鳥  批評と創造の試み

主として現代日本の文学と思想について呟きます。

追悼・見田宗介=真木悠介先生   苦の倫理学 そのⅠ・Ⅲ

追悼・見田宗介真木悠介先生

 

2022年4月1日、社会学者、思想家の見田宗介真木悠介先生がお亡くなりました。享年84歳とのことです。

ここに謹んで哀悼の意を表し、先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。 

前稿の続きとなります。旧稿で恐縮ですが、見田=真木先生関連のものを2本、再掲載させて頂きます。例のごとく、レポートの域を出ないものですが、わたし自身の能力の限界なので、致し方ありません。

 

Ⅰ 

 

苦の倫理学  そのⅠ  自らのこころを食べる 

 

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 ひとは苦しいときや辛いとき、どうするのだろうか? わたしは苦しみを恒常化することで心を麻痺させるという技を編み出して15年ぐらいやってきた*。 

 

*幼少時から若年に至るまでは必ずしもそうではなかった。よく学校をサボったり、バイトをぶっち切ったり、果ては、或る巨大組織から逃亡した。生まれてから30代までは逃走の歴史と言っても過言ではない。 

  

 つまり、どういうことかというと会社に行きたくない。とりわけ長期休暇の後がまずい。自殺したくなるほど辛いのだ。だから、それを避けるためにはできるだけ会社に行き続けるのだ。できるだけ休まない*。土日出勤は当たり前。長期休暇もときどき出勤して間が開かないようにする。一時期は半年ぐらい休みがないのもざらだった。 

 

*無論、休日に休まない、という意味だ。 

 

 しかし、年齢の進行とともに、この技の根本的な問題点が浮上してきた。それは身体的、あるいは精神的疲弊を伴うということだ。当たり前か。 

 さらに言えば、ひとは苦しみと向き合い続けることで本当に強くなれるのか、とも思う。もう帰天された、『置かれた場所で咲きなさい』で有名な渡辺和子シスターは「学歴や職歴よりもたいせつなのは、「苦歴」。」と仰っているらしい*。すいません、それ、本当ですか? 

 

 *渡辺和子『どんな時でも人は笑顔になれる』2017年・PHP研究所、の新聞広告(『朝日新聞』2017年3月22日・朝刊)より。 

 

 ひとは恒常的な苦しみのなかで、やがては何かが壊れるのではないか? 少なくともわたしは壊れ始めている。危ない。一連の「悪の倫理学」はその軋む音だ。 

 

 ひとはなぜ愉しさとともに生を享受できないのだろうか?  わたしには謎である。 

 

 たまたま、今日の夕刊に見田宗介さんの著名な永山則夫論「まなざしの地獄」*を振り返るインタヴュウが掲載されていた**。 

 

見田宗介「まなざしの地獄――尽きなく生きることの社会学」/原題「まなざしの地獄――都市社会学への試論」・『展望』1973年5月号・筑摩書房/2008年・河出書房新社/『定本 見田宗介著作集Ⅵ』2011年・岩波書店。 

 

**見田宗介・聞き手 塩倉裕「差別社会 若者を絶望させた――見田宗介さん「まなざしの地獄」」/『朝日新聞』2017年3月22日・夕刊・「時代のしるし」欄。以下、「見田・2017」と略記。 

 

 以前、『著作集』*が刊行されたときに、たまたま目を通したが、正直、さほどのものとも思えなかった。こちらの理解度が追い付いていなかったのであろう。 

 

*前掲。 

 

 

 

 

 

 今回、眼を開かれたのは論文中で紹介されている永山の「精神の鯨」という断片である。 

 鯨の背中に乗って大海を漂流している「ぼく」は餓えて、鯨に食べていいか、と尋くと「仕方無いよ」と鯨は答える。少しずつ、少しずつ鯨を食べ続け、3分のⅠまで食べてしまい、酷いことをしたと鯨に謝るのだが、鯨はもう死んでいた。そのとき「ぼく」は、その鯨は自分自身の精神だと気づくという話だ。 

 見田は、昨年自殺した大手広告代理店の女性社員の事例を挙げつつ、これを敷衍する形で次のように述べている。 

 

 現代の情報産業、知的産業、営業部門などで働く若い人たちが、やむをえない必要に追われる中で「仕方無いよ」とつぶやきながら、自分の初心や夢や志をちょっとずつちょっとずつすり減らし、食いつぶしている。そしていつか、自分が何のために生きているのか分からなくなってしまっている。(見田・2017) 

 

 そして、最終的に自殺までいかぬまでも、精神的に、擬似的な「自殺体」となり、ゾンビーのように仮死的な生を送ることになる。 

 

 われわれは、自らの精神、こころを喰い殺す、この地獄、それは「まなざしの地獄」というよりも、この文脈では、自分で自分を吊し上げる、際限のない、自己拷問の地獄、というべきか、ここから如何にして脱出することができるのか。 

 

 【付記】 

 本稿はたまたま成った。本来は日記『遍歴』の一部であった。 

 表題も「苦の倫理学」でよいのか判断に迷う。倫理学、というよりも苦しみについての臨床哲学的雑記、というべきだろう。「苦しみ本線 日本海」とかでもいいかも知れぬ。したがってタイトルは変わるやも知れぬし、仮に「Ⅰ」としたが、そもそも続かないかも知れない。酷い話だ。

 (初出webサイト『鳥――批評と創造の試み』2017年3月23日更新・鳥の事務所)

 

 

Ⅲ  

 

苦の倫理学 そのⅢ そのⅠの補遺  見田宗介=真木悠介さんについて  

 

 

見田宗介=真木悠介先生の一日も早い恢復をお祈りしております。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前々回(そのⅠ)の補遺である。 

 前々回紹介した新聞記事の肖像写真を見て、見田先生*もお歳を召されたなという印象を持ったが、同時に、その写真のキャプション(説明)には「静岡県河津町」と記されてあった。引っ越しをされたのかなと軽く思っていた。 

 

*もちろん、わたしは直接見田さんの指導を受けたわけではない。 

 

 ところがたまたまネットで検索してみると、ご病気で療養されているようなのだ。「緑内障」とのことだ*。少し驚きながらも、なるほどそうだったのか、という納得する思いも持った。 

 

*以下、真木悠介 樹の塾のホウムペイジより。 

 

【樹の塾の休塾について】(2017.2.1) 

1. 近年進行した視神経の磨滅(緑内障)が最終段階(失明)に近づいたので、樹の塾をしばらく休塾とします。 

 

iPS細胞による視神経の再生技術は、近年急速に可能性を開きつつあるようですが、専門家の話では「あと5年はかかる」ということなので、例によってよい方に解釈をして、「5年+α」が、休塾期間の見通しです。(眼以外の部分はすべて健康です) 

 

(中略) 

 

5. それでは、「5年+α」の間、よい人生と、よいお仕事を!! 

 

わたしの方は、海鳴りの音と陽射しの感触と森のにおいにつつまれて、思考を深め断片を蓄積しながら、再会の時を待ちます。 

 

 

 先年『定本・著作集』*を完結されたあとも対談**や、雑誌特集***などが出て、あるいは今回のように新聞などのインタビュウもこなされてもいた。 

 

*『定本 見田宗介著作集』全10巻・2011年ー2012年・岩波書店。『定本 真木悠介著作集』全4巻・2012年ー2013年・岩波書店。 

 

**見田宗介大澤真幸『二千年紀の社会と思想』2012年・太田出版。 

 

***『現代思想 2015年1月号 臨時増刊号=見田宗介真木悠介』2015年・青土社。 

 

  

 今回、ほぼ同時期に愛弟子の一人大澤真幸との対談がメインの雑誌*も刊行されていて、さらに次号も見田=真木の特集を組むという**。これは一体何だろう、と思っていたら、そういうわけだったのだ。 

 

*『〈わたし〉と〈みんな〉の社会学――THINKING O』2017年3月・左右社。 

 

**大澤真幸オフィシャルホームページより(2017年3月31日確認)。 

 

 

 さて、要するにわたしがいいたいことは、見田宗介=真木悠介先生の一日も早い恢復をお祈りすることに尽きる。 

 

 そのためにも、単に祈る、ということだけではなく、見田=真木の思想をきちんと受け止め直し、それをわれわれの仕事へと展開、散開することが大切なのだろう。 

(初出webサイト『鳥――批評と創造の試み』2017年4月1日更新・鳥の事務所)

 

 

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