鳥  批評と創造の試み

主として現代日本の文学と思想について呟きます。

勇者と言う勿れ 城山三郎『勇者は語らず』

勇者と言う勿れ

城山三郎『勇者は語らず』



城山三郎『勇者は語らず』1982年12月20日・純文学書下ろし特別作品(新潮社)。

■長篇小説。

■2022年12月5日読了。

■採点 ★★☆☆☆。

城山三郎



 経済小説*[1]、その、言うなれば「創業経営者」たる城山三郎の「純文学」という看板を掲げた、と言うよりも「純文学」*[2]という看板に真っ向から挑んだ、あるいは挑まされた*[3](?)書下ろしの一冊である。

 日本の企業には自動車の製作は不可能だと言われた時代から、日米経済摩擦を経て、「敵地」である自動車王国・アメリカでの現地生産に乗り出す、大手自動車会社の重役・冬木とその下請け会社の社長・山岡の苦闘に満ちた人生の歩みを描く。二人はかつての戦友同士ではあったが、今は親会社と子会社という厳しい利害関係に縛られている。とは言うものの、一貫してクールな冬木と、熱い人情家である山岡の好対照が物語を駆動させる。

 

 いずれにしても、テレ‐ヴィジョン・ドラマのような意味合いで、「ドラマ」としては面白かった。実際に、この小説はテレ‐ヴィジョン・ドラマとして日本放送協会の総合チャンネルにおいて放送された*[4]ようではあるが、そういう、一晩の夢の一駒としては、面白い作品ではあったと思う。

 とは、言うものの、小説としての造りは、流石に経済小説の雄とも言うべき城山の手になるものだから、手堅いものであることは論を俟たない。この点について強いて言えば、いささか、短過ぎて、物足らないぐらいで、もっと長尺で、話を膨らませても良かったようにも思う。

 ただ、問題は、書題、テーマともなっている「勇者は語らず」という点である。この物語は日米経済摩擦下におけるジャパン・バッシングの嵐の最中、日本の大手自動車製造会社の一つであるカワナ*[5]アメリカでの現地生産に乗り出す、というところが大きな背景となっているが、この書題は、主人公の一人である、大手会社の役員・冬木が、アメリカ人たちに日本車を叩かれ、実際に破壊されても、「勇者は語らず、さ」*[6]と、切り返すシーンによる。つまり、省エネ時代に大型車を作り続けたアメリカ人に対して、いち早く小型車を作り、自動車生産台数世界一になった日本は「勇者」だというのである。それではアメリカ人たちは臆病者なのか。というよりも、何も理解しようとも改善もしようともしない愚者だと言わんばかりである。愚者は不平不満を言い募り、場合によっては暴力も辞さぬが、「勇者」はそれに対して沈黙を守るのだ、とでも言いたいのであろうか?

 しかしながら、「勇者は語らず、さ」と嘯く、冬木に対して、もう一人の主人公である、その下請け会社の社長・山岡はこう独白する。「本当に勇者でしょうか、気が弱いだけではないのですか」*[7]。そう思う彼もその言葉を口に出しては言えず、沈黙を守る。結局は同じ穴の貉という訳か。

 恐らくは、日本の自動車産業を支え続け来、そして、親会社に無言の服従を強いられ続けた、数多の中小企業の社長たちこそが「勇者」なのだと、城山は言いたかったのかも知れない。

 しかしながら、この物語をして、平板なテレ‐ヴィジョン・ドラマを想起させるのはその辺りにあるのではないだろうか。中小企業の社長たちが勇者なら、その社員たちはどうなのか? またその家族はどうなのか? より一層強い忍従と沈黙を強いられていたはずだ。

 あるいは、自動車王国の王座を簒奪されたアメリカの側から見たらどうなのだろうか? ここには誰一人として冬木や山岡たちの生き方、あり方、考え方を批判する者は登場しない。強いて探せば、後に言及する感受性(センシティビティ)訓練(・トレイニング)(ST)という、或る意味、非日常な状況で、山岡の前に立ち塞がった「永(A)」という若者ぐらいだ。それすらもセミナー側が意図的に用意した「サクラ」であるとするなら、何と予定調和的な世界であることか。

 冬木の一人娘が心を病む(これも或る意味では仕事一辺倒の冬木の犠牲によるものだと言えなくもない)ものの、留学先のアメリカの風土では快癒に向かい、彼女なりの幸福を摑もうとする。

 それに対して、二人の主人公たちは自らを追い込むにように死地に向かい、一人は皮肉なことに自らが運転する車での自動車事故により重傷を負い、もう一人は過労のためか、心臓麻痺により呆気なく死を迎える。言うなれば、自らの命と引き換えに仕事を成し遂げてきた、ということなのか。

 冒頭に登場する感受性(センシティビティ)訓練(・トレイニング)(ST)によって、山岡は自らのそういう考えの殻を相対化したはずではないのか? しかし、それすらも会社の業績という点でしか捉えられなかった点*[8]に問題があったかも知れない。そのシーンに登場する、セミナー側の「サクラ」ではないかと疑われる「永(A)」という人物こそ、異彩を放ち、相対化の基準点にもなり得るものだったが、残念なことに、その後登場しない。そうなると、一体、このセミナーや、「永(A)」という反駁者が、この小説に登場する意味すらも理解し難くなる。

 

城山には「旗」という有名な詩がある。

 

旗振るな/旗振らすな/旗伏せよ/旗たため//社旗も 校旗も/国々の旗も/国策なる旗も/運動という名の旗も//ひとみなひとり/ひとりには/ひとつの命//走る雲/ 冴える月/こぼれる星/奏でる虫/みなひとり/ひとつの輝き//花の白さ/杉の青さ/肚(はら)の黒さ/愛の軽さ/みなひとり/ひとつの光//狂い/狂え/狂わん/狂わず/みなひとり/ひとつの世界/さまざまに/果てなき世界//山ねぼけ/  湖(うみ)しらけ/森かげり/人は老いゆ//生きるには/旗要らず//旗振るな/旗振らすな/旗伏せよ/旗たため/限りある命のために   

( [城山, 『城山三郎全集』第1巻, 1980年])

 

 皮肉としか言いようがないが、しかし、人間は、理想や、スローガン、掛け声といった、何らかの「旗」を必要とする生物である。そういう類の「旗」を振らざるを得ない生き物なのだ。無論、それは到底「勇者」とは言えないだろう。むしろ、「愚者」と言うべきかも知れない。だが、そのことを知悉した上で、「旗」を振るのと、そうでないのはまるで違う。

 

 話がいささか逸れるかも知れぬが、会社経営者にして詩人・小説家であった辻井喬堤清二)の作品を、あるいはこの横に置くべきかもしれない。詩人(あるいは批評家もそうかも知れないが)とは、恐らく、遠くから見る人のことだろう。あるいは遠くを見る人のことではないか。そこにいても、そこを見ないし、見えないのだ。文芸評論家・三浦雅士は辻井の死去に際して「心ここにあらず」*[9]との一文を草したが、まさにその通りかと思う。

 今手元に本がないのでうろ覚えで書くが、辻井の出世作と言える『いつもと同じ春』*[10]の冒頭で、高層ビルディングの上層階での会議の最中、屋上に翩翻と翻る旗をあたかも遠くにあるもののように呆然と見入るシーンがある。旗は彼が率いる企業集団の社旗であるにも関わらず。企業人としての堤清二は、あるいはその故に失敗したのかも知れない。しかし、この視点、この態度、この姿勢なくして、文学者・辻井喬の存在もなく、はたまた、一世を風靡した西武セゾン・グループの企業風土も存在し得なかったであろうことは言うまでもないことだ。

 以上余談であった。

 城山のスタンス、立ち位置からすれば、企業人を「勇者」と捉える視点は、或る意味、自然とも思えるが、「純文学」と言いつつ、「企業小説家」の殻を城山は、残念ではあるが、破ることはできなかった、と言わざるを得ない。

「勇者」など、どこにもいないのだ。

安易に、「勇者」と言う勿れ。

主要参考文献

三浦雅士. (2014年). 「心ここにあらず」. 『新潮』2014年2月号.

城山三郎. (1980年). 『城山三郎全集』第1巻. 新潮社.

城山三郎. (1982年). 『勇者は語らず』. 純文学書下ろし特別作品(新潮社).

辻井喬. (1983年). 『いつもと同じ春』. 河出書房新社.

 

 

4968字(13枚)

🐤

20221211 1549

 

*[1] と言うよりも企業小説、会社人間小説、とでも言うべきか。

*[2] 本書は新潮社のかつての肝煎りの叢書である「純文学書下ろし特別作品」の一冊として刊行された。市井に生きる人間の様を描くことことこそ「文学」だという自負が城山にはあったかも知れないが。

*[3] webサイト「jun-jun1965の日記」(https://jun-jun1965.hatenablog.com/entry/2021/04/30/110016)の2021-04-30更新「純文学書下ろし特別作品(新潮社)」によるとこのシリーズの履歴は以下の通り。二つ目の西暦は文庫化された年。「充たされた生活 石川達三 1961(白) 1980 浮き灯台 庄野潤三 1961 砂の女 安部公房 1962(白) 1981 恋の泉 中村真一郎 1962 花祭 安岡章太郎 1962(緑・青) 1984 遠い海の声 菊村到 1963 個人的な体験 大江健三郎 1964(白) 1981 聖少女 倉橋由美子 1965(朱) 1981 白きたおやかな峰 北杜夫 1966(白) 1980 燃えつきた地図 安部公房 1967(黒) 1980 沈黙 遠藤周作 1966 (白) 1981 輝ける闇 開高健 1968 (黄土)1982 海市 福永武彦 1968(海青) 1981 懲役人の告発 椎名麟三 1969 (臙脂) 化石の森 石原慎太郎 1970 1982 回転扉 河野多恵子 1970(濃紫) 橋上幻像 堀田善衛 1970 (黒) 恍惚の人 有吉佐和子 1972(朱) 1982 酔いどれ船 北杜夫 1972 (水) 1982 箱男 安部公房 1973(濃赤) 1982 死海のほとり 遠藤周作 1973(白)1983 洪水はわが魂に及び 大江健三郎 1973(緑) 1983 四季 中村真一郎 1975(ピンク) 1982 ある愛 中村光夫 1976(黄) 火山の歌 丸山健二 1977(橙) 密会 安部公房 1977.12(黄土) 1983 夏 中村真一郎 1978(水) 1983 比叡 瀬戸内晴美 1979(朱) 1983 同時代ゲーム 大江健三郎 1979(黄土)1984 侍 遠藤周作 1980(水)1986 帰路 立原正秋 1980(装幀)1986 雪女 森万紀子 1980 秋 中村真一郎 1981 勇者は語らず 城山三郎 1982 1987 裏声で歌へ君が代 丸谷才一 1982 1990 装いせよ、わが魂よ 高橋たか子 1982 地の果て 至上の時 中上健次 1983 1993 方舟さくら丸 安部公房 1984 1990 虚航船団 筒井康隆 1984 1992 冷い夏、暑い夏 吉村昭 1984 1990 冬 中村真一郎 1984 路上の人 堀田善衛 1985 1995 太陽よ、怒りを照らせ 佐江衆一 1985 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 村上春樹 1985 1988 ぼくたちの好きな戦争 小林信彦 1986 1993 アマノン国往還記 倉橋由美子 1986 1989 スキャンダル 遠藤周作 1986 1989 仮釈放 吉村昭 1988 1991 時を青く染めて 高樹のぶ子 1990.4 1993 みいら採り猟奇譚 河野多恵子 1990 1995 世界でいちばん熱い島 小林信彦 1991 1995 冬の蜃気楼 山田太一 1992 1995 怪物がめざめる夜 小林信彦 1993 1997 マシアス・ギリの失脚 池澤夏樹 1994 1996 青春 林京子 1994 ムーン・リヴァーの向こう側 小林信彦 1995 1998 「吾輩は猫である」殺人事件 奥泉光 1996 1999 終りなき祝祭 辻井喬 1996 1999 争いの樹の下で 丸山健二 1996 1999 敵 筒井康隆 1998 2000 高らかな挽歌 高井有一 1999

虹よ、冒涜の虹よ 丸山健二 1999 2003 血の味 沢木耕太郎 2000.10 2003彗星の住人 島田雅彦 2000.11 2007」以上のように見てくると、1980年の立原正秋『帰路』の辺りからいわゆる「純文学」畑ではない作家も混じり始める。立原の立ち位置はいささか判断に迷うが、城山をして純文学の作家とする者はいないであろうから、この作品はその試みの嚆矢とも言うべきか。 

*[4] 1983年2月7日から2月10日にNHK総合で、「テレビジョン放送開始30周年記念ドラマ」として放送された(全4回)。

*[5] 本田技研がモデルのようである(ウィキペディア)。

*[6]  [城山, 1982年]p.189。

*[7]  [城山, 1982年]p.189。

*[8] [城山, 1982年]p.195。

*[9] [三浦, 2014年]。

*[10] [辻井, 1983年]