鳥  批評と創造の試み

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短篇小説のお手本とも言うべき佳品揃い ジェイムズ・ジョイス 『ダブリンの市民』

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短篇小説のお手本とも言うべき佳品揃い

 

ジェイムズ・ジョイス 『ダブリンの市民』


■James Joyce,Dubliners,1914/ジェイムズ・ジョイス『ダブリンの市民』
1914年/高松雄一訳・1972年・中央公論社/1987年・福武文庫/1999年・集英社

■短篇連作小説。

■全15篇・423頁。

■2023年4月15日読了。

■採点 ★★★☆☆

 

恐らく、40年ぐらい前に新潮文庫版で一読しているはずだが、全く記憶にない、というか、本作最終篇「死者たち」を原作とする、ジョン・ヒューストンの遺作となった映画『The Dead』(1987年)の物凄く暗鬱な画像の記憶しか残っていない。あるいは、それで読んだつもりになっていたのかも知れない。

いずれにしても、全くストーリーの欠片も頭には残っていなかった。

昨年、ジョイスの『ユリシーズ』(1922年)をテーマとする、on lineの公開講義「22Ulysses」を視聴する際に、本作も途中まで読んでみた。なかなか面白いということが分かったが、途中から仕事が忙しくなり[1]、敢え無く挫折の憂き目を見た。

この度、小林広直さん主催の『Deep Dubliners』Deep Dubliners ――ジェイムズ・ジョイス『ダブリナーズ』オンライン読書会 - STEPHENS WORKSHOP (stephens-workshop.com)という後継に当たる読書会が発足するに当たって、捲土重来を期して、最初から読み直してみた。

なかなか、いやいや、かなり面白かった。例の如くジョイスなので、深読みをする余地は相当あると思うが、『ユリシーズ』のように、最初っから、一体何を言ってるんだ? というようなことは全くなく、端正な短篇小説の、言ってみればお手本になるような佳品が揃っている。

アイルランドの首府でありながら、ダブリンというヨーロッパにあっては辺境の地方都市に生きる市井の人々、老若男女を描きつつ、人間という存在の普遍的とも言い得る、「光」の部分と「闇」の部分を丁寧に描き取っている。見事、というしかない。

取り分け、幾分年長の少女への、少年の淡い思慕を描いた「アラビー」は、阿部昭の「あこがれ」との題で知られる「幼年詩篇[2]を想起させ、興味深かった。

また、ジョイス本人は不出来としたらしい[3]が、中年男性の屈折した心理と行動を描いた「痛ましい事故」も、個人的には大変興味深いものであった。これまた、全く関係ないが、村上春樹が、重訳ながら翻訳して本邦に広く知られるところとなった、ノルウェイのダーグ・ソールスターの『Novel 11,Book 18』(2015年・中央公論新社)に何となく雰囲気が似ている(気がする)。

そして、言うまでもないことだが、本作の要の石とも言うべき存在が、先に触れた「死者たち」/”the Dead”に他ならない。村上春樹の短篇小説に、主人公が寝静まった夜、階下の広間では密かに幽霊たちが舞踏会を開いているという「レキシントンの幽霊[4]というものがあるが、老姉妹の主催する舞踏会に集った人々が、よくよく考えてみるとあたかも死者たちのようにも思えてくるから、恐ろしい。無論、そんなことはないのだが、いずれにしても、今を盛りに生きている人々も、やがては思い出の死者たちと入り交じり、雪が降り積もるかのように、時の堆積が生者たちと死者たちに降り積もるのであろう。

それにしても、この最後の、中篇に近い短篇で、華やかなパーティーのシーンから一転変わって、そのパーティーを手際よく閉めたゲイブリエルが、ホテルに戻ってから唐突に妻に欲情(性=生の象徴か?)したものの、更に突如として、その妻に、死者となったかつての恋人の思い出話をされ、興覚めし、死者たちのことを思う、という生から死への展開は、まさに巧みと言わざるを得ない。

しかしながら、ここまで、小説の技量を極めたと思われるジョイスが、この後、第一長篇小説『若き芸術家の肖像』(1916年)を経て、かの『ユリシーズ』、そして『フィネガン(フィネガンズ)の(・)通夜(ウェ)祭(イク)』(1939年)という、言わば反文学、反小説とも言うべき境地に達したのは何故なのか、大変興味深い。何が、ジョイスをして、このような「言語の牢獄」へと追い遣ったのであろうか?

 その種子は、既にして、この、著者にとって最初で、最後となった短篇小説集の中にこそ、撒かれているのだと思われる[5]

🐣

20230430 1109

 

 

 

*[1] なんと、昨年の3月頃までは無職だったのだが、丁度、この『ダブリンの市民』や『ユリシーズ』を読み始めた頃には、短期のバイトでKR省の下請けのSKTのCCにYまで行っていたころだった。いやいや行っていたので(金は良かったが)、一週間で辞めてしまったのを思い出す。多分バイトとしては、相当楽な方だと思うが、なんだか凄く心が荒んだ気がする。俺の心が弱すぎるのだろうな(´;ω;`)ウゥゥ。

*[2] 阿部昭『大いなる日・司令の休暇』1990年・講談社文芸文庫

*[3] 訳者解説/本書p.396。

*[4] 1996年・文藝春秋

*[5] 詳細は別稿「謎々Dubliners」にて。