鳥  批評と創造の試み

主として現代日本の文学と思想について呟きます。

謎々『ユリシーズ』その8   人喰い族から逃れて ――「第8挿話 ライストリュゴネス族」を読む

Λαιστρυγόνες



 

 

謎々『ユリシーズ』その8

 

人喰い族から逃れて

――「第8挿話 ライストリュゴネス族」を読む

 

【凡例】

・『ユリシーズ』からの引用は集英社文庫版による。鼎訳・巻数、ページ数で示す。単行本からの引用は、鼎訳・単行本・巻数、ページ数で、柳瀬尚紀訳からの引用は、柳瀬訳・ページ数で示す。また、英語原文はwebサイト『Project Gutenbergプロジェクト・グーテンベルク)』(Ulysses by James Joyce - Free Ebook (gutenberg.org))によった。

・『新英和中辞典』(研究社・電子版)はwebサイト「weblio」からの引用であり、以下「新英和」と略記し、最終更新日、閲覧日については省略する。一般的な訳語についての語註は「weblio」の見出しから取り、「weblio」と表記する。

・綿貫陽、宮川幸久、須貝猛敏、高松尚弘、マーク・ピーターセン『徹底例解ロイヤル英文法』改定新版・2000年・旺文社からの引用は「ロイヤル」と略記する。

・引用文の傍線(下線)、傍点の類いは何の断りもない場合は引用者によるものである。

 

 

 

l  挿話冒頭の訳者解説で、「飢えがその王アンティパネスに、歯がライストリュゴネス族に対応する。」(U-△Ⅰ,p.370)とありますが、単に「飢えがライストリュゴネス族に対応」ではなく、「飢え」と「歯」を分けて、それぞれ「王アンティパネス」と「ライストリュゴネス族」に分割して対応させているのは何か意味があるのでしょうか?

l  「学校のおやつにする」とブルームが推測した「パイナップル味の棒飴、レモン入りキャンディ、バタースコッチ」(U-△Ⅰ,p.371)を「クリーム菓子」(U-△Ⅰ,p.371creams)と彼は総称しているように読めますが、要は飴のことを通常「クリーム菓子」とは言わないと思いますが、このクリーム菓子は冒頭の「パイナップル味の棒飴、レモン入りキャンディ、バタースコッチ」とは無関係なのでしょうか? また、彼は「子供の胃(tummies)に悪い。」(U-△Ⅰ,p.371)とも思っていますが、我々の感覚では「胃」というよりも「歯」に悪い、だと思います。そもそもここの「tummy」という幼児語を「胃」とするのは奇妙なので、「ぽんぽん」か「おなか」でしょう。それにしても、多量の甘い食品を見て、胃への負担を想起するのはブルーム自身が胃に何らかの異常を感じているからとも考えられますが、そのような記述は少なくとも本挿話まではなかったと思いますが、今後の展開的にいかがでしょうか?

l  「シオンの教会の再建者、ジョン・アレグザンダー・ダウィー博士」(U-△Ⅰ,p.372)とありますが、彼はなぜ「博士」(Dr)なのでしょうか?

l   「腎臓の燔祭」(U-,p.372)の訳註で「古代ユダヤ教の儀式では、腎臓は神ヤハウェへの供物として祭壇で焼かれる特別な器官であった」(U-△Ⅰ,p.585)とありますが、腎臓を焼く、と言えば第4挿話で朝っぱらからブルームが腎臓を焼いて食していた(U-△Ⅰ,p.139)のが思い出されます。もし、ジョイスが訳注に記されていることを知っていたとすると、ブルームは「古代ユダヤ教の儀式」を期せずして執り行っていたことになります。そもそも、『ユリシーズ』冒頭においてもバック・マリガンが《ワレ神ノ祭壇ニ行カン》(U-△Ⅰ,p.15)と言って、何やら儀式を茶化していましたが、これは何を意味しているのでしょうか?

l   サイモン・ディーダラスが「子供を十五人産ませた」(U-△Ⅰ,p.373)というのは設定的に実話なのか、単なる噂、あるいはブルームの思い込みなのでしょうか? それにしても印象論ですが、時代が違うとは言え、15人は多い気がします。何かそのような多産とか繁殖させるとかの意味付けがディーダラス父には与えられているのでしょうか?

l   「かわいそうにあの子の服はぼろぼろじゃないか。」(U-△Ⅰ,p.374)の「あの子」とは、スティーヴンの妹のディリーのことですか? そうだとすれば、ディーダラス家はかなりの火の車であると想像できますが、その割にはディーダラス父は第6挿話や第7挿話の印象からするとぶらぶらと遊び歩いている気もしますが、葬儀のため、偶々のことだったのでしょうか? そう考えると、しばらく後に、「《ハムレットよ、わたしはおまえの父の亡霊だ、/いまだにこの世をさまよい歩く運命にある》」(U-△Ⅰ,p.375)とあるところを見ると、時としてブルームにはスティーヴンの視点が乗り移り(?)「さまよい歩く」父・サイモンをハムレットの父の亡霊として重ね合わせて見ているのだと言えば、言い過ぎでしょうか? 

l  屋台で売られている林檎を見て、ブルームは「オーストラリアものだろうな」(U-△Ⅰ,p.376)と推測していますが、林檎などわざわざ、それもオーストラリアなどから輸入しなくても、アイルランドのどこだって栽培されている気がしますが、そうでもないのでしょうか?

l  ブルームは食欲旺盛な鷗たちの様子から白鳥を連想し、「白鳥の肉はどんな味だろう?」(U-△Ⅰ,p.376)と独白していますが、普通、我々の感覚ではまず、白鳥を食べるという考えは浮かぶことはありません。何故、ブルームは白鳥を食べることを思いつくのでしょうか? それとも、ヨーロッパ、あるいはアイルランドでは鳥一般は食用の対象として考えられていたのでしょうか?

l  性病の広告から、訳注によれば、「ボイランが性病にかかっているかもしれないと心配している」(U-△Ⅰ,p.588)とありますが、いささか唐突な感があります。何か、ボイランがそうであるような伏線などあったでしょうか? あるいは、仮にボイランにその危険性があるとしても、ブルームの動揺振りはいささか常軌を逸している気がします。モリーへの感染を恐れる余りなのか、それとも、自らに累が及ぶことを恐れているのか。その割には、ボイランとモリーの密会を阻止しようとも思っていないようで、どうも腑に落ちないシーンですが、他に何か考えられることとかあるでしょうか?

l   「parallax」(視差/U-△Ⅰ,p.378)という言葉は『ユリシーズ』の中で都合7回登場しますが、近年で「パララックス」と言えば、スラヴォイ・ジジェクの『パララックス・ヴュー』(山本耕一訳・2010年・作品社)を想起します。柄谷行人はそれの書評において「パララックス(視差)とは、一例をいうと、右眼で見た場合と左眼で見た場合の間に生じる像のギャップである。カントの弁証論が示すのは、テーゼでもアンチテーゼでもない、そのギャップを見るという方法である。」と述べています(『朝⽇新聞』201037日)。全く次元、文脈が逸脱しますが、ジョイスにとっても、その文学創作上において極めて重要な概念ではないかと思いますがいかがでしょうか?

l  ブルームは集金で回った修道院のシスターについて「あの目はどう考えてもたしかに失恋した女の目だ。」(U-△Ⅰ,p.)と回想しています。同様にかつての恋人(?)ミセス・ブリーンについても「ミセス・ブリーンの女性の目が悲しそうに言った。(中略)とにかく目だけはまだ昔どおりだ。」(U-△Ⅰ,p.381)とも独白しています。他の箇所は探しきれなかったのですが、無論、ブルームの単なる思い込みなのかも知れませんが、女性の視線について、ブルームは特殊な感覚、あるいは美意識を持っていたようにも思います。それは、ブルームが幼年の頃から、周囲の、言外の視線から内心を読み取り、危機を回避しようとしてきたことと繋がるような気もしますが、いかがでしょうか?

l  初歩的な質問で恐縮ですが、ブルームに久し振りに再会したミセス・ブリーンは、彼に「—O, Mr Bloom, how do you do?」と挨拶をして、ブルームも同様に「—O, how do you do, Mrs Breen?」と返しています。「How do you do?」には「How are you?」と同じ用法があるようですが、これはアイルランド特有の用法なのか、旧時代の用法なのか、あるいはジョイス独特の逸脱した用法なのでしょうか?

l  今更ですが、どうしてミリーは家を出て写真屋に就職したのでしょうか?

l  ディグナム(Dignam)の名前は、『ユリシーズ』全体で合計で85回登場します。リアルタイムでは実際に登場しない、ということは、回想、というよりも、言及に近い登場の仕方ですが、彼が死者であることを考えると異様に多い気もします。同様にボイラン(Boylan)は72回登場し、それぞれ代名詞も入れれば、相当な数に上ると思われます。ボイランについては妻モリーの浮気相手であることが分かっていて、どうすることもできないブルームの、或る種の「影」、あるいは「もう一人の自分」、更に、あるいは自らの「可能態(デュナミス)」)」とも考えられるので、ブルームにとって重大な存在であることは間違いないので、この登場(言及)回数は一旦、問題なしとしますが、それにしても、ブルームは、あるいはジョイスは、更に、あるいは、ジョイスとは別の『ユリシーズ』の「語り手」は、何故に死者ディグナムにこだわっているのでしょうか?

l  ブルームは浮気相手を探すために「タイピスト募集」の広告を打った(U-△Ⅰ,p.393)のでしょうか? その割にはマーサ・クリフォードとは文通しかしていないようですし、尚且つ44通も応募の手紙を温存していることから見ても、余り真剣に浮気相手を探しているようには感じられません。実際に浮気をしていると思われるモリーへの当てつけでしょうか? それとも、ブルームに一歩前に踏み出す勇気がないだけなのでしょうか?

l   ブルームがマーサからの手紙を回想するシーンがあります(U-△Ⅰ,p.393)。要はマーサがブルームのことを、妻モリーがブルームを呼ぶような呼び方(that other word)と同じ呼び方で呼びたくないので「おいたさん(naughty darling)」と呼んだ(書いた)つもりが「word」を「world」とミスタイプしたため、話がおかしくなったということでしょうか? その場合「Please tell me what is the meaning.」が鼎訳では「ほんとうの意味を教えてほしいわ。」、柳瀬訳では「あの言葉の本当の意味を教えて下さい。」(U-,p.276)となっていますが「ほんとうの」というのは訳し過ぎで、単に「あれってどういう意味なの?」ぐらいが適当なような気がします。つまり、モリーがブルームを「ポールディ」と呼ぶことを知ったとしてそれを指していると考えました。それを知る可能性が低いのが、この解釈の難点ですが。マーサがブルームの名前、呼び方を話題にしているのは、元の手紙の続きに「よくあなたの美しい名前のことを考えます。」(U-△Ⅰ,p.193)とあることからも明らかです。この場合の美しい名前は「フラワー」の方でしょうね。さて、この下りの中に、この「word」→「world」のミスタイプを意図的に利用した「この世界を誰がつくったのか教えて。」(Tell me who made the world.)という一文です。その(つぎ)(しも)に「女というやつはまったくいろんなことを聞きたがる。」とあるので、流れ的にはマーサが書いたのかと思わせますが、少なくとも、元の手紙には、その表現はありませんし、『ユリシーズ』全体を検索しても同じ表現は出てきません。したがって、この「Tell me who made the world.」はマーサ(あるいは他の女性)の手紙などの引用ではなくて、ブルームの独白の挿入ではないでしょうか? つまり、ここは「この世界をだれがつくったのか教えて。」ではなく、「こんな世界にしちまったのは一体誰なんだ? ――あ、俺か?」というような意味ではないでしょうか? したがって、「世界」について、鼎訳の訳註にあるような「来世」(U-△Ⅰ,p.592)とか、柳瀬訳の「他界行儀」(U-,p.276)というのは、考え過ぎ、訳し過ぎのような気がしますが、いかがでしょうか?

l  「あれから何週間か、彼女はさぞ耳がほてったろう。」(U-△Ⅰ,p.397)「あの女、あの日からひと月は耳ががんがんしたろうよ。」(U-,p.277)(Her ears ought to have tingled for a few weeks after.)とありますが、ここの「Her」はその直前に出てくる「古いショールや黒の下着を売った女」「ミセス・ミリアム・ダンドレイ」ではなく、一義的には「今朝グローヴナー・ホテルの前にいたあの女」のことだと思いますが、「がんがん」はあり得ないとしても、何故、彼女は耳を「ほて」らせたのでしょうか? 元の第5挿話の下りでは「おれが眺めているのに気がついたな。目がいつもほかの男を探している。」(U-△Ⅰ,p.184)とありますが、よもや、ブルームに見られただけで数週間も耳をほてらせるなど考えにくいところです。

l   「One tony relative in every family.」の一文中の「tony」は、例えば研究社の『新英和中辞典(電子版)』だと「《米口語》 ハイカラな,しゃれた.」という語義が記されています。鼎訳の単行本では「どの一族にも一人は馬鹿がいる。」(U-△Ⅰ単行本,p.390)となっていますが、文庫では「どの一族にも一人は有名人の親戚がいる。」(U-△Ⅰ文庫,p.396)となっており、更に柳瀬訳では「どこの家にも羽振りのいい親戚がいるね。」(U-,p.277)となっています。本来の「しゃれた」という意味では柳瀬訳の「羽振りのいい」というのがより近い気もしますが、文脈的にはパートナーや他の子供たちの「迷惑」?も考えずに「毎年きちんと女房を孕ませ」ることや、「帽子もかぶらずに行進」するというようなことに掛かっていくので、鼎訳単行本の「馬鹿」というのが、一番意を汲んだ訳語ではないかとも思えてきます。というのは、今回の件とは無関係なのかも知れませんが、『ユリシーズ』には矢鱈と「馬鹿(fool)」という言葉が出てきます。「fool」を検索すると41回出現します。この「馬鹿」の使用文脈については、また別途検討すべきテーマかと思いますが、印象論で言うと、いわゆる知的な意味での「馬鹿」というよりも、周囲の迷惑を顧みず、個人の内面にズカズカと立ち入ってくるやからを「馬鹿(者)」と言っているようですが、いかがでしょうか?

l  「産婆のミセス・ソーントン」は「トム・ウォールの息子に手をつぶされた。」(U-△Ⅰ,p.398Got her hand crushed by old Tom Walls son.)とありますが、この時点でのトム・ウォールは赤子だったと思いますが、「手をつぶされ」(crush)ることなどあるでしょうか? ただ単に、足で踏まれたというのを過剰に表現しているだけでしょうか?

 

………………………………🖊 text……………………………………

原文 Best moment to attack one in pudding time. A punch in his dinner.

鼎訳 プディングどきの襲撃にはいちばんいい時刻だよ。食事中のパンチ。(U-△Ⅰ,p.398

柳瀬訳 人を襲うんなら一番の時刻だね、デザートタイムは。そいつのディナーにパンチ一発。(U-,p.279)        

📖

………………………………………………………………………………

 ここは直前の段落の鳩の群れによる糞攻撃の話を受けているのだと思いますが、警察の一隊の行進の下りに、この一節が挿入されていることから、あたかも警察が、油断して食事をしている一般の人の「襲撃」の機会を窺っているようにも読めます。その意味では、警察への敵意のようなものがここにはあり、更には、それは『ユリシーズ』のあちこちに散りばめられている気がします。例えば「警察の留置記録には事件がぎっしり詰まっているけど、あれは点稼ぎに犯罪をでっちあげるから。」(U-,p.447)など、他にも、かなりあると思いますが、これはブルームの、というよりも、ジョイス本人に警察などの武力的な政治権力に対しての強い嫌悪感があるように思いますが、いかがでしょうか?

 調査中。

 

………………………………🖊 text……………………………………

原文 Feel as if I had been eaten and spewed.

鼎訳 自分が誰かに食べられて、吐き出されたような気分だ。(U-△Ⅰ,p.404        

📖

………………………………………………………………………………

 ブルームは一体誰に(何者に)よって食べられ、吐き出されたような気になったのでしょうか? この下りの直前に「一日のうちでいちばん気分の悪い時間だ。活力。だるい、憂鬱。大きらいな時間。」(△Ⅰ,p.404)とありますが、何故、「いちばん気分の悪い時間」なのでしょうか。それは、「だる」く、「憂鬱」だから、ということにはなりますが、実は、人を食うための「襲撃にはいちばんいい時刻」(U-△Ⅰ,p.398)だからではないでしょうか? 「食事中のパンチ」というのは、人間を襲って食う何者かにとっての「食事中のパンチ」ではないでしょうか? 

では、一体、誰が人を食うのかと言えば、直接的には挿話名として名指されている、「人食い族」であるところの「ライストリュゴネス族」ということになりますが、比喩的には「飢え」、「欲望」が人間を食べると考えられますが、いかがでしょうか? 

ここからは蛇足ではありますが、ここで思うことは、「人喰い族」という表徴が、恐らく人類の起原とともに古く、人類の歴史と共に、我々は、何者かに「取って喰われる」という恐怖を抱えていたのだと考えられます。実際に、他の動物に襲われて食われた、ということもあるでしょうが、異人種同士で喰いあったり、あるいは、飢餓のためなどで、食わざるを得ないという状況があったと思う。

〈中絶〉以下メモ

人喰い

巨人

性と死

ハイデガー 向死

マルロー 抗死 藝術 永遠

 

 本作、(ママ)わけ本挿話には、矢鱈と鳥が頻出します。これは何か意味があるのでしょうか?

 

………………………………🖊 text……………………………………

原文 —Up the Boers!

Three cheers for De Wet!

Well hang Joe Chamberlain on a sourapple tree.

鼎訳 ――ボーア人がんばれ!/――デ・ヴェットばんざい!/――ジョー・チェインバレンを青い林檎の木に吊るそう!(U-△Ⅰ,p.404        

📖

………………………………………………………………………………

 ここに限らず、本作にはアイルランドの近代史、少なくとも、ジョイスが『ユリシーズ』を刊行した前後の歴史、社会情勢の知識は或る程度は必要かと思われますが、それらについての、何かお勧めの書籍はございますか?

 

………………………………🖊 text……………………………………

原文 —His name is Cashel Boyle OConnor Fitzmaurice Tisdall Farrell, Mr Bloom said smiling.

鼎訳 ――彼の名前はキャシェル・ボイル・オコナー・フィッツモリス・ティズダル・ファレル、とミスタ・ブルームは笑いながら言った。(U-△Ⅰ,p.392        

📖

………………………………………………………………………………

 キャシェル・ボイル・オコナー・フィッツモリス・ティズダル・ファレルはそもそもなぜあんなに名前が長いのですか? 実在の人物だったとのことですが、何故、人々は省略した呼称を与えなかったのでしょうか?

 

………………………………🖊 text……………………………………

原文  Sinn Fein

鼎訳 シン・フェイン(U-△Ⅰ,p.402        

📖

………………………………………………………………………………

 「シン・フェイン」とは何ですか?

 シン・フェイン党(シン・フェインとう、アイルランド語: Sinn Féin)は、1905年にアーサー・グリフィスらによって結成されたアイルランドナショナリズム政党。/「シン・フェイン」とは「我ら自身」(英語: We Ourselves)という意味である。共和主義シン・フェイン党 (Republican Sinn Féin) とは区別される。歴史的にIRA暫定派と関係が深い。「ナショナリスト」と呼ばれるが、これはアイルランド民族主義を意味し、現在はイギリス領の北アイルランドを含めた統一アイルランド国家の建設を主張している。北アイルランドでは、「ユニオニスト」(連合王国派)、「ロイヤリスト」(王党派)と呼ばれるイギリス支配支持派と、長年にわたり抗争を繰り広げている。/アイルランド下院(ドイル・エアラン)、北アイルランド議会において議席を獲得しているほか、イギリス下院(庶民院)の総選挙にも候補者を立て、毎回一定の当選者を出しているものの、議会登院に義務付けられているイギリス国家元首(エリザベス2世女王)への宣誓を拒否しているため、登院を行っておらず、議員歳費も受け取っていない[原註 Gerry Adams: 'What kind of Irish leader would swear loyalty to the English Queen?'. TheJournal.ie. (2017617) 2019118日閲覧。]。/参考文献

西部邁「シンフェーンの覚悟」 『生と死、その非凡なる平凡』新潮社、2015年、101-105*[1]

 

………………………………🖊 text……………………………………

原文  His smile faded as he walked, a heavy cloud hiding the sun slowly, shadowing Trinitys surly front.

鼎訳 彼の微笑は歩いているうちに消えて行った。重苦しい雲がすこしずつ太陽を覆い、トリニティ・コレッジの不愛想な正面が日蔭になった。(U-△Ⅰ,p.403        

📖

………………………………………………………………………………

 雲の動き、あるいは太陽の光にブルームは敏感のようですが、なにか意味があるのですか?

 ブルームがマーサに宛てた手紙の自身の偽名は「ヘンリー・フラワー」でした。あるいは、そもそも本名も「ブルーム」つまり、彼は「花」を名前に持つのです。したがって、町を歩くときでもできるだけ日向を歩き、日陰に入ると途端に元気がなくなるようです*[2]

 

 ブルームはパーネルの兄を見かけて、「誰かのことを考えていてその人間に出会」うという意味での「偶然の一致」だと考えていますが、確かに、その前に、その弟パーネルのことは考えていますが、兄をことを考えていた訳ではありません。それでも、ブルームにとっては「偶然の一致」だったのでしょうか。

 

 「世界の終り」に何か意味がありますか?

 

 「ホームスパンの服」とは何ですか?

 もともと手紡の、繊度の不ぞろいになった太い紡毛糸を使い、粗く平織に手織機で製織し、縮絨(しゅくじゅう)せずに仕上げた紡毛織物であった。そのため素朴な味があり、多くの人々に愛用されてきた。現在ではこの風合いに似せて、繊度を不ぞろいにし、雅味をもたせて紡いだ太番手の機械紡績糸を使い、力織機で織ったものである。この織物の風合いは、ツイードとよく似ているため、混同されることが多い。というのも、ツイードの場合は斜文(しゃもん)織であるのに対し、ホームスパンは平織であるということが違っているにすぎない。用途は、婦人コート、背広、運動服、室内装飾品などである。[角山幸洋]出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)

 

 「ランプステーキ」とは何ですか?

 ランプステーキ(英語: Rump steak)はビーフステーキの一種。牛肉のランプと呼ばれる下腰部の肉を使用する。脂肪分が少なく柔らかくて美味である。

イギリス式の牛肉の部位の呼び名

(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

 彼の瞼が虹彩の下の端までさがった。見えない。あるんだと想像すれば、見えたも同然。見えない。ここでは「視覚を奪われた世界」への想像があります。第3挿話でも、スティーヴンは目を瞑ったまま歩きますし、本挿話では、この後段に「めしいの青年」へのブルームの好意的な振る舞いが描かれます。どんな意味があるのでしょうか? 

 

 小指の先で太陽を隠す、いわば擬似日食をブルームは行いますが、彼の天文への興味、実験精神、あるいはこどものようないたずら心などを表しているようにも思いますが、本来世界を統べる存在である太陽の光を、人為的に、意のままに隠す、という行いに、何らかの意味が込められている気もしますが、いかがでしょうか?

 

………………………………🖊 text……………………………………

原文  The moon. Must be a new moon out, she said. I believe there is./(…)/Wait. The full moon was the night we were Sunday fortnight exactly there is a new moon. Walking down by the Tolka. Not bad for a Fairview moon. She was humming. The young May moon shes beaming, love. He other side of her. Elbow, arm. He. Glowworms la-amp is gleaming, love. Touch. Fingers. Asking. Answer. Yes.Stop. Stop. If it was it was. Must.Mr Bloom, quickbreathing, slowlier walking passed Adam court.With a keep quiet relief his eyes took note this is the street here middle of the day of Bob Dorans bottle shoulders.

鼎訳 月。きっといま新月なのね、と彼女が言ってた。たしかにそうらしい。/(中略)/待てよ。満月はあの二週間前の日曜日の夜だからちょうどいまが新月だ。トルカ川のほとりを歩きながら。フェアヴューの月としては悪くなかった。彼女は口ずさんでた。若い五月の月がほほえむ、恋人よ。あの男が彼女の向う側により添って。肘、腕。あの男が。蛍のラァァンプが光っているよ、恋人よ。触れあう。指。求めて。答えて。ええ。/よせ、よせ。できたことはできたこと。やむをえん。/ミスタ・ブルームは息がはずみ、足どりがにぶって、アダム小路を通り過ぎた。/やっとのことで何とか気持を静めて目に止めた。ここは町のなかで真昼間なのにあれはボブ・ドーランの徳利肩だ。(409-410

📖

………………………………………………………………………………

 ここで二か所出てくる「彼女」は一体誰でしょうか? 仮にモリーだとします。ここは時系列が分かりづらいところですが、「月。きっといま新月なのね、と彼女が言ってた。」と「トルカ川のほとりを歩きながら。フェアヴューの月としては悪くなかった。彼女は口ずさんでた。若い五月の月がほほえむ、恋人よ。」の箇所は、前者は「新月」の時で、後者が「満月」の時と日付の差はあるけれども、かつて、ブルームとモリーが恋人として付き合っていた時のことを想い起こしているのだと仮定します。「あの男」は無論、ボイランで、「あの男が彼女の向う側により添って。肘、腕。あの男が。蛍のラァァンプが光っているよ、恋人よ。触れあう。指。求めて。答えて。ええ。」という下りは、ボイランの求めにモリーが応じる様をブルームが想像、妄想しているところではないでしょうか? それにしても、ここの箇所は何か隠されているようで、なんともすっきり割り切れないところですが、何かあるのでしょうか?

 

………………………………🖊 text……………………………………

原文  Showing long red pantaloons under his skirts.

鼎訳単行本 彼がスカートの下に長い赤ズボンをちらつかせて。(405

鼎訳文庫本 彼がスカートの下から赤いパンタロンをちらつかせて。(411

柳瀬訳 スカートなんかはいて長い真っ赤なパンタロンがはみ出してた。(286

📖

………………………………………………………………………………

 これは単に酔っぱらってふざけているだけなのでしょうか? 「赤」に何か意味がありますか? 我々の感覚では、普通「赤い」ズボンを履くのはよほどの洒落者ですが。そもそも、パンタロンpantaloons)とズボン(trousers)の違いがさほどあるのでしょうか? 

仮説 パンタロンの語源は「16世紀のコメディー・イタリアンの道化(どうけ)役者パンタローネが、(すそ)の開いたズボンをはいていたところから、これにパンタロンの名称があてられた」*[3]ところにあるようです。

この場合の「彼」が直前に出ているパット・キンセラだとすれば、恐らく、劇場の出し物の一つとして、ボンネット(小さな帽子)*[4]を被り、コメディー的な要素の強い赤いパンタロンを履き、「学生あがりの三人のかわいいお嬢さん」という歌を歌うのに合わせて、そのパンタロンの上にスカートを履いたと考えられます。したがって、鼎訳者たちが、ここは「ズボン」ではなくて「パンタロン」と訳し直したのは賢明であったと言うべきでしょう。

 

………………………………🖊 text……………………………………

原文  I was happier then. Or was that I? Or am I now I?

鼎訳 あのころ、おれはもっと幸福だった。それともあれはおれだったのか? 今のおれがおれなのか?(411

📖

………………………………………………………………………………

 「あのころ」の方が今よりも「もっと幸福」だ、と思いながらも、ブルームは、「今のおれがおれ」であって、かつての「おれ」は、少なくとも今の「おれ」ではないのだから、「時」を「呼び戻」(411Cant bring back time.)すことはできず、仕方がないことなのだ、と断念してます。同じような表現は幾つも見られ、例えば「昔に帰っても仕方がない。*[5] なるようにしかならなかったんだ。」(p.407Useless to go back. Had to be.)ともブルームは思っています。

息子ルーディを亡くして以来、モリーともしっくりいかず[6]、そんなこともあり、気になって仕方がないにも関わらず、ボイランとの情事も暗に認めてしまっているのもそんな背景があるのでしょうか? それにしても、ブルームにとって、そんなにルーディの死が後を引くものなのでしょうか? むしろ、モリーの方こそ、立ち直れずにいるというのであれば分かる気もしますが。

仮説 キャスリーン・フェリス『ジェイムズ・ジョイスと病の桎梏(しっこく)(仮訳)』(Kathleen Ferris, James Joyce and the Burden of Disease,University Press of Kentucky ,June 18, 2010.*[7]によれば、「彼(ジョイス〈引用者註〉)の症状の多くが、治療されていない神経梅毒の一種であるタブス背骨の症状と一致することを示し、(中略)特にスティーヴン・ディーダラスとレオポルド・ブルームが、歩行のこわばり、消化器系の問題、幻覚、視力障害など、作者と同じ症状を示してい」るとしています*[8]。その観点に立つと、ブルームも梅毒症に罹患していて、あるいはその恐れを抱いていて、そのために、息子のルーディーが死んだのではないか、と無意識にでも考えているとすれば、――つまり、ジョイスが実際に梅毒症に罹っていたかどうかは問題ではなく、彼がそう思い込んでいて、そのことが登場人物にも、比較的、直截に反映しているとすれば、ブルームの幾つかの奇妙な言動にも説明が付きます。

 例えば、妻モリーとの性交渉を断って久しいにも関わらず、その反面、モリーに対する、日常的な生活上に現れる数々の気配りがされているのは、決してモリーへの愛情が覚めたからではなく、自らの病のため、致し方がないことだと考えられます。また、したがって、モリーがボイランとの情事の危険性があるにも関わらず、そして、ボイランに対しても強い拒否感があるにも関わらず、それを阻止しないのは、ブルーム自身の強い罪責感のなせる業だとも考えられます。ただ、問題は、では、ブルームは性病の薬剤の広告を見て、揶揄するぐらいなら、何故、自らの病を治癒しようとしないのでしょうか? あるいは、既に治癒しているのだが、病に罹っている期間にモリーとの性交渉が絶えて、性慾を持て余しつつ、そのままになってしまったということでしょうか? ここはいささか検討の余地があると思います。

 

 「ポプリン」とは何ですか?

 「ポプリン/ぽぷりん/poplin/一般に約40番手ぐらいの単糸を使い、やや(よこ)(うね)のある平織に織った織物。これと同様な生地(きじ)にブロードがあるが、60番手以上の双糸を使っていることが多く、ポプリンより高級品である。販売上からは、ポプリンよりブロードとするのがよいため内容と品質が一致しない表示もある。16世紀にフランスのアビニョンで緯畝の絹織物がつくられ、アビニョンが当時ポープつまり教皇の所管地であったため、ポプリンと名づけられたという。生地は綿が多いが、毛、絹、化合繊ともつくられ、多くはシャツ、ブラウス地などに使われている。([角山幸洋]/小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

 

 He bared slightly his left forearm. Scrape: nearly gone.「彼は左手を少しまくりあげた。傷あと、ほとんど消えた。」(U-△Ⅰ,p.)の傷は、無論比喩的な意味での精神的な傷も意味するのでしょうが、実際には一体何の傷なのでしょうか? それについての言及はあったのでしょうか?

 

………………………………🖊 text……………………………………

原文  A pallid*[9] suetfaced*[10] young man polished his tumbler  knife fork and spoon with his napkin.

鼎訳単行本 青白い牛脂みたいな顔の青年が、自分の大コップとナイフとフォークとスプーンをナプキンで拭いた。409

鼎訳文庫本 青白い脂ぎった顔の青年が、自分の大コップとナイフとフォークとスプーンをナプキンで拭いた。414

柳瀬訳 青白い牛脂顔の若者がタンブラーナイフフォークスプーンをナプキンでご丁寧に磨く。289

📖

………………………………………………………………………………

 鼎訳では分かりませんが、原文を見ると「tumbler knife fork and spoon」となっており、少なくとも「tumbler knife fork」の三つの名詞はカンマなしで羅列されています。これは何か意味がありますか?

 

 「新しい細菌の群。」「細菌を拭きとる。」これは何か意味がありますか?

 

 「ディグナムの瓶詰肉。」どんな意味がありますか?

 

………………………………🖊 text……………………………………

原文  Mr Bloom cut his sandwich into slender*[11] strips*[12]. Mr MacTrigger. Easier than the dreamy creamy stuff. His five hundred wives. Had the time of their lives.

鼎訳単行本 ミスタ・ブルームはサンドイッチを細く切った。《ミスタ・マクトリガー》。あの夢みたいなクリームみたいなやつより扱いやすい。《五百人いる妻たちに、楽しい思いをさせたとさ》。416

鼎訳文庫本 ミスタ・ブルームはサンドイッチを細く切った。《ミスタ・マクトリガー》。あの夢みたいなクリームみたいなやつより扱いやすい。《妻たちは五百人。みんなを楽しませてやった》。422

柳瀬訳 ブルーム氏はサンドイッチをすいすい切り分けた。マックトリガー氏の、夢みたいなクリームたっぷりの一物よりはやさしいね。女房なんと五百人。みんなぞっこんいい思い294・下線部訳文太字

📖

………………………………………………………………………………

 彼はサンドイッチをなぜ「細く切っ」ているのでしょうか? この当時、サンドイッチは切らずに供されていたのですか? 

 

 —Seven d., sir... Thank you, sir.の「Seven d.」の「d」は何ですか?

 ペンス/〈通貨単位〉 pence 《略: p./用法         pence は金額としての penny の複数形. 1971 年の貨幣制度の改正以来, それまでの略字 d. は廃されて, p がそれに代わった(新英和).

 

 

【解決済みの問】

 まだ幼女と思われるミリーを風呂に入れる際に、「Funny she looked soaped all over. Shapely too.」とあります。柳瀬訳では「体じゅう石鹸のあぶくになって滑稽だった。もう体つきがしゃんとして。」(U-,p.269)となっていますが、鼎訳では「体じゅう石鹸を塗った彼女の姿ったらなかった。しかもいい体つきで。」(U-△Ⅰ,p.)となっています。原文は確かに「she」なので、直訳では、当然「彼女」となりますが、自分の娘の、取り分け、まだ赤ん坊に近い幼女を「彼女」というでしょうか? せいぜい「あいつ」とか、「あの子」ぐらいではないでしょうか? なぜ、ここにこだわるかというと、次に「いい体つき」とされているからです。流石に、自分の幼い娘を「いい体つき」と見る父親はいないでしょう。柳瀬訳のように、まだ赤ん坊ではあるが、体がしっかりしてきたという意味で採るべきでしょう。ここは読者を混乱させる、あるいは誤読させるとういう意味で誤訳というべきではないでしょうか? 逆に、監訳者の立場にあったであろう、かの丸谷才一にして、このような「見過ごし」(?)が起きるとは、いささか腑に落ちかねるところです。それほど『ユリシーズ』は難敵だったのか、あるいは、自らの小説を書くことと、他人の作品の翻訳をするというのは、矢張り別のことなのでしょうか? そんなことを言えば、村上春樹の翻訳も相当おかしな日本語になっていることも多く(村上氏を批判している訳ではありません)、翻訳の難しさを痛感させられます。

 文庫では修正済み。

 

 「Maginni the dancing master」は柳瀬訳では「ダンス教師」(U-,p.265)となっていますが、鼎訳では「ダンス等教授」(U-△Ⅰ,p.378)となっています。単に「ダンス教授」で良さそうなものをなぜ「等」が付いているのでしょうか? 実際、広告に「ダンス等教授」と書かれていたと推測されますが、ここで、それを反映させるのは誤訳ではないでしょうか?

 文庫では修正済み。

 

〈中絶〉

16825字(43枚)

🐥

20220710 2037

 

参考文献

フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』. (202259 () 03:25更新). シン・フェイン党. 参照先: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』.

⼾⽥ 勉. (2022年6月3日). 「レオポルド・ブルームの胃の痛み」. 22 Ulysses 9 .

 

 



*[1] [フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』, 2022年5月9日 (月) 03:25更新]

*[2] [⼾⽥ , 2022年6月3日]

*[3] パンタロン/ぱんたろん/pantalon フランス語/ズボンのこと。語源は16世紀のコメディー・イタリアンの道化(どうけ)役者パンタローネが、裾(すそ)の開いたズボンをはいていたところから、これにパンタロンの名称があてられた。ベネチアの水夫たちがこの種のズボンを着用していたが、市民服にズボンが登場するのは18世紀のフランス革命時である。キュロット(半ズボン)をはいた貴族に対して、サンキュロット(キュロットをはかないの意)とよばれた愛国党員は、縞(しま)パンタロンをはいたが、以後男子服にパンタロンが定着していった。([辻ますみ]/小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

*[4] 「ボンネット (英語: bonnet)、ボネ (フランス語: bonnet) は、ヨーロッパの伝統的な帽子である。いくつかの種類の帽子がボンネットと呼ばれる。」(「ボンネット (帽子)」/フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

*[5] 文庫版では「戻っても仕方がない。」(p.413)となっているが、一旦、意図の取り易い単行本を取った。

*[6] 「西ロンバード通りを離れたころからなんだかしっくり行かなくなった。ルーディが死んでからはどうしても前のようには行かない。」(p.411

*[7] 横内一雄・関西学院大学教授の教示による(「22Ulyssesジェイムズ・ジョイスユリシーズ』への招待」第9回・2022年6月3日・on line

*[9] (病気などで)青ざめた、青白い。

*[10] suetface」はジョイスの造語。suetface。「suet/súːɪts(j)úː‐/名詞 不可算名詞/スエット 《牛[]の腎臓(じんぞう)の周りの脂肪; 料理に用いる》. (研究社 新英和中辞典(電子版))

*[11] slender/sléndɚ‐də/形容詞/(slendererslenderest; more slendermost slender)1aほっそりした,すらっとした.a slender girl ほっそりした少女.b(長さ・高さに比べて幅・周囲の)細い,細長い.a slender twig 細長い枝.(新英和)

[12] (布・板などの)細長いきれ,一片 〔of.a strip of paper ひときれの紙.(新英和)