鳥  批評と創造の試み

主として現代日本の文学と思想について呟きます。

謎々『ダブリナーズ』その1 『ダブリナーズ』「姉妹」を読む

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The Sisters

 

謎々『ダブリナーズ』その1

『ダブリナーズ』「姉妹」を読む

 



【凡例】

・『ダブリナーズ』からの引用は新潮文庫版による。鼎訳・巻数、ページ数で示す。単行本からの引用は、鼎訳・単行本・巻数、ページ数で、柳瀬尚紀訳からの引用は、柳瀬訳・ページ数で示す。また、英語原文はwebサイト『Project Gutenberg(プロジェクト・グーテンベルク)』(Ulysses by James Joyce - Free Ebook (gutenberg.org))によった。

・『新英和中辞典』(研究社・電子版)はwebサイト「weblio」からの引用であり、以下「新英和」と略記し、最終更新日、閲覧日については省略する。一般的な訳語についての語註は「weblio」の見出しから取り、「weblio」と表記する。

・綿貫陽、宮川幸久、須貝猛敏、高松尚弘、マーク・ピーターセン『徹底例解ロイヤル英文法』改定新版・2000年・旺文社からの引用は「ロイヤル」と略記する。

・引用文の傍線(下線)、傍点の類いは何の断りもない場合は引用者によるものである。

 

  • この短篇小説の題名は何故、「姉妹」/“The Sisters”なのでしょうか? 視点人物は少年「僕」/“I”で、彼の行動と心情が中心的な流れになっています。「姉妹」はどちらかというと見られる存在でしかありません。何故「姉妹」なのでしょうか? また、原題の“The Sisters”の“The”はどういう含みのある“The”なのでしょうか?
  • 夕食として「オートミールの粥」(11)/“stirabout[1]”が出されていますが、これはアイルランドでは普通のことなのでしょうか? それとも、この少年が暮らす一家が貧しかったのでしょうか? それとも、後出する「マトンの腿」(p.13)/” leg mutton”も、この少年は食べることができたのでしょうか? あるいは、この「マトンの腿」は大人用だったのでしょうか? 
  • 「マトンの腿(もも)」(p.13)/“leg mutton”ですが、高松訳では「羊の臑(すね)肉(にく)」(単行本12、文庫p.9)となっています。“leg”は勿論、「脚」なので「腿」でも「臑」でも間違いではありませんが、この辺りはいかがでしょうか?
  • 柳瀬訳では“beady”(ビーズのような小さく丸く輝く、ビーズで飾った(weblio))を「当り眼」(13)[2]と訳しています。高松訳では単に「丸い」(単行本p.11)、「まるい」(福武文庫p.9)となっていますが、この「当り眼」は柳瀬氏の悪い癖で訳し過ぎではないのでしょうか?
  • 「僕」は何故「叔父・叔母」と一緒に暮らしているのでしょうか?
  • 何故、「叔父」は「僕」のことを「薔薇十字会」(13)/“Rosicrucian[3]”呼ばわりしているのでしょうか? 高松註によれば「閉じこもって夢のようなことを考えている少年への皮肉」(単行本p.12)とありますが、そうでしょうか? むしろ、少年「僕」は、外に出て、周囲の大人たちが敬遠? 忌避? するフリン神父と接触を図っています。とすれば、フリン神父の言動とそれに近づこうとする少年への不快感を「薔薇十字会」と言ったのでしょうか? そうすると、この場合、特に「薔薇十字会」という固有名詞には意味はないことになりますが、いかがでしょうか?
  • Q.「蠅帳」(14)/“the safe”とは何ですか?

A. safe:(肉類などの食料を保存しておく)はい帳.(weblio)/蠅帳(はいちょう、はえちょう)とは食事を一時的に保存するための工夫がなされた器具である。 「はえいらず(蠅入らず)」と呼ぶ地域もある。/家具/金網等を張って食物や食器を保管できるようにした家具。戸棚の前部や左右を薄布あるいは網で覆った造りになっており、蠅などの虫が侵入せず同時に通気性も保つようになっているものである。冷蔵庫が普及するまでは食品を保管するため重要なものであった。/折りたたみ式/食卓を覆うための傘状のカバーも「蠅帳」と呼ぶ。折りたたみ式の蠅帳は、金属製の骨組みでできており、中心部分に取り付けられている紐を引っ張ると傘のように薄布あるいはネットが四方に開くもので、食卓やテーブルに伏せる形で用いる。このような傘状で薄布が張られた折りたたみ式のものは、食卓覆い、食卓傘、キッチンパラソル、ランチパラソル、フードカバー、食卓カバーなどとも呼ばれる。(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

  • 原文“In the dark of my room I imagined that I saw again the heavy grey face of the paralytic.”を柳瀬さんは「部屋の暗がりの中で、中風患者のあの重苦しい灰色の顔に再び会えるのを想像した。」(柳瀬訳14)と訳し、高松さんは「部屋の暗がりのなかに、また、あの麻痺して動けなくなった病人の重苦しい灰いろの顔を見たような気がした。」(高松訳・単行本p.12)と訳しています。原文が” imagined “ですから、柳瀬訳の「想像した」というのが妥当かと思われます。高松訳だと、あたかも、少年「僕」がフリン神父の亡霊に憑りつかれているかのような誘導をすることになるかと思いますので、ここは訳し過ぎかと思いますがいかがでしょうか?
  • 「けれども灰色の顔はなおもつきまとう。その顔がつぶやく。何かを告白したがっているのだとわかった。」(14)/”But the grey face still followed me. It murmured; and I understood that it desired to confess something.”とありますが、これはどういうことでしょうか? この「灰色の顔」“the grey face”は、無論フリン神父の顔のことでしょうが、彼は一体何を告白したがっていたかと
  • 「自分の魂が何か心地よい悪の領域へ遠のいていくのを感じた。」(14)とありますが、これはどういう意味でしょうか?
  • 「布地物とは主に幼児用毛糸靴と傘だ。」(15)とありますが、これは当時のアイルランドでは一般に通じる表現だったのでしょうか?
  • 「ハイ・トースト」(p.16)とは何ですか?
  • 「あの人の死によって何かから解き放たれたかのような気分なのに気づいて」(16)とありますが、少年「僕」にとってフリン神父の存在は重荷だったのでしょうか?
  • 「嗅煙草」は本当に「両の鼻に押し込む」(17)ものだったのでしょうか? 呼吸がし辛くなりませんか? 何故、燃やして煙を吸う形ではないのでしょうか?
  • 「舌をだらんと突き出す」(17)というフリン神父の癖は単なる癖だったのか、あるいは病気か何かを意味しているのでしょうか?
  • フリン神父が「独りでくっくっと笑ってるみたいだった……。だから、もちろん、あの方たちがそれを見て、これは気がおかしくなったと思ったんです……。」(25)という箇所はどう取ればいいのでしょうか?

 

〈中絶〉

🐧

20230430 1854

 

*[1] 掻き雑ぜる;かき混ぜる;掻き混ぜる;掻混ぜる;掻き交ぜる(weblio)。

[2] ① 当たり散らす目つき。転じて、当たり散らす態度。やつあたり。あてつけ。/※浮世草子・新色五巻書(1698)二「『そなたは梶原いかずの紋。直白(したじろ)は御所の紋』とあたり眼(マナコ)の返答」/精選版 日本国語大辞典コトバンク

[3] ロージクルーシャン(weblio)。