鳥  批評と創造の試み

主として現代日本の文学と思想について呟きます。

大江健三郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます

大江健三郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます

 

 



 

  2023年3月3日、小説家の大江健三郎さんがお亡くなりました。88歳だったとのことです。 

 ここに謹んで哀悼の意を表し、大江さんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。  

 丁度10年前になる2013年に、遂に本当の 「最後の小説」になってしまった『晩年(イン・レイト)様式集(・スタイル)』を発表されてから、新作の発表はなく、全15巻に及ぶ『大江健三郎全小説』(2018年~19年)を刊行されていたこともあり、これはもしやとも思っておりましたが、われわれ一般読者からすれば、突然の訃報に言葉が見つかりません。

 一言で大江さんの文学的達成を振り返ることは大変困難ですが、また、あくまでも個人的な見解ではありますが、相当初期の段階で、大江さんが生来、持ち得た小説世界を出し切ると同時に、まさに「個人的な」悲惨な「体験」を通過することで、何度も、何度も、その文学的な危機を強い意志力と批評的方法で乗り越えて来た、と言えるのではないかと思います。

 誰しもが指摘することですが、「死者の奢り」(1958年)、「飼育」(1958年)など初期の短篇群の、安易な言葉ですが、天才としか言いようのない、言語による濃密な世界の構築には舌を巻きますが、大江さんの素晴らしさ、恐ろしさはそこに留まるものでは、無論ありません。

 小説的には何度も陥った危機的な状況を、 専門的な学者になってもおかしくはない、驚異的な読書量と批評的方法により打開してきました。その達成のツイン・ピークスこそが『同時代ゲーム』(1979年)と『懐かしい年への手紙』(1987年)に他なりません。

 その後、大江さんは自家撞着的な迷路に陥り、その文学的業績を終えた、と考えています。

 大江健三郎、と言えば、難解な作品という印象があるのかも知れませんが、わたし個人の感想は、少なくとも中期の作品までは途轍もなく面白い、ということに尽きます。その嚆矢は義兄・伊丹十三さんをモデルにして描いた『日常生活の冒険』(1964年)かと思います。

どこかで大江さんが、確か『同時代ゲーム』のことだったかと思いますが、新幹線に乗っている青年が『同時代ゲーム』を読みながら笑う様子を想像して書いた、というようなことを述べていましたが、まさに、わたしにとっての大江文学とはそのような存在でした。

 その意味でも、反核平和運動に関わる発言はともかく、文章として発表されたものは、「作品」になり得ていたのか、未だに疑問が残りますし、新宗教運動に材と取った『燃え上がる緑の木』三部作(1993年~95年)や『宙返り』(1999年)などの、――言葉は難しいですが、「安易さ」、「安直さ」に鼻白む思いですし、『取り替え子(チェンジリング)』(2000年)以降の自己作品に対する自己言及の迷宮振りは目を覆うものがあったかと思いますが、あくまでも個人的意見です。今読み返すと、また違った感想が浮かぶのかも知れません。

 蓮實重彦さんがコメントされていたように*[1]、無論、ノーベル賞云々と大江さんの偉大さは全く無関係です。そういう表面的なことではなくて、何度もこれが「最後の小説」だと、知力と精神力、意志力を総動員して立ち上がって、営々として成し遂げられた文学的総体こそ、大江健三郎文学なのだ、と言いたい気がします。

 わたしにも、大江さんの100万分の1ほどの意志力が備わっていれば、少なくとも『同時代ゲーム』と『懐かしい年への手紙』が何故面白いのか、何故文学的評価に値するのかを書きたいのですが、残念ながら、そうもいかないようです。

 大江さん、安らかにお睡り下さい。

 

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20230315 2154

 

鳥の事務所

 

*[1] 「文芸評論家の蓮實(はすみ)重彦さんは「大江さんはノーベル文学賞を取ったから偉いのではありません。ノーベル賞とは関係なく、元々偉い作家なのです」と悼んだ。」(『朝日新聞デジタル』2023年3月15日閲覧)