鳥  批評と創造の試み

主として現代日本の文学と思想について呟きます。

謎々『ユリシーズ』その18 抒情への敗北 ――「第18挿話 ペネロペイア」を読む

ⅩⅧ

Πηνελόπη



バチカン美術館(ピオ・クレメンティーノ美術館)に所蔵されているペーネロペーの像(wikipediaより援引)。

 

 

謎々『ユリシーズ』その18

 

抒情への敗北

――「第18挿話 ペネロペイア」を読む

 

 

【凡例】

・『ユリシーズ』からの引用は集英社文庫版による。鼎訳・巻数、ページ数で示す。単行本からの引用は、鼎訳・単行本・巻数、ページ数で、柳瀬尚紀訳からの引用は、柳瀬訳・ページ数で示す。また、英語原文はwebサイト『Project Gutenberg(プロジェクト・グーテンベルク)』(Ulysses by James Joyce - Free Ebook (gutenberg.org))によった。

・『新英和中辞典』(研究社・電子版)はwebサイト「weblio」からの引用であり、以下「新英和」と略記し、最終更新日、閲覧日については省略する。一般的な訳語についての語註は「weblio」の見出しから取り、「weblio」と表記する。

・綿貫陽、宮川幸久、須貝猛敏、高松尚弘、マーク・ピーターセン『徹底例解ロイヤル英文法』改定新版・2000年・旺文社からの引用は「ロイヤル」と略記する。

・引用文の傍線(下線)、傍点の類いは何の断りもない場合は引用者によるものである。

 

 

〈登場人物〉

〈登場人物〉(モリーの想念のなかでの)

  • ブルーム
  • 《途中》

 

  1. 英語原文は単にピリオド、カンマの類いがないだけなので、鼎訳のような読み辛さはさほど感じません。旧鼎訳のようにほとんど仮名書きにするとか、新鼎訳のように中途半端な漢字の使用とか、いささか考え過ぎのような気もします(考え方によれば改悪になっているかも知れませんが)。単に句読点を省くだけでよいのではないでしょうか? そもそも旧鼎訳、というよりも、少なくとも本挿話と第14挿話については丸谷才一さんの好みが色濃く出ていると考えられます。大体、丸谷さんが訳した(とされている)第11・12・14・18挿話の訳文に他の二訳者や校訂役を務めたと思われる結城英雄さんが露骨な口出しをするというのはいささか考えにくいところです。旧訳での第18挿話がほとんど平仮名書きだったのは、女性の(無)意識の流れ→日本女性による平仮名の発明とその使用→日本中世における「女流」文学の隆盛、というような意識が働いたのではないかと思いますが、これは個人的な見解ですが、本挿話は、余りにも、そのような「女性性」、「女らしさ」、「女神性」、「聖母性」、「女性の持つ救済力」などに余りにももたれかかれ過ぎではないでしょうか? 無論、原文のジョイスにもそのような側面があることは否定できませんが(ジョイスの原文はもう少しフラットな感じがします)、丸谷さんの訳文が、さらにそれを(過剰に)助長してしまっていないでしょうか?
  2. 鼎訳で反復される「Yes」はこのままでよいのでしょうか? プロでもそれは無理だとおっしゃるかもしれませんが、そこを何とか、日本語にするのが翻訳ではないでしょうか。つまり、「Yes」で通じるからいいのだということではないと思います。共通するニュアンスは「これでいいのだ!」という肯定感だと思いますが、これだと長いし、例の「バカボンのパパ」の台詞を想起させるので、「いいわ」ぐらいではないでしょうか? また、それとは別に訳語が固いのも気になります。原文の調子が今一つわたしには分かりかねますが、半醒半睡の状態での言葉と考えると意識レヴェルが高いかな思います。例えば「he never did a thing like that before」(1511)/「先にはぜったいにしなかったこと」(p.279)の「先には」。元が「before」なので、間違いではありませんが、普通は「前は」ではないでしょうか。こういったところのニュアンスの違いというのは、無論個人の趣味とは言え、いささかならず気になるところです。本来こういう問題は、専門の研究者や翻訳家ではなく*[1]、本来小説家である丸谷才一さんの自家薬籠中のものとも思いますが、少なくとも『ユリシーズ』の翻訳については充分、そのお力が発揮されていない気がします。それともあえて、ゴツゴツした歯応えのある訳文を心がけられたのでしょうか? さらに言うと、擬古文ならぬ、いわゆる「擬女性語」も気になります。ここでは「先にはぜったいにしなかったこと」(p.279)の「よ」です。無論、原文にはそのような表現はないはずです(多分)。その上で、こんなことを実際に言うでしょうか? 20世紀初頭という時代状況を考えると、日本語ではそれなりに女性語というのがあったとは思います。しかし、ここではモリーの想念の世界ですから、そんな風に人は考えるでしょうか? 
  3. 訳註によれば「ブルーム夫妻は一八九三年から九四年まで、あるいは一八九四年から九五年まで、このホテルにいた」(457)とありますが、さほど裕福とも思えない彼らがホテル住まいをしているというのは、そもそも、この「シティ・アームズ・ホテル」というのが、どちらかと言えば、下級クラスの、つまり、自力で住居を確保できない人々向けの「ホテル」ということでしょうか? その割には、その後、ということでしょうが、ブルーム家には「女中」さんがいたようですが(p.283)、それなりの階級の出身ではあるが、それと比較すると貧しかった、という感じなのでしょうか?
  4. 「when he used to be pretending to be laid up*[2] with a sick voice doing his highness*[3] to make himself interesting for that*[4] old faggot*[5] Mrs Riordan that he thought he had a great leg of(……)」/「あのころあの人は亭しゅ関ぱくでいつも病人みたいな声を出して病きで引きこもってるみたいなふりをしていっしょけんめいあのしわくちゃなミセスリオーダンの気を引こうとして自ぶんではずいぶん取り入ってるつもりだったのに(下略)」(279)とありますが(以下鼎訳からの引用は適宜通常の漢字仮名混じりとする)、①「亭主関白」と「病気みたいな声を出」す、あるいは「病気で引きこもっているみたい」がそぐわない気がしますし、そもそも、この訳文だと、その目的が「ミセス・リオーダンの気を引」くためと取れます。「doing his highness」の「his highness」を「殿下」と取って、「亭主関白」としたのでしょうが、それはちょっと違う気がします。少なくともブルームのキャラ設定的にモリーに対して高圧的に振る舞うというのはいささか納得できません。さらに言えば、その目的は「to make himself interesting」なので、「自分を面白がらせるために」=「自分で面白がって」していることなので、或る種の「気位の高さ」を演じながら「病人っぽく」振る舞っていたということでしょうか? ②しかしながら、それが「ミセス・リオーダンの気を引」くためというのは理解出来ません。確かにブルームに好色の面は多分にありますが、流石に老女の域に達しようというリオーダンまで手を伸ばそうというのはいささか考えにくいところです。恐らく、単に、独り身の老女を心配して、何くれと世話を焼こうとして、その意味での「気位の高さ」を演じていたのではないか、とも思いますが、いかがでしょうか? したがって、この箇所はこう解釈をしました(句読点は入れました)。「あんとき、うちのは面白がってどっかの殿下みたいに病弱な声で病室に引きこもっているような振りをよくしていたなあ。そんであれは足長おじさん気取りで肉団子みたいなミセス・リオーダンに(下略)」(試訳)。いかがでしょうか?
  5. ミセス・リオーダンは「地しんのことやらこの世の終りのことやら」(279)/「earthquakes and the end of the world」(p.1511)ばかりをおしゃべりしているとモリーは嘆いていますが、何か伏線というか、背景があるような気がしますが、いかがでしょうか?
  6. 「lownecks」(1511)は「デコルテ」と訳されているようですが、この場合のデコルテとは何でしょうか? 「ウィキペディア」によれば「デコルタージュ・デコルテDécolletage(仏), Décolleté (仏)/服飾において、襟を大きく開け、胸や肩、後背部をあらわにするデザインのこと。ローブ・デコルテを参照。/英語圏・日本においての誤用。胸の谷間を指し示す用語。服飾以外ではこちらの意味ととることが少なくない。」とありますが、ミセス・リオーダンが下品だと指弾しているところから、後者の意味でしょうか?
  7. 「and her dog smelling my fur and always edging to get up under my petticoats especially then」(1512)/「それからあのおばあさんのかっている犬のやつあたしの毛がわのにおいをかいでしょっちゅうあたしのペチコートの下にもぐりこもうとしてあれのときにはなおさら」(p.280)とありますが、「then」を「あれのとき」と訳すのはいかがなのでしょうか? 「そのとき」だとして、「そのとき」とは一体何を指すのでしょうか?
  8. 「(……)and the last time he came*[6] on my bottom*[7] when was it(……)」(p.1514)/「この前あたしのお尻にしたのはいつだったかしら。」(284)とありますが、何故、ブルームはモリーの「on my bottom」/「お尻の上に」に射精(?)したのでしょうか? 挿入していて、最後抜いて発射したというよりも、印象論ですが、性交の形ではなく、ブルームが寝ているモリーの尻の上に出したようにも思えます。それはブルームが自身の性病を疑っていることや、あるいは、この夫婦が何となく性交の機会を失っているにも関わらず、相変わらずブルームの(そして、またモリーの)性慾は衰えることを知らない、ということもあるのかとも思いますが、いかがでしょうか?
  9. それにしても、モリーとボイランは本当に性関係を結んだのでしょうか? 時代やお国柄が違うとは言え、出先での出来事であれば、まだ理解できるのですが、自宅で夫のいないすきに、というのも、その夫が暫く帰宅しないということであれば、まだあり得るとは思いますが、夜まで帰ってこない、その夕刻の数時間で、ことを致す、というのはなかなか危険な試みではないかと思います。仮にボイランの立場で言えば、危険を避けるために巡業先で思いを果たすか、どうしても、ことを急ぐのであれば、どこぞのホテルのようなところに呼び出す、というのが妥当な判断でしょう。また、モリーの立ち場でも、そうなることを期待して、男を呼ぶというのはどうかと思いますし、普段、ブルームと、性関係は途絶えているにせよ、そのベッドで、新しい男とことを致して、更に、シーツも替えず、その痕跡(と言っても瓶詰肉を食べた跡)を残したまま、夫の帰宅を迎えるというのも、いくら何でも、大雑把過ぎる気もします。ブルームへの当て付けと考えれば、つまり、ばれてもOK、むしろ、波風を立てたい、と思っているなら、まあ、確かに、そうかも知れない、そもそも、モリーはそういう大雑把なところがあることは確かかと思いますが、で、あれば、実際に実事に及ばなくても、もっと、目立つところで、大ぴらにブルームにあてつければよいのにとも思います。以上のような意味で、ボイランとの、余りにも煽情的な性交シーンも、実はモリーの妄想ではないでしょうか? 無論、ボイランは訪問して、それなりのアプローチをしたのだとは思いますが。いかがでしょうか?
  10. モリーは不倫相手のことを「Boylan」/「ボイラン」つまりファミリー・ネイムで呼んでいますが、これは普通のことなのでしょうか? どうしてファースト・ネイムで呼ばないのでしょうか?
  11. 「he touched me」(1517)/「彼があたしにさわりました」(p.286)という箇所の訳註によれば「「彼」はモリーの告解の主体。」(p.459)とありますが、「告解の主体」とは何のことでしょうか?
  12. 「whatever*[8] way he put*[9] it I forget no father and I always think of the real father what did he want to know for when I already confessed it to God」(1518)/「どんな言い方をしたかわすれたけどいいえ神父さまあたしはいつも本とうのお父さんのほうのことを考えてしまう何を知りたがっているのかしらとうにあたしは神さまにそのことをざんげしてしまったのに」(p.286)
  13. 何かの作品を読解、読み解くという作業は必然的に「切る」、「区切る」ということを伴います。一旦はそういう読みかたをせざるを得ませんが、実は『ユリシーズ』という作品は、むしろ切ってはいけない、可能な限り繋げて読むべきではないかと思いますがいかがですか?
  14. 「I always think of the real father」()
  15. 元の原文は女性的ではなく、むしろ日本語訳で受ける印象よりももっとフラットなものではないでしょうか?
  16. 「Yes」と並んで本挿話に頻出する「O」は「No」という意味ではないでしょうか? その前提でやはり日本語に翻訳すべきだと思います。
  17. 「Yes」を日本語の文脈に置くと語調が強過ぎませんか? つまり「ハイ」という断定性が強くなり過ぎるのだと思います。もっと多義性、含みを持たせるように、日本語では、「いいわ」とか「そーよ」ぐらいではないでしょうか?
  18. 「Yes」の持つ「肯定性」とモリーの「女性性」が相俟って、この小説内部の「物語」が持つ様々な問題点や矛盾や軋轢などがそこに回収されてしまうのが、個人的には、『ユリシーズ』のわたしにとってのかなり強いマイナス・ポイントです。言うなれば、あらゆることが「抒情」に吸い込まれていないでしょうか。一旦、これを「抒情への敗北」としておきます。
  19. モリーの独白・描写は男性目線の女性ではありませんか? 女性は違和感を感じませんか?

 

《この項続く》

 

6391字(16枚)

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20220801 0015

 

*[1] 丸谷さんの研究者や翻訳家としての実力を否定している訳ではありません。

*[2] lay up  使わずにおく、蓄える、しょい込む、働けなくする、引きこもらせる、(修理のために)係船する(weblio).

*[3] 高いこと、高さ、高位、高度、高率、高価、殿下(weblio).

*[4] for that それには;そのための;その為に(weblio).

*[5] 1*1肉だんご,ファゴット/2*2=fagot/3*3ホモ,おかま(Eゲイト英和辞典)。

*[6] come 《俗語》 オルガスムスに達する,「いく」(新英和).

*[7] 底、基部、(いすの)座部、尻、臀部(でんぶ)、最低の部分、末席、びり、ふもと、下(weblio).

*[8] [疑問代名詞 what の強調形として] 《口語》 一体何が,全体何を 《★【綴り】 特に 《主に英国で用いられる》 では what ever と 2 語に書くのが正式とされるが,最近では区別がなくなっている》.Whatever are you going to say? 一体全体何を言おうとしているのですか(新英和).

*[9] …を(あるふうに)言い表す(副詞(句)を伴う);…を〈…に〉(言葉で)表現する〈in/into〉;…を〈別の言語に〉置きかえる,翻訳する〈into〉(Eゲイト)。

*1:

*2:

*3:米俗