鳥  批評と創造の試み

主として現代日本の文学と思想について呟きます。

あるべきものがない場所    村上春樹『ふしぎな図書館』・『図書館奇譚』

あるべきものがない場所

村上春樹『ふしぎな図書館』・『図書館奇譚』

 



 

 

村上春樹佐々木マキ 絵『ふしぎな図書館』・2005年・講談社

村上春樹・カット・メンシック イラストレーション『図書館奇譚』2014年・新潮社。

■絵本・短篇小説。

■前者20221120読了 後者20221116頃?読了。

■採点 ★★☆☆☆。

目次

1 4つのヴァージョン... 2

2 単純な話なのだが…….. 3

3 蔵書の不在... 5

4 地下は通過儀礼になったか?... 5

5 結論 母のいない場所... 7

主要参考文献... 8

 

 

 

 

 

1 4つのヴァージョン

 村上春樹の比較的長めの短篇小説「図書館奇譚」は、どういう訳か幾度かの転生をなしている。

 その書誌的な履歴を簡単に記すと以下の通りとなる。村上自身による本文の異同*[1]を「ヴァージョン」の違いとして示す。

ヴァージョン1

①雑誌『トレフル』に6回連載(1981年4月号~83年3月号)。

②短篇小説集『カンガルー日和』(1983年・平凡社)に収録。

③ ②文庫化(1986年・講談社文庫)。

ヴァージョン2

④作品集『村上春樹全作品1979~1989 ⑤ 短篇集2』(1991年・講談社)。

ヴァージョン3

⑤文庫サイズの上製絵本『ふしぎな図書館』(佐々木マキ絵・2005年・講談社)と改題され、刊行。

⑥ ⑤文庫化(2008年・講談社文庫)。

ヴァージョン4

⑦上製絵本『図書館奇譚』(カット・メンシック イラストレーション・2014年・新潮社)として刊行。

 

 ここでは、必ずしもそのような書誌的な研究めいたことがしたい訳ではないので、本文校訂まで踏み込む気はないし、そもそも、④が、現在手元にない(´;ω;`)。

 一旦、ここでは、⑥を基本として、それに関連する内容を③と⑤について参照することとする。

 

2 単純な話なのだが……

 正直な感想を言うと、わたし自身は、初読の時から、さほどこの話が面白いとは思えなかった。

 ストーリー的には、或る意味単純で、市の図書館に本を探しに行った少年が、地下に棲みついている老人によって、そこの牢屋に幽閉され、読書を強要され、脳を吸い取られようとする。そこを、謎の「美少女」と「羊男」の活躍によって、辛くも虎口を脱出する、という、取り立ててどうこう言うものではない。なんというか、即興ですらすらと書いてみました、というぐらいの印象である。

 ところが、無論、他からの要請があったということではあろうが、何故に4度も書き直しをしたのか。何か、村上自身の心のどこかに引っかかるものがあったのではないのか。

 というのは、この作品の「最終形態」*[2](? ヴァージョン4)はドイツの画家・カット・メンシックの手になるイラストレイションによる絵本、と言うよりもアート・ブックとでも言うべきなのか、そのシリーズの一冊になっている。そのラインナップは『ねむり』、『パン屋を襲う』、『バースデイ・ガール』となっており、もちろんそれを選んだのはドイツのデュモン社の編集者、あるいはそれと、イラストレイションを担当したカット・メンシックなのだろうが、この3作品は、村上自身の短篇小説の中でも指折りの佳品だと、少なくともわたしには思える。逆に言えば、この『図書館奇譚』だけが、その意味、価値をわたしが理解できていなくて、首を傾げたということになる。

 一体全体、この話『図書館奇譚』にはいかなる意味があるのであろうか。正直に申し上げて、未だにそれを理解したとは思えないが、以下、感想の一端を書いてみようと思う。

 

3 蔵書の不在

 まず、「図書館」と言う割には、いわゆる図書館の書棚に納められた人を圧倒する数多の書籍という情景が描かれない。主人公が借りる3冊の本は辛うじて存在するが、いずれにしてもさほど多くの本が登場する訳ではない。

 つまり、ここには在るべき本が存在しないのである。

 入口こそ図書館であったかもしれないが、そこは図書館ではなかったかも知れない。

 

4 地下は通過儀礼になったか?

 無論、蔵書が存在しないのは、主要な舞台が地下だからということもあるかもしれない。村上の図書館好きは広く知られるところであるが、それを圧倒(圧殺)するかのように、彼の無意識の「筆先」が、物語を地下へと誘引したのではないのか。村上の地下好きについても多言を要するまでもない。

 村上作品における「地下」的場所=井戸=穴=地下については、既に多く論じられていることであるが、基本的に、その「地下」経験を通じて、中心人物は何らかの内的な変化、変化を遂げる。言うなれば「通過儀礼」的な意味合いを持っているのである。

 ところが、本作の、自主性のない主人公*[3]は変わったか? 変わってない。この「冒険」を通じて、彼は何も変わらず、他者からの示唆を受け、他者の助けを借り、他者の力によって救われる。そして結局は全てを喪うのだ。それが成長ということなのだろうか?

幼少のころ、少年を噛んだ犬が何故、老人の配下となって、再び少年を噛み殺そうとするのか? この犬に噛まれることで、少年は内向的になり、母親も変わったとされる。  

普通に考えれば、これは単なる夢であろう。犬が襲い掛かるのも、反復的な強迫が夢に生じていたと思われる。彼は夢を見ていた、と考えれば、図書館からの帰宅後、母親の無反応も得心がいく。現実だから、母親の「影が濃い」*[4]のだ。ただし後者は「悲しそうに見えた」*[5]となっている。そして前者では不在のむくどりも後者では生きている。つまりなくなった(とされる)のは革靴だけなのだ。

 

5 結論 母のいない場所

つまりはこういうことか? 最終シーンで突然母親が死んだことを告げられるが、母の死後、「午前二時の暗やみの中で、ひとりで、あの図書館のことを考えている」*[6]その内容が、この話なのである。とすれば、夢?=回想?=想像? の中で、彼を支配し続けて、そして勝手に病気で死んだ母親=老人=犬を自らの意志によって、圧殺する物語なのではないだろうか?

もっと言えば、実際には、彼が母親を「何らかの手段」で「殺した」とも考えられる、と言うのは言い過ぎだろうか?

 すなわち、息子を犬に噛まれた母親は、その後過剰に我が子を囲い込むように保護する。その圧力に耐えかねた息子は、その母親を実際に? 比喩的に? 殺害し、誰もいなくなった家で、その顛末を「図書館奇譚」として回想として? 夢の中で? 再構成、再話するというストーリーではないか。

 したがって、本がない図書館、あるべきものがない場所、とは正に彼がおかれている場所なのだ。あるべき何がないのか。無論、母がいないのだ。愛情を持って接してくれる母親が存在しない、そういう場所に彼は生きているのだ*[7]

 

 

主要参考文献

加藤典洋. (2020年). 「第二部の深淵――村上春樹における「建て増し」の問題」. 著: 加藤典洋, 『村上春樹の世界』. 講談社文芸文庫.

村上春樹. (2002年). 『海辺のカフカ』上下. 新潮社.

村上春樹, カット・メンシック イラストレーション. (2014年). 「図書館奇譚」. 新潮社.

村上春樹, カット・メンシック イラストレーション. (2914年). 『図書館奇譚』. 新潮社.

 

 

 

 

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20221211 1904

 

*[1] 村上「あとがき」/[村上 カット・メンシック イラストレーション, 2914年]p.72。

*[2] 恐らく、この「最終形態」という言い方は間違いであろう。読者(評者)の立場では、いささか困ることではあるが、村上の中では、複数のヴァージョンが併存する、いわばパラレル・ワールドの状況になっていると思われる。これでとりわけ困るのが、村上が自作の翻訳を出版する際にも加筆・修正を加えている、という事実である。この問題はかつて加藤典洋が「第二部の深淵――村上春樹における「建て増し」の問題」 [加藤, 2020年]として論究した。

*[3] 本作の主人公の少年は一貫して、その受動性が指摘されている。以下引用ページは [村上 佐々木マキ絵, 『ふしぎな図書館』, 2005年]による。「ぼくは日にちや時間の約束はきちんとまもる。母にいつもそうするように言われているからだ。」(p.4)、「なにかわからないことがあったら、すぐに図書館に行って調べるようにと、小さいころからしつけられてきたのだ。」(p.10)、「ぼくはなにかをきっぱりことわるのがにがてなのだ。」(p.16)。他多数。

*[4] [村上 佐々木マキ絵, 『ふしぎな図書館』, 2005年]p.90。

*[5] [村上 カット・メンシック イラストレーション, 『図書館奇譚』, 2914年] p.69。

*[6] [村上 佐々木マキ絵, 『ふしぎな図書館』, 2005年] p.91。

*[7] 母親、母親的な存在、母なるものと図書館の類縁性については『海辺のカフカ』に登場する、高松の私設図書館・館長の佐伯という50代の女性の存在が想起される。主人公は、何故か、この女性を自身の母親かも知れないと思う。