鳥  批評と創造の試み

主として現代日本の文学と思想について呟きます。

自転車

夢で遇いましょう 

 

 

 

自転車

 

こんな軽装で山登りなんて、と思われるかも知れないが、なにしろぶらっと家を出て、適当に、空想上の棒を倒した方角に、気の向くまま、脚の向くまま、歩き出しただけなのだから仕方ない。電車に乗り、バスに乗り、気が付いたら、なんだかとんでもない山の中にいた。何しろ、革靴で歩いているのだ。これは仕事用なのだが、会社に勤めているときは、プライヴェイトな休みとかがほとんどなかったので私用で履く靴を買ってなかったのだ。まー、仕方がない。だから、就職活動の面接に行くのも、近所のスーパー・マーケットに行くのも、この革靴を履いている。本当は2、3足揃えていて、常時履き替えるようにすればいいのだが、どういう訳か、40年前後サラリーマン生活を続けていて、ついぞ、その習慣は一切身に付かなかった。一足の靴を1年近く履き続けて、襤褸〳〵になり、これは流石に人間としてどうなんだ、というレヴェルになると、東友とかダイオーとかの格安スーパー・マーケットの生活用品売り場に行って最安値の商品を買ってくるのだ。要するに、これが貧乏人の銭失いということであって、そんな安物を買えば、すぐに履けなくなってしまい、結局またすぐに買う羽目になるのだ、だから、高価であってもきちんとした商品を買うべきである、というお考えを否定する気は全くない。全くその通りだと思う。それができればそうしていた。要は手持ちの自由になるお金があまりないので、そうならざるを得なかっただけなのだ。

これはサラリーマンの制服であるところの背広についても同様なことが言える。もう制服なんだから、デザインなんかどうでもいいので(という考え方がもうアウトなんであろうな)、一律に同じものを会社から支給して貰いたいものだ。

しかしながら、これは、結局のところ、自分がサラリーマンであることに本質的な異和感とでもいおうか、根本的なやる気のなさみたいなものが伏在していたので、かく、このようなどうでもいいや的な態度になってしまったのであろうな。ま、辞めてしまった今となってはどうしようもないことだ。

ま、そんな訳で、リュック・サックこそ背負っているものの、黒のスラックスに、ワイシャツ、その上に深緑のカーディガンという、山を舐めているのか、と叱責を被るだろう恰好だ。ちなみに、リュック・サックも仕事用であった。例の東北大震災までは普通の手提げ鞄だったのだが、その時に電車が止まって、自宅まで4、5時間かけて帰宅してみて、手提げ鞄、つまり片手が塞がっている状態で逃げるのは大変困難だということを痛感して、普段の通勤もリュック・サックを使用することになった。ま、それ以降大きな地震などはないが、まー、何が起こるか分からないからね。

で、そんな巫山戯た恰好で、木の切り株に一人腰かけていると、いわゆる山登りの完全装備をしたクライマーたちが、三々五々と、わたしに奇異な目を向けながら、挨拶をしながら、通り過ぎていく。

そもそも一体ここは何処なんだ。

電車を降りて、軽い気持ちで、ケイブル・カーに乗り込んで、その終点の土産物屋を後にして、暫く歩いたらこうなった。電波の状況も悪く、先程から、既に携帯電話は使えなくなっていた。わたしは、手首が痛くなるため腕時計をする習慣がないので、時間も分からない。恐らく、午後の、まだ早い時間だと思われるが、山の天気は変わり易いのと同様に、山の時間は早く通り過ぎる。これは空間が山塊のため物理的に曲がっているからそうなるのだ。アインシュタイン特殊相対性理論、第2法則である。したがって、もう帰る方向で準備をしないと、すぐにでも日が暮れてしまうであろう。

そうこうしているうちに、辺りの木々が騒めいている。地震のようだ。いや、地震だ。これは大きい。ここで来たか。地表がぐらりと揺れる。立ってられなくて、近くの樹木の幹に縋り付いて蹲る。遠くから、恐らく土砂のようなものが崩れる音と共に、何人かの人の叫び声が聞こえる。これは流石にやばいのではないのか? 山の斜面の上方を見るが、ただ、依然として木々、というより山の塊が塊ごと左右に揺れている。2分後だか、3分後だか、判断できないが、揺れが収まったようだ。こういう時、つまり、山の中にいて地震にあったらどうするか、みたいなことはついぞ聞いたことがない。一体どうすればいいのだ。

暫く辺りの様子を窺って、大丈夫ではないかと一旦判断をして山を下ることにする。幸い、どこも怪我はしていないようだ。10分程恐る恐る、下っていくと、5、6人の登山客が小径の上で固まっている。

どうしたんですか、と尋ねると、矢張り、人々はわたしの異相を訝し気に暫く眺めてから、山道が陥没していてこれ以上先に進めないのだと言う。確かに皆の肩越しに見ると、岩山に亀裂が入って、2、3メートルもの裂け目が拡がっている。なるほど、かといって、その2、3メートルの間を跳べばいいのではないかと、簡単に思われるかも知れないが、その裂け目の先にも岩くれが崩れ落ちたりしていてどうも危なそうだ。

比較的山に長じていると思われる、初老のクライマーが頻りに携帯電話で連絡を取ろうとしているが、どうも通じないようだ。誰が、どの携帯電話で連絡しようとしても、電波の状態が悪くて、全く通じないという。

さて、困った。

あんた、何しに来たの? と、その初老の登山家に、悪意なく尋ねられた。

いや、散歩です。

え? 家近いの? この辺?

いえ、神奈川の縦島です。

え? そんなところから? 散歩なの? 

ええ、まあ。はは。。。は。

それにしても、なんとかしなければならない。このまま野宿(ビバーグ)だと覿面(てきめん)に困るのは、私服姿で、ほぼ手ぶらーマンのこのわたしだ。さて、どうしたものか。きっと呆気なく死ぬだろうな。

すると、先程から山岳地図を拡げて子細に点検していた、30代ぐらいかと思われる、全く化粧気のない女性が、ここから10分程戻ったところが一番国道に近い。ただし、その国道へは崖を降りなければならないが、皆さんどうされますか、と一人呟くかのように言うではないか。

国道があったんかい。

別の、恐らく長いであろう髪を頭の後ろに丸く固めている若い女性が、崖ってどれくらいなのかと尋ねる。

10mぐらい、と地図の女性はこともなげに答える。

10m、そこにいた人々はいささか絶句する。

5分程話すともなく、なんとなく話し合って、結局、このままここにいても埒が明かないので、取り合えず、そこまで行ってみることにする。山道を辿りながら、皆の話を聞くともなく聞いていると、そこにいたのは6人で、わたしを入れると7人となる。そこには二つのグループが存在しているようであった。初老のクライマー、仮にAさんとすると、そのパートナーと思われる、矢張り初老の女性がいた。Bさんとしておこう。多分夫婦かとは思うが、世の中何が正解か分からないものだ。ま、夫婦であろう。この二人は随分山に慣れているような気配がする。頼もしいな。

それとは別に、先程の地図の女性、Cさん、ひっつめ髪の女性、Dさん、そして同じように20代から30代かと思われる二人の男性がいたが、この二人は全くの無口であった。Eさん、Fさんとしておこう。どうもこのグループは会社の研修かなにかで、ミッションを遂行中にこの惨事、という程のものでもないが、これに巻き込まれたようだ。ひっつめ頭の若い女性Dさんは先程から、ぶつくさ、研修? のことや、会社のこと、会社の、恐らく上司のこと、さらにはこの災厄についても心の底から呪詛の言葉を挙げ連ねていた。ついには、この地震と、崖崩れのことは事前に仕組まれたもので、わたしたちがどうするか見ているのよ、と言い出す始末だ。大分参っているようだ。それに引き換え、E・Fさんはあたかも影のように、完全な無言で、他の二人の女性に付き従っている。いや、これは、マジで影ではないのか、と疑われるぐらいに。あるいは、実は、二人の女性は高貴な方々で、警護のセキュリティ・ポリースが付き従っているのではないか。そう考えると、この男性二人の無言振りも納得できるし、二人の女性も、あるいはテレ‐ヴィジョンのニュースかなにかで見たかも、いや、お見掛けしたかも知れないと思えなくもない。と、すると、このお二方は御姉妹になるのか、うーん、似てないが。

さて、問題の現場に到着すると、さっきわたしがいた場所ののすぐ近くではないか。なんということか。確かに、足元には崖が垂直に滑り落ちていて、その下には、舗装された車道が目にされる。

それでは、と言って、初老のクライマー夫婦が、如何にも頑丈そうなロープや、結索具などをザックから出して(一体、何に使う心算だったのだろう)、比較的頑丈そうな岩にハンマーで器具を打ち込むと、パートナーと思われる初老の女性、あ、Bさんだった、Bさんの体に器具と共に縛り付け、するすると崖を下ろしていくではないか。呆気なく、Bさんは下界に降りた。あとはほぼ順にアルファベット順に、C、D、E、F、と降りて行った。するとわたしはGさんということになるのか。確かにな。

最後にAさんが降りて、どういう業か分からぬが、何か別の紐を引っ張ると、岩に突き刺さった結索具ごと、ロープも落ちてきて、回収が完了した。

国道には道の向こうに小さなドライブ・インらしきものがあった。覗いてみると営業中のようだったので、彼ら6人は休憩していくという。

さて、困った。わたしはとにかく早く帰りたいのだ。

こっからどうやって戻ればいいですか、と、そのドライブ・インのマスターのような、口髭を生やした中年の男性に尋ねると、バスが来るのは一時間以上後だという。

わたしが、困惑していると、その口髭マスターは、見かけとは違って、意外に親切で、自転車を貸してくれるという。それで降りて行けばまー30分ぐらいで着けるという。麓にここと同じ屋号のレストランがあるから、そこに返してくれればいい、という。というか、こんな山の中で自転車なんか使うんですか、と聞こうかとも思ったが、なんだか藪蛇なので、やめておいた。

同じ屋号? 辺りを見渡しても書いてないので、外に出て見てみると、確かにでかでかと、「ドライブ・イン LED」と看板に書かれていた。

ドライブ・イン・エル・イー・ディー、失礼ですが、変わった名前ですね。エコとか何とかですか?

そう。いや、そうじゃない。ドライブ・イン・レッドね。ルェッド。

ああ、レッド・ツェッペリンのレッドですね。

いや、いや、レッ・ゼペリン。

ああ、確かにね。イギリスでは、そうですね。

ノウ、ノウ、ノウ、UK。

――なんだ、このハード・ロック親父は? 

有難く、そのハードロック親父の愛用の? 自転車を拝借していくことにする。恐らく、この自転車も「レッド」号、とでもいうのであろう。

なんか食べて行けば、というその親父の言葉を丁重にお断りをして、わたしは颯爽と自転車に乗って、山の中の国道をハイ・スピードで駆け下りて行った。その自転車は、今はとんと見かけることのない、昔流行った27インチの車高、10段変速ギア、ドロップ・ハンドルという仕様で黄緑色の車体だ。高速で走行するタイプのものだ。もちろんペダルには足の脱落防止のカヴァーというかベルトも付いている。ドロップ・ハンドルというのはハンドルが羊の角の逆方向になるが下に半円状に曲がっているものだ。

これはわたしが中学校3年生の夏に、自転車は別に普通のものを持っていたにも関わらず、母に我儘を言って買ってもらったものだ。丁度そのとき、わたしの悪友仲間の中では、スケイト・ボードとそのスポーツ車が流行っていた。どっちにしようかと迷った挙句、受験前だという、よく分からない理由で、スケイト・ボードを止めて、自転車を買ってもらった。一人っ子だったので、我儘し放題だった。家が貧しい割にはとんでもない横暴ぶりだった。

わたしは、その夏、しばしば、大してしていない受験勉強のストレス発散で、そのスポーツ車で暴走行為を繰り返していた。近くに工業団地があって、昼間は何故か、ほとんど人も車も通行しない。なおかつ、車道が広かった。直線距離で1kmぐらいのその車道をしばしば全速力で疾走したものだった。なぜ、そんなことをしたのか、自分でもよく分からない。高校に入ると、その種のスポーツ車は使用禁止で、仕方なく、普通の自転車で通学していた。

結局、その後、大学に入って、ここは話せば長くなるのでショート・カットするが、スーパー・ダイオーの前に停めておいて、回収されてしまい、そのままになってしまった。全く酷い話だ。こんな出鱈目が許されていいのか、と今更自分で突っ込んでも仕方がない。

山の中とは言え、全てが下り坂という訳ではなく、多少のアップ・ダウンはあるものの、総じて、さほど苦労することもなく、むしろスピードが出過ぎないようにブレイキを適宜書けながら、疾走していった。超ウルトラ久し振りの自転車なので、恐らく30数年ぶりぐらいの自転車の走行である。いささか尻が痛いが已むを得ない。

30分も下ったであろうか。周りの山林が消えて、遠くの方に麓の街並みが見えてきた。すると、矢張り遠くの方に、以前勤めていた会社で同じ支社にいた倉敷君と思われる若い男性が、何故か、背広の上着を付けず、白いワイシャツ姿で、携帯電話で、にこやかに話しているのが目にされた。

おや、倉敷君だな、と一目で分かった。いい奴だったが、少し神経質なところがあって、それにも関わらず、若いのに、別の支社の支社長に大抜擢されると、営業成績の不振なんかのことで心をいささか病んでしまい、結局、呆気なく退社してしまった。その後は、小学校の先生になったと風の便りでは聞いていた。それにしても、何故、こんなところにいるのであろう。横には黒いトヨマ・カロールが、路肩に停めてあった。車を降りて電話しているのだろうか。

聞えてくるのは、ベイルートとか、原油価格がとか、航路の問題がとか、そういう類の言葉が聞こえてくる。なんだ、学校の先生ではなくて、石油の商社かなんかに入社したのだろうか。世の中、大変だな、そう思いながら、倉敷君の横を自転車で通り過ぎる。

わたしは原則として、外で知り合いに会っても絶対に挨拶をしない。完全に無視をする。とても恥ずかしいからだ。向こうから声を懸けられたら、已む無く、今日は、じゃあ、また、と言って即座にその場を離れる。

更に暫く下って行くと、左前方の、大きな川を渡った向こう岸に大きなスーパー・マーケットが目にされる。スーパー・シュンペイだ。ついでだから、買い物をして帰ろう。

ところが、それに気を取られていると、前方に、赤い服を着た小学生ぐらいの少女が、わたしの5mぐらい前に不意に飛び出してくる。

危ない。ぶつかる。

その少女はわたしの自転車に気付かないのか、向こうを向いたまま全く微動だにしない。避けようと思うが、ハンドルが効かない、というよりもわたしの手が全く動かない。何故だ。危ない。

よくみると、その少女は向こうを向いているのではなくて、顔がなかった。顔がないのだ。

 

自転車

夢で遇いましょう

 

6151字(16枚)

 

🐓

脱稿日不明

20220713 2235