鳥  批評と創造の試み

主として現代日本の文学と思想について呟きます。

謎々『ユリシーズ』その7

Αολος

 

謎々『ユリシーズ』その7

ユリシーズ』 エピソード7「アイオロス」を読む

 

Αολος, Aeolus

 

 

 

 

l  この挿話はいわゆる新聞の見出しのようなタイトル付の断章からなっています。しかしながら、見出しこそ新聞のようですが、中身は新聞の文体ではありません。これは一見すると不徹底のようですが、ジョイスに限って、そんなことはないはずで、これは何か意味があるのではと思うのですが、いかがでしょうか?

l  第3項「新聞社のお歴々」(U-p.290)の「お歴々」からする日本語の語感は「上層部」、「幹部」、新聞社だから「役員(待遇)」などを想起するが、実際にはレッド・マリーやデイヴィ・スティーヴンズしか登場しない。そこから、この挿話全体が「大袈裟な」表現や「誇大な」表現がモチーフになっているのではと思うと、第1項ではアイルランドラテン語名「ヒベルニア」で呼び、第2項では郵便車を「王冠をいだく者」と呼ぶ。場所が新聞社だけに「大袈裟」、「誇大」というのがポイントになっている気がしますが、いかがでしょうか? ただ、「お歴々」は原文では「GENTLEMEN」なので、勘違いかも知れませんが。ちなみに第15項でもネッド・ランバートの詩の朗唱(?)に対するマクヒュー教授の「そんなたわごとはききたいなくないぞ」という突っ込みを受けてブルームを思わせる話者が「大げさなたわごと。ほら吹き袋。」と独白していますが(U-p.307)。

l  第3項「新聞社のお歴々」でレッド・マリーが「埋め草がいるなら(中略)われわれがなんとかするぜ。」というのに対して、ブルームが「われわれ、か。」と独白します(U-p.291)。①そもそも、広告の「埋め草」とは何を意味するのでしょうか? ②ブルームがマリーの「われわれ」という言葉に引っかかっているのはなぜでしょうか? A. 「俺の仕事に口出ししやがって」ということなのか、B. 「俺は「われわれ」に入っていないのか?」ということなのか。ブルームの微妙な立場、新聞社にはいるが記者ではなく、単なる「広告取り」でしかないこと、「ユダヤ人」かと、何となく思われていて、あるいは、そもそもブルームの人柄からか、社内で微妙に孤立していることを意味しているのでしょうか?

l  第4項「サンディマウント、オークランズ/ウィリアム・ブレイデン殿」(U-p.292)は郵便物の宛名だと思いますが、何故、そうなっているのでしょうか?

l  第4項、「文字帯つきの制帽」(U-p.292)の「文字帯」とは何ですか?

l  第5項「司教杖とペン」のナネッティの註で「印刷所監督で政治家」(U-p.555)とありますが、現代の感覚ではあり得ないことですが、①新聞の「検閲」のために政治家が来ているのか、②もともと新聞社の社員が、偶々政治家となり、兼業をしているのか、それとも別の理由があるのでしょうか?

l  10項「正字法にかかわる」(U-p.301)、カニンガムが「出し忘れた」「いつもの綴り字パズル」とは一体何のことでしょうか? そんなパズルをいつも、わざわざ紙に書いて渡していたのでしょうか?

l  10項、「やつ(メントン)」がシルクハットをかぶったときに「いまもまるで新品同様ですな。」と言ってやったときの「やつの顔が見ものさ。」とブルームは独白しています(U-p.301)が、どういう意味でしょうか? 揶揄われたのも気が付かずに喜ぶ顔が見ものだというのでしょうか?

l  12項「植字工代表」(U-p.303)の原文は「A DAYFATHER」ですが、わたしが調べた限り「dayfather」という単語は辞書には載っていません。新聞・出版業界の専門用語なのか、アイルランドのローカル用法なのでしょうか?

l  15項「銀の海の緑の宝石エリン」で、「亡霊が歩いているぜ」とマクヒュー教授が「つぶや」きますが(U-p.306)、註では「演劇界やジャーナリズムの俗語で「給与配布中」を意味する。経理担当の支配人のラットレッジが給料を配ってまわっているのを見て(エルマン)。ブルームが亡霊のように歩いているのを見て言うともとれる(G)。」(560)とありますが、マクヒューは「汚れた窓ガラスのほうにそっとつぶやいた」(U-p.306)(professor MacHugh murmured softly, biscuitfully to the dusty windowpane)とされているので、窓ガラス越しに外を見て、「亡霊が歩いている」とつぶやいたと考えられます。もちろん、窓ガラスに映った内部の様子を見て、ということもあり得ないわけではありませんが、「汚れた」(dusty)とわざわざ書かれているし、昼間であることを考えると可能性は低いと思われます。一体、マクヒューは何を見て(あるいは何も見ずに?)、「亡霊が歩いている」としたのでしょうか?

l  なぜ、ディーダラス父は新聞社に来ていた(U-p.306)のでしょうか?

l  この挿話に限らず、『ユリシーズ』にはジョイスの知り合いを含めて、実在の人物が頻繁に登場しますが、これは問題にはならなかったのでしょうか?

l  25項「通りの行列」(U-p.321)の「行列」とは直接的には、その直後に出てくる「ミスタブルームのあとを跳びはねながらついて行く新聞売り少年たちの列」のことだと思いますが、少なくともこの項の中、あるいはレネハンとオモロイが見ている範囲では「通り」(STREET)には出てません。一般に新聞売り少年たちはSTREETにいることが多いので、そう表現したのでしょうか?  しかし、そもそも、この項の原題は「A STREET CORTÈGE」で、そのうち「CORTÈGE」は『研究社 新英和中辞典 電子版』によれば「1葬列. 2随員,供ぞろい.」とあり、『プログレッシブ 仏和辞典 第2版』によれば、「 お供の一団,随行団.cortège entourant un haut personnage|要人を取り囲む随行員. (儀式・デモなどの)行列;列.cortège funèbre|葬列. 文章 付随するもの,付き物.」とありますので、「行列」という訳語が間違いという訳ではありませんが、いささか(しるし)のついた言葉ではないでしょうか。そう考えると、よく考えればブルームは葬式の帰りで喪服を着ていました。その彼に少年たちがぞろぞろついて行く様子を「葬列」としたのでしょうか? ここには何か含みがあるような気がしますが、いかがでしょうか?

l  32項「レネハンの戯作詩」で、「(マクヒュー)教授がファイルのそばを通って戻って来ると、スティーヴンとミスタ・ オマッデン・バークのゆるんだネクタイを片手でさっと撫でた。/――パリ、過去と現在、とは彼は言った。きみらはコミューンの一味みたいだなあ。」(U-p.332)とありますが、①仮に年下に対してでもネクタイを撫でる(sweep)、触るというのは失礼な行為ではないかと思いますが、いかがでしょうか? よもや「ゆるんだネクタイ」(loose ties)を注意するというのはマクヒューのキャラクター的にあり得ない気もします。あるいは別の、――例えば性的な意味などがありますか? ②パリ・コミューンへの言及が気になります。マクヒュー自身には特に意味はなくても(単に揶揄っているだけなので)、ジョイス、あるいはスティーヴンにとっては重要な意味があったのではないでしょうか? パリ・コミューンとは言わなくても、パリにおける何らかの人間の絆、集まり、同志、のようなものとしてですが。あるいはこれまた場所は違えど、例の「血みどろの歴史」(U-p.338)の連想が働いている(を誘発させている)のでしょうか?

l  33項「寄せ集め」の末尾「レネハンが大きく咳ばらいした。/――おほん! と彼はとてもやさしい声で言った。ねえ、空気な新鮮が吸いたい! 公園で風邪を引いてしまって。門があいていたから。」(U-p.333) についての訳註に「ここのせりふはマダム・ブルームの声色を使った皮肉で性的な当てこすりかも知れない。」とあります。そう解すのであれば、「おほん!」に当たる「Ahem!」は「あはん!」とか「うふん!」が妥当だとは思いますが、そうだとしてもモリーの声色(物真似?)の中で、レネハン独特の語順すり替え「空気な新鮮」が使われるのはおかしい気もします。ここはそれまでの文脈を一切無視した、レネハンの独り言のようなものでしょうか?

l  42項「洗練された文章」でオモロイの話を聞いて、「スティーヴンは赤くなった。言葉と身振りの優雅な気品に、血が説き伏せられたのだ。」(U-p.346)とありますが、個人的な感想ですが、オモロイの話《凍りついた音楽……》云々というのがさほどのものとも思えないのですが、スティーヴンはなぜ顔を赤くしたのでしょうか? 感動したのでしょうか? それとも思わず感動してしまい、それを恥じたのでしょうか?

 

〈中断〉

 

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