。

 

ペリーは自分のイエス像を〝偽善の作品〟とし、ウィリー・ジェリーを〝こけにして裏切る〟ものと断じた。なぜなら、このときもやはり神を信じてはいなかったからだ。*[73]

 

神を信じてもいないのに、友人の甘心を買う為だけに、イエス肖像画など描いても、何の意味があるのか、ペリーはそう思ったことでしょう。しかしながら、その時点で親友と言えたウィリーには自分の気持ちを欺(あざむ)くことができなかったのでしょう。

 

ペリーは腹蔵なくいおうと決めた。すまないが、天国も、地獄も、聖人も、神の慈悲も、自分には関係ない。もし、そちらの好意が、自分もいつかは十字架のみもとにともにひれ伏すという見込みに基づいているならば、自分はだまされたということであり、友情は実(じつ)のないものだ。イエス肖像画のように偽物だ、と。*[74]

 

しかし、にも関わらず、何故、彼はイエス肖像画を描いたのでしょうか? 

友情を買う為だとしても、それはほんの小さなことでしょうが、悪から遠ざかり、善の方向へと歩もうとするペリーも持つ「善」の心なのだと思います。それはあたかも真っ暗な箱の中に閉じ込められた植物が、箱の隙間から微かに差し込む光の方へと葉先を伸ばそうとするのに似ているはずです。

 

11 神の不在への重石、あるいは墓碑銘

本作の巻頭にはフランソワ・ヴィヨンの「首を吊られるもののバラード」がエピグラフとして掲げられています。

ヴィヨンと言えば、日本では、例の太宰治の「ヴィヨンの妻」を思い出される方も多いかも知れません。太宰の活躍した昭和の前期の頃では、一般にも、この「ヴィヨン」の名は広く知られていたのだと思いますが、今となっては、ヴィヨンて誰? という人の方が多いと思いますが、ここでは、恐らくヴィヨンそのものには意味はないと思われます*[75]エピグラフは以下の通りです。

 

われらのあとに生きながらえる同胞(はらから)たちよ

われらに無情な心を抱くな

なぜなら、惨(みじ)めなわれらを憐(あわ)れんでくれるならば

神も諸君にお慈悲をたまわるだろうから

フランソワ・ヴィヨン

『首を吊られるもののバラード』*[76]

 

つまり、絞首刑にされようとする罪人と、わたしたち――普通に暮らしている一般の市民は「同胞」である。したがって彼らに対して、「無情な心」を持たず、むしろ「憐」れみの心を持つのであれば、「神」はわたしたちに対して「慈悲をたまわる」というのです。

要は犯罪者も、普通の市民も変わりはない、と言っているのでしょうか。そのことを心に留めて、罪人を憐れむのであれば、神は慈悲を与えてくれる、――フランス語のニュアンスが分かりませんが、龍口訳では、「感謝する」としていますが、「慈悲」にせよ、「感謝」にせよ、具体的な、つまり物質的な何か、という訳ではなくて、気持ち的なものでしょうか。要するにわたしたち、あるいは罪人たちも気持ち的に救われる、とでも言いたいのでしょうか。

ヴィヨンがどういう意図で、この詩を書いたのかは、ここでは一旦問題にしません。問題は、この『冷血』の「語り手」がどういう心算で、ここにこの詩を掲げたのか、ということです。

絞首刑と磔との違いはありますが、罪に問われて、死罪に処された者、と言えば、わたしたちは、容易に、かの、ナザレのイエスを想起します。イエスは無論、殺人者ではありませんし、そもそも、讒言によって捕らえられた訳ですから、或る意味、無実の罪、と言ってもいいのですが、――これは軽々には言えないことですが、西洋の宗教的伝統において、人類の究極的な救済者=「キリスト」が、罪を問われて、死を以て、それを贖ったということの意味は恐らく、深いのだと思います。

さて、「語り手」は恐らく、ディックとペリーが絞首刑台にて、露と消えていく様を、あたかもイエスを「無情」にも見送ったイエルサレムの市民の一人として、あるいは、涙を呑んだのかも知れません。

神は慈悲を賜るでしょうか? いや、恐らく、神はいないでしょう。仮にいたとしても、きっと何もしてくれません。

あえていうのであれば、神がいるという仮定、構想のもとに、はじめて、わたしたちの、多かれ少なかれ、様々な罪は贖われる気がするのかも知れません。

その、神がいてもいいかも知れない、神にいて欲しいものだ、というこころの何らかの重石(おもし)として、あるいは「墓碑銘」として、ディックやペリーのような罪人たちは死んでいったのではないでしょうか? あるいは、その中には一見、全く罪のないクラッター家の人々などように、非業の死を遂げていった人々も含まれるはずです。無論、その中には、わたしたちの席、というか墓所、と言うべきでしょうか、それらも確保されているはずです。それにしても、それは余りにも重く、巨(おお)きな重石でした。

 

附記 その① 訳題は『冷血』でよいのか?

さて、先程触れましたが、原題“In Cold Blood”を「冷血」と訳してよいのか、という問題です。繰り返しになりますが、そもそもは「冷酷に」というような意味の慣用句ですが、確かに、ペリーが行った殺害行為は「冷酷」というしかないものですが、ペリー本人からすれば、いささか心外だったようです。つまりは、彼の「本体」の預かり知らぬところで、その「冷酷」な殺人事件は起きているのですから。しかしかと言って、「冷酷」とは言えない、とも言い難いところがあり、難しいところです。

また、別の解釈では、ペリー達に同情心を寄せつつ、彼らが死刑にならない限り、話の結末が付けようもなく、発表がなかなかできなく、結局のところはペリー達の死刑の執行を、実は、カポーティが心の底では望んでいたことを指して、「冷血」と名付けたのだという説もあります*[77]が、それはいかがでしょうか。

そもそも、原題“In Cold Blood”を「冷血」と訳したのは英米文学者の龍(たつの)口直(くちなお)太郎(たろう)さんです。生涯に渡って、膨大な翻訳をなした、まさにその世界における第一人者です。畏れ多くも、そのような方を批判する訳ではありませんが、わたしとしては、どうしても“In Cold Blood”の“In”が気になってしまうのです。これが“Cold Blood”で「冷血」なら、まだ諦めも付くというものです。この“In”は何なのか? というか、普通に、というか素直に考えて、「冷たい血の中で」としたらいけないのでしょうか? 

これはどういうことかと言うと、殺されたクラッター家の人々が流した「冷たい血の中で」死体として眠る、という意味もありますが、それよりも、やはり、ディックとペリーの2人の犯罪者を生んだものこそ、家族の、何らかの形による暴力であったこと、また、結局のところ、その暴力を生んだものも、恐らく、同様にその親の暴力ではなかったか、と考えると、この悲劇は、これら、一族に流れる、「冷たい血の流れの中で」こそ生じたのではないかと思うのです。

初訳書刊行後、ほぼ60年を経過し、この「冷血」という訳題で定着している今日、今更、題名を変えろ、という気持ちはさらさらないのですが、原著者が意識していたかどうかはともかくとして、その原題“In Cold Blood”の持つ含みも考慮に入れて頂けると幸いです。

 

附記 その② 佐々田訳はこれでよいのか?

さて、翻訳の問題をもうしばらく続けます。

現在、この『冷血』という作品は龍口訳を引き継ぐ形となった翻訳家・佐々田雅子さんの翻訳で読むことができます。当然のことながら、30年も経てば、言葉の老朽化は否定すべくもなく、龍口訳を佐々田訳に変更するというのは、版元の新潮社としても、当然の措置をしたのだと考えられます。

 しかしながら、佐々田さんの訳文を拝見していて、いささかならず、気になる点が散見されたので、覚書として書いておきます。

 まず、一つ例を挙げてみましょう。

開巻、冒頭に「雪消(ゆきげ)」という言葉が登場します。「雪消」という言葉を日常的に使うでしょうか。あまり目にしない言葉だな、と首を傾げました。

 

雨後や雪消(ゆきげ)には、名もなく、陰もなく、舗装もない通りで、分厚い埃が恐ろしい泥濘(でいねい)と化す。*[78]

 

原文はこうです。

After rain, or when snowfalls thaw, the streets, unnamed, unshaded, unpaved, turn from the thickest dust into the direst mud. *[79]

 

確かに、「雪が解ける、雪解けの陽気になる、解ける、温まる、やわらぐ、打ち解ける」*[80]などを表す“thaw” という語が難解かも知れませんが、それはあくまでも日本人にとっては、という意味で、この言葉がとりわけ特殊な徴(しるし)付きの言葉、という訳ではないはずです。龍口訳では「雪どけ」*[81]となっています。確かに、このセンテンスそのものは、韻が踏んである、どちらかと言えば詩的な文章です。しかし、だからと言って、“snowfalls thaw”を「雪消」とする理由にはならないでしょう。無論、わたしは、これが誤訳だと言っている訳ではありません。つまり、原文が普通の言葉であれば、普通の言葉で訳し、特殊なものはそれが分かるように訳すべきではないかと申し上げているのです。

その意味では「泥濘(でいねい)」とルビを振ってありますが、「ぬかるみ」あとするか、あるいは龍口訳のように「泥道」*[82]とするのが妥当ではないでしょうか。

同じような例として、「行(こう)旅(りょ)」*[83]があります。これもまた、日本語では、まず日常的には使わない雅語の類いだと思いますが、原文は“voyages”*[84]、龍口訳では、「旅行」*[85]です。なぜ、わざわざこの訳語を採用したのか、佐々田さんの意図を摑みかねるところです。

それから、これは意味合いが今までのものとは違いますが、第Ⅰ部の最後の下りに「まさかもまさかのことだった。」*[86]というものがあります。これにはいささか驚きました。無論、これは個人的な趣味の問題と言えばそうなのですが、この作品が、可能な限り「客観的な」「ジャーナリズム」、「調査報道」の文体で書かれていることを考えると、かなり砕け過ぎの表現ではないでしょうか。原文はあっさりとしていて“among other things”*[87]で、まー、「思ってもみなかった」というところでしょうか。龍口訳は「全然知るよしもなかったのである。」*[88]となっています。 

という訳で、以下、疑問に思った訳語を掲げておきます。各書の引用ペイジ数は脚注ではなくて、カッコ書きでそこに付けます。

原文

龍口訳

佐々田訳

コメント

this superior specimen of the season(p.22):specimen:見本、適例、(動物・植物・鉱物などの)標本、(変わった)人(weblio

すばらしい日和(p.20)

その季節を代表するような空模様(p.25)

佐々田訳の「代表」にひっかかります。「その季節ではよく見かける」というような意味かなとは思いますが。

Quonset hut(p.22)

 

かまぼこ兵舎の型(p.20)

かまぼこ形兵舎タイプ(p.25)

“Quonset hut”は辞書によれば「《主に米国で用いられる》【商標】 かまぼこ形兵舎[組み立て住宅][米国海軍基地の名から]」(weblio)とあるぐらいですから、こんな些細なことに訳注などを付けていられない、というのは理解しますが、アメリカの建造物を「かまぼこ」と表現するのはいかがでしょうか。

Picnic baskets had been carted(p.24),cart:荷車で運ぶ、運ぶ(weblio

 

ピクニックの籠を車で運んで行き(p.23)

一家でピクニック用のバスケットを運び込み(p.29)

「運び込み」というのは「運び入れる」というニュアンスを含みませんか。広い野原に「運び入れる」? 異和感が残りますね。

songs, poems(p.26)

歌の本、詩(p.25)

詩歌(p.31)

ここはペリーの鞄に詰め込まれている持ち物の列挙です。「詩歌」は文学的なジャンルを示す抽象的な名詞であって、それを持ち歩くことは難しいのではないでしょうか。

inflamed by a biography of Florence Nightingale, (p.37)

フローレンス・ナイティンゲールの伝記に刺激され、(p.46)

フローレンス・ナイチンゲールの伝記に鼓吹され、(p.53)

デジタル広辞苑によれば「鼓吹」とは以下の意味です。「①鼓と笛とを主な楽器とする軍用の楽。また、鼓を打ち笛を吹くこと。くすい。/②勢いをつけはげますこと。鼓舞。/③意見・思想を盛んに主張して他の共鳴を得ようとすること。「軍国主義を―する」」。つまり、「鼓吹する」は物を主語に取るだろうか、ということです。それとも擬人法なのでしょうか。

It was a wild and beautiful kind of fun (p.50)

それは野性的な美しい遊びであった。(p.65)

それ(コヨーテを追い散らすこと)は野趣にあふれた心躍る楽しみだった。(p.75)

デジタル大辞林によれば「野趣」とは「自然のままの,素朴な味わい。また,野性み。「―あふれる料理」」とあります。つまり、「野趣」とは本来人為的であるべき料理や作庭などに「野性味」をそのまま残すことに使用しないでしょうか。ここは「野性的な」でいいのではないでしょうか。

Could no longer count on his companionship (p.50)

もはや相手の友情を当てにできなくなった(p.64)

もう友誼を当てにはできなくなった(p.76)

少年の仲間づきあいの下りで「友誼」はないだろう、と思います。

The hymn’s grave language sung in so credulous a spirit(p.53)

その讃美歌のおごそかな言葉が、いかにも信じきったような気持ちで歌われると、(p.71)

その讃美歌の厳粛な歌詞が、信じて疑わないという風情

で歌われると、(p.82)

デジタル広辞苑によれば「風情」とは「(1)風雅な趣。味わいのある感じ。情緒。情趣。「―ある眺め」(2)様子。ありさま。「寂しげな―」」とあります。確かに「様子、ありさま」の意味で取れなくはありませんが、どうしても「風雅な趣」的な意味に引っ張られて、異和感を残すのではないでしょうか。

From what I personally know,(p.147)

姉さんがよく知っていることから

かんがえて (p.231)

これはわたしの私見ですが(p.259)

わたし見」という表現もペリーの姉が無教養だと表現するために、ということなら分かりますが、そもそも原文がそうはなっていませんね。「わたしが個人的に知っていることから見て」ということでしょう。

 

他にもあるのかも知れませんが、途中でチェックするのを断念したようです。ただ、このような、誤訳とも言い難い微妙な訳語の問題については、無論、個人的な好みの問題が存在する訳ですが、訳者の方の問題というよりも、出版社側の編集者、校閲者の力量の問題のようにも思いますが。

 

結語 文学作品としての『冷血』の意味

さて、長々とお話しして参りましたが、そろそろまとめのようなことをお話しして、本節をまとめたいと思います。

小説家の村上春樹さんは『ティファニーで朝食を』の翻訳書のあとがき*[89]で、本作『冷血』について次のように述べています。

 

カポーティは小説家としてよりは、ノンフィクション作家として将来的に記憶されることになるだろうとジョージ・プリンプトンは述べているが、僕はそのようには考えない――あるいは考えたくない。たしかに『冷血』を始めとするカポーティの「非小説」の質の高さと面白さには傑出したものがある。しかしどれだけ出来が素晴らしくても、『冷血』は一回限りのものだカポーティの作家としての本領は、やはり小説の世界にあると僕は信じている。彼の物語は、人々の抱えるイノセンスの姿と、それがやがて行き着くであろう場所を、どこまでも美しく、どこまでも悲しく描き上げていく。それはカポーティにしか描くことのできない特別な世界である。そして高校生だった僕はそのような世界に引き寄せられ、小説というものの深みをそれなりに会得することができたのだ。*[90]

 

ここまで、お話ししてきて、何ですが、全く村上さんのおっしゃる通りだと思います。果たしてこの『冷血』だけで、カポーティの文名は後世に残っただろうか、というと甚だ疑問です。大変優れた作品であり、大変な労作であったとは思いますが、極端にいえば、これはカポーティでなくても書けたのではないか。それに対して、『遠い声、遠い部屋』、あるいは『ティファニーで朝食を』はカポーティ以外の如何なる作家も書けなかったのではないでしょうか。なかんづく、『遠い声、遠い部屋』については余人の追撃を許さぬ、全く以て、前人未到の、まさに文学の極北と言ってもいい作品だ、ということは既に、第Ⅲ節において述べた通りです。

 その意味ではデビュー作『遠い声』でその文学的力量の大半を使い果たしたカポーティがどのようにそこを切り開いていき、どのように没落していったかということこそ、まさに文学的問題に他なりません。

 それでは、本日はここまでに致しましょう。お疲れ様でした。

 

 

【主要参考文献】

フランソワ・ヴィヨン」. (日付不明). 参照先: Wikipedia.

(1980年).『冷血』. CBS.

CapoteTruman. (1965/2006). In Cold Blood. The New Yorker/PENGUIN BOOKS.

Truman Capote. (日付不明). 参照先: Wkipedia(English).

カポーティトルーマン. (2015年/2019年/2022年). 『ここから世界が始まる――トルーマン・カポーティ初期短篇集』. (エバーショフデヴィッド, 編, 小川高義, 訳) ランダムハウス社/新潮社/新潮文庫.

カポーティトルーマン . (1951年/1971年). 『草の竪琴』. (小林薫, 訳) ランダムハウス/新潮社.

カポーティトルーマン. (1945年~1995年/2002年/2009年). 『誕生日の子どもたち』. (村上春樹, 編, 村上春樹, 訳) 原書/文藝春秋/文春文庫.

カポーティトルーマン. (1948年/1971年). 『遠い声 遠い部屋』. (河野一郎, 訳) ランダム・ハウス社/新潮文庫.

カポーティトルーマン. (1948年/2023年). 『遠い声、遠い部屋』. (村上春樹, 訳) Random House/新潮社.

カポーティトルーマン. (1949年/1994年). 『夜の樹』. (川本三郎, 訳) Random House/新潮文庫.

カポーティトルーマン. (1951年~1973年/2006年). 「雲からの声」. 著: 『犬は吠えるⅠ――ローカル・カラー/観察記録』 (小田島雄志, 訳). 原著/ハヤカワepi文庫(早川書房).

カポーティトルーマン. (1951年ー1973年/2006年). 『犬は吠えるⅠ――ローカル・カラー/観察日記』. (小田島雄志, 訳) Rondom House・/ハヤカワepi文庫.

カポーティトルーマン. (1956年/1990年). 『クリスマスの思い出』. (村上春樹, 訳) 原著/文藝春秋.

カポーティトルーマン. (1956年/2006年). 「お山の大将」. 著: 『犬は吠えるⅡ――詩神の声聞こゆ』 (小田島雄志, 訳). 原著/ハヤカワepi文庫.

カポーティトルーマン. (1958年/2008年). 『ティファニーで朝食を』. (村上春樹, 訳) ランダム・ハウス社/新潮社.

カポーティトルーマン. (1965年/1978年). 『冷血』. (龍口直太郎, 訳) The New Yorker/新潮文庫.

カポーティトルーマン. (1966年/2006年). 『冷血』. (佐々田雅子, 訳) Random House/新潮文庫.

カポーティトルーマン. (1982年/1989年). 『あるクリスマス』. (村上春樹, 訳) 原著/文藝春秋.

カポーティトルーマン. (1985年/1988年). 『おじいさんの思い出』. (村上春樹, 訳) 原著/文藝春秋.

カポーティトルーマン. (2006年/2006年). 『真夏の航海』. (安西水丸, 訳) Random House/ランダムハウス講談社.

カポーティトルーマン. (2023年SUMMER/FALL). 「最後のドアを閉めろ」. 著: 『MONKEY』vol.30 (村上春樹, 訳). Switch Publishing.

クラークジェラルド. (1998年/1999年). 『カポーティ』. (中野圭二, 訳) 原著/文藝春秋.

シュワルツUアラン. (2006年/2006年). 「失われた処女作の軌跡」. 著: カポーティトルーマン, 『真夏の航海』 (ランダムハウス講談社編集部, 訳). Random House/ランダムハウス講談社.

ブルックス リチャード. (1976年). 『冷血』. コロンビア・ピクチャーズ.

ミラー ベネット. (2005年). 『カポーティ』. ソニー・ピクチャーズ.

リー  ハーパーネル. (1960年/2023年). 『ものまね鳥を殺すのは――アラバマ物語〔新訳版〕』. (上岡 伸雄, 訳) 原著/早川書房.

リー ハーパー. (1960年/1975年). 『アラバマ物語』. (菊池重三郎, 訳) 原著/暮らしの手帳社.

リー ハーパー. (1960年/2023年). 『ものまね鳥を殺すのは: アラバマ物語〔新訳版〕』. 原著/早川書房.

碓井巧. (2007年). 「ルポルタージュの作法―その表現様式と可能性」. 著: 『広島文教人間文化』第7号.

宮﨑駿. (2023年). 『君たちはどう生きるか』. スタジオジブリ.

江川卓. (1984年). 『ドストエフスキー』. 岩波新書.

三浦雅士. (2018年). 『孤独の発明 または言語の政治学』. 講談社.

村上春樹. (2008年). 『ティファニーで朝食を』時代のトルーマン・カポーティ. 著: カポーティ トルーマン, 『ティファニーで朝食を』. 新潮社.

村上春樹. (2023年summer/hall). 「カポーティ・ショック」. 著: 『MONKEY』vol.30. Switch Publishing.

村上春樹, 柴田元幸. (2023年summer/fall). 「村上春樹インタビュー――カポーティは僕にとってとても大事な作家――『遠い声、遠い部屋』と「最後のドアを閉めろ」」. 著: 『MONKEY』vol.30. Switch Publishing.

大園弘. (2009年12月). 「『冷血』研究(1)――ノンフィクション作家への転向をめぐって」. 著: 『教養研究』第16巻第2号. 九州国際大学教養学会.

大園弘. (2010年3月). 「『冷血』研究(2)――タイトルの多義性をめぐって」. 著: 『教養研究』第16巻第3号. 九州国際大学教養学会.

大園弘. (2010年8月). 「『冷血』研究(3)――「偶然」が描き出すPerry像をめぐって」. 著: 『社会文化研究所紀要』66・ 1-16. 九州国際大学社会文化研究所.

大園弘. (2011年12月). 「『冷血』研究(4)――動物の表象」. 著: 『教養研究』第18巻第2号. 九州国際大学教養学会.

 

【Summary】

 

Truman Capote: An Unanswered Prayer

Chapter 2: The Work

Section X. 

In Cold Blood

 

🖊 Here are the POINTS!

(i) Truman Capote's In Cold Blood  is based on facts, but it is only a "novel" pretending to be written from the perspective of a fictional journalist.

(ii) The various sufferings of those who died in the incident, both victims and perpetrators, are a weight that painfully questions the "absence of God."

(iii) The main line of Capote's literary work is not in non-fiction-like works such as In Cold Blood, but in pure works of fiction, such as Other Voices, Other Rooms.

 

Truman Capote, In Cold Blood,1965, The New Yorker/1966, Random House/2006, PENGUIN BOOKS/Truman Capote, In Cold Blood, translated by Naotaro Tatsunokuchi, 1967, Shinchosha/September 26, 1978. Shincho Bunko / translated by Masako Sasada, 2005, Shinchosha / July 1, 2006, Shincho Bunko.

Translated by Masako Sasada, 2005, Shinchosha, July 1, 2006, Shincho-Bunko.

Table of contents (Sasada translation, Shincho-Bunko) 

Acknowledgments

1 The Last to see Them Alive

2 Persons Unknown

3 Answer

4 The Corner

Translator's Afterword.

■623 pp.

■895 yen (tax not included).

Read on August 12, 2023.

Score: ★★★☆☆.

 

Table of Contents

1 Outline

2 What is a "non-fiction novel"?   

3 A First-Class Mystery

4 Was the crime committed by a "lunatic"?     

5 Is it just a chain of coincidences?       

6 Why was Capote so fascinated by this case?

8 What doomed them?

9 The parrot

10 The Portrait of Jesus

11 A Burden on the Absence of God, or a Tombstone

Appendix① Is "In Cold Blood" the right title for the translation? 

Appendix② Is Sasada's Translation the Right One?

Conclusion: The Meaning of "In Cold Blood" as a Literary Work

Major References

 

 

🐥

⑮36,004字(91枚) 20230903 1621

 

*[1] この経緯はカポーティ自身を主人公として『冷血』の調査、執筆する姿を描いた映画『カポーティ』 [ミラー , 2005年]に詳しく描かれています。

*[2] The New York Times, November 16, 1959.

*[3] [リー  ハ. , 『アラバマ物語』, 1960年/1975年]、 [リー  ネ.  ., 1960年/2023年]。

*[4] [カポーティ ト. , 『遠い声 遠い部屋』, 1948年/1971年]、 [カポーティ ト. , 『遠い声、遠い部屋』, 1948年/2023年]。

*[5] [カポーティ ト. , 『ティファニーで朝食を』, 1958年/2008年]。

*[6] と、一応しましたが、後の「ニュー・ジャーナリズム」の問題を含めて、一考の余地があると思います。

*[7] カポーティが「ノンフィクション・ノヴェル」を創案するに至った経緯については大園弘さんの「『冷血』研究(1)」 [大園, 「『冷血』研究(1)――ノンフィクション作家への転向をめぐって」, 2009年12月]に詳細に述べられていますが、ただ、カポーティが「ノンフィクション作家」に「転向」したとする見解には同意できません。あくまでも彼は小説家であり、彼が書いたのは、あくまでも「ノンフィクション・ノヴェル」だと思うからです。また、大園さんによる一連の「『冷血』研究(1)~(4)」については、本書・巻末「資料・第3節・主要参考文献・解題」を参照してください。

*[8]「通信したり、定期的に面会するのを許されていたジャーナリスト」 [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.p.594-595。

*[9] [Truman Capote]。

*[10] したがって、例えば、中国新聞社元記者、現顧問の碓井巧さんが述べている「フィクションの技術を駆使した物語風の構成でありながら、中身は完全な事実という形式」 [碓井, 2007年]というのは、わたしとしては全く逆のように思われます。

*[11] [Truman Capote]。

*[12] 逆に言うと、そこがカポーティらしいところでもある気もしますが。

*[13] [Truman Capote]。

*[14] [Truman Capote]。

*[15] [ブルックス , 1976年]。

*[16] [『冷血』, 1980年]。

*[17] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.564。

*[18] 本作における「偶然」の要素の問題については大園弘さんの「『冷血』研究(3)」 [大園, 「『冷血』研究(3)――「偶然」が描き出すPerry像をめぐって」, 2010年8月]に詳しく述べられています。

*[19] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.p.365-366。

*[20] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.366。

*[21] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.505。

*[22] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.p.443-444。

*[23] 【引用者註】クラッター氏のこと。

*[24] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.445。

*[25] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.445。

*[26] 【引用者註】ディックが持っていたナイフのこと。

*[27] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.446。

*[28] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.446。

*[29] 本文と同様にペリーの取り調べの供述です。「「(前略)で、女の子の部屋を探しまわって、ちっぽけな財布を見つけたんです――人形の財布みたいなのを。中には一ドル銀貨が入ってたんですが、なぜか、それを落っことして。銀貨は床を転がっていきました。転がって、椅子の下へ。おれは膝をつかなきゃならなかったんです。そのときでしたね。自分が自分の外にいるみたいに感じたのは。何かいかれた映画に出てる自分を眺めてるみたいだったな。それで気分が悪くなりましたよ。ほんとにうんざりして。ディックにも、金持ちの金庫がどうのこうのっていうあいつのおしゃべりにも、子どもの一ドル銀貨をくすねようと這いずりまわってる自分にも。一ドルですよ。それを拾おうとして這いずりまわってるんだから」」 [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.p.437-438。

*[30] [Capote, 1965/2006]p.242。

*[31] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1965年/1978年]p.393。

*[32] 【引用者註】首元を切った後の呼吸の音。

*[33] 【引用者註】上に同じ。

*[34] 【引用者註】クラッター氏のこと。

*[35] 【引用者註】無論、ここで撃ったんですね。

*[36] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.446。

*[37] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.437。

*[38] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.438。

*[39] 本文には、この論文の書誌情報は以下のようになっています。ジョセフ・サテン、カール・メニンジャー、アーウィン・ローゼン、マーティン・メイマン「明白な動機なき殺人――人格解体の研究」/『アメリカ精神医学ジャーナル』1960年7月号。実際にこの論文が存在しているのか、そもそもこの学者たちが存在しているのか、現段階では確認が取れていません。半分ぐらい疑ってかかっていますが、もし小説内偽装だとすると、途轍もない勉強量ですし、そうでなかったにしても、恐ろしい勉強量です。うん、まー、初出がThe New Yorkerだから、いくら何でも偽装ということはないかな。でも、カポーティならやりかねないですよね。

*[40] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.540。

*[41] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.541。

*[42] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.p.540-541。

*[43] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.541。

*[44] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.437。

*[45] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.438。

*[46] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.p.542-543、傍点翻訳書原文。

*[47] 【引用者註】ペリーのこと。

*[48] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.545。

*[49] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.569。

*[50] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.449。

*[51] [Truman Capote]。

*[52] In Cold Blood/『冷血』という題名の含意については大園弘さんの「『冷血』研究(2)」 [大園, 「『冷血』研究(2)――タイトルの多義性をめぐって」, 2010年3月]に詳細に述べられています。

*[53] ちょっと、出典が明らかではないので(恐らく村上さんの対談集『対談集 世界をボクらの遊び場に』1991年・講談社ではなかったかと思いますが、今手元にありません(´;ω;`))ので、引用、というか言及するのに気が引けるのですが、その当時、圧倒的な影響力を持っていた、小説家の村上龍さんが、音楽家松任谷由実さんとの対談の中で、「家族に愛されてなかった奴とは友達になれないですよね?」と言って、松任谷さんも「そーよね」と返していたようなおぼろげな記憶があります。場合によっては、その後、「(笑)」とか入っているような感じでしたが、それを読んだわたしは、確かにそうだ、村上さんとも、松任谷さんとも、確かに友達にはなれないな、と思った記憶があります。丁度、同じぐらいの時期に、タレントのタモリさんが長寿司会で有名になった『笑っていいとも』の看板コーナーが、翌日のゲストを友達がその友達を紹介していく「テレホン・ショッキング」というのがありまして、それを「友達の輪」と称していたようです。個人的にはタモリさんのことは好きなので、批判している訳ではありませんが、恐らく、この「友達の輪」の中には、カポーティもペリーもディックも、そしてわたしも入ることはできなかったでしょう。無論、カポーティにも、ディックにもペリーにも知り合いはいたでしょう。しかし、本当の意味での友達を紹介してください、と言ったら、どんな顔をしたことでしょうか?

*[54] [カポーティ ト. , 『クリスマスの思い出』, 1956年/1990年]。

*[55] [カポーティ ト. , 1951年/1971年]。

*[56] [クラーク, 1998年/1999年]p.41~。

*[57] [クラーク, 1998年/1999年]p.65。

*[58] [カポーティトルーマン, 2015年/2019年/2022年]。

*[59] [カポーティ ト. , 『誕生日の子どもたち』, 1945年~1995年/2002年/2009年]。

*[60] 【引用者註】作者を思わせる「語り手」のこと。

*[61] [カポーティ ト. , 『誕生日の子どもたち』, 1945年~1995年/2002年/2009年]p.28。

*[62]鸚鵡を始めとして本作に登場する「動物」の表象の意味については、大園弘さんの「『冷血』研究(4)」 [大園, 「『冷血』研究(4)――動物の表象」, 2011年12月]に詳しく述べられています。

*[63] [宮﨑, 2023年]。

*[64] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.p.170-171。

*[65] 巨大なオウムについての記述は他でも言及される。 [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.p.484-485、p.574など。

*[66] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.173。

*[67] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.p.171-172。

*[68] 【引用者註】沖釣り船のこと。

*[69] 【引用者註】彼らが現地で知り合った、ドイツ人の金持ちのこと。

*[70] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.220。

*[71] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]。

*[72] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]。

*[73] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.82。

*[74] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.83。

*[75] Wikipediaによれば以下の通りです。「フランソワ・ヴィヨン(François Villon [fʁɑ̃swa vijɔ̃], 1431年? - 1463年以降)は、15世紀フランスの詩人である。中世最大の詩人とも、最初の近代詩人ともいわれる。/1431年にパリ市内で生まれたとされる。父母とは幼少時に別れ(生別か死別かもはっきりしない)、親類であったギヨーム・ド・ヴィヨンという名の聖職者に引取られた。この時期から「ヴィヨン」の姓を名乗り始めた(当初の姓は「モンコルビエ」とも「デ・ロージュ」ともされるが、定かではない)。/ギヨームの援助もあってパリ大学に入学して同学を卒業したものの、在学時より売春婦やならず者といった輩と行動を共にしていた。1455年に乱闘騒ぎで司祭を殺してしまい、パリから逃亡してアンジュー近郊の窃盗団に加わる。その後再び罪を得て1461年にオルレアンのマン・シュール・ロワール(Meung-sur-Loire)の牢獄に投獄されたが、恩赦により出獄。1462年、淫売宿で強盗・傷害事件を起こして投獄され、一時は絞首刑宣告を受けたが、10年間の追放刑に減刑されて1463年にパリを追放された。その後のヴィヨンの消息に関する記録は一切無い。」 [「フランソワ・ヴィヨン」]。

*[76] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.7。因みに、旧・龍口訳では以下のようになっています。「われらがあとに生き残る情け深き兄弟たちよ。/われらに無慈悲なる心をもつなかれ、/なぜなら、もしわれらに憐みをもたば、/神もそなたらに感謝することあればなり。/フランソワ・ヴィヨン/〝絞首刑囚の墓碑銘〟」 [カポーティ ト. , 『冷血』, 1965年/1978年]p.6。

*[77] [Truman Capote]。

*[78] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.14。

*[79] [Capote, 1965/2006]p.15.

*[80] Weblio

*[81] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1965年/1978年]p.15。

*[82] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1965年/1978年]p.10。

*[83] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.31。

*[84] [Capote, 1965/2006]p.26。

*[85] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1965年/1978年]p.25。

*[86] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1966年/2006年]p.139。

*[87] [Capote, 1965/2006]p.84。

*[88] [カポーティ ト. , 『冷血』, 1965年/1978年]p.123。

*[89] [村上, 『ティファニーで朝食を』時代のトルーマン・カポーティ, 2008年]。

*[90] [カポーティ ト. , 『ティファニーで朝食を』, 1958年/2008年]p.222。