鳥  批評と創造の試み

主として現代日本の文学と思想について呟きます。

偶然性の倫理学・覚書    そのⅡ 「偶然の家族」について (1)

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はじめに――本章についての簡単な註記

 

「偶然の家族」とは、かつてドストエフスキーが『未成年』 [ドストエフスキー, 『未成年』, 1876年]、あるいは『作家の日記』 [ドストエフスキー, 『作家の日記』, 1873年-1876年]において論じたことで知られる。

後年、日本の思想家である東浩紀が「家族の哲学(序論)」において言及した。東は家族の概念についてひとつめに「強制性」を挙げた上で( [東, 2017年]p.215)、更にこう述べている。

 

ふたつめに注目したいのは、家族の偶然性である。ドストエフスキーは、家庭の崩壊を描写するために「偶然の家族」という言葉を使ったことがある〔★8〕。家族が家族として集まっている必然性のない家族という意味だが、しかしほんとうは、すべての家族が偶然の家族である。( [東, 2017年]p.216)

 

 

ドストエフスキーの「偶然の家族」という概念については以下の註記がされている(〔★8〕)。それも合わせて引用しておく。

 

★8 この言葉は『未成年』の最後の場面(手紙) に登場する*[1]。『ドストエフスキー全集』第一巻、工藤精一郎訳、新潮社、一九七九年、三五九頁。また同時期の『作家の日記』にも言及がある。「私が〔『未成年』で〕取り上げたのは無垢な魂であるが、この魂は、 恐ろしい堕落の可能性と、自分の無能力と「偶然性」に対する早熟な憎悪と、物にこだわらない態度によって汚染されている。〔……〕これらすべては、社会の流産した胎児であり「偶然の」家庭の「偶然の」 一員なのである」。『ドストエフスキー全集』第一七巻、川端香男里訳、新潮社、 一九七九年、 一九六-一九七頁。ルビを削除。( [東, 2017年]p.216)

 

 

従って、両者に概念規定は異なると言ってよい。これらドストエフスキー、並びに東の所論については後段で述べることになるはずであるが、わたしの文脈では東の所論に一旦乗っかる形になるだろう。

 

ところで、わたし個人の事情があり、はじめの数項は、「偶然」というテーマからずれてしまった。後日調整をすると思うが、一旦公開しておく。

 

1 「我が子」を喪うということ

家族や親しい人に先立たれる、取り分け、それが自分よりも年少である場合、その多くは自身の子供であったり、教師であれば教え子であったりするが、そのような場合ひとはどのような対応をすればよいのであろうか。これが逆であれば、ひとは順番に旅立っていくものだと、一応の納得はできるかもしれない。しかし、先に述べた状況に対して、何をどうしてよいのか、どういう反応が正しいのか、さっぱり答えがつかめない。

今思い浮かぶのは、ドストエフスキーのことである。彼は2人目の妻アンナとの間に4人の子供を儲けたが、そのうち長女ソフィアをたったの二ヶ月足らずで亡くし、次男アレクセイを2歳半ばで亡くしている。ソフィアもアレクセイもロシアではよく耳にする、言ってみれば、ごくありふれた名前である。しかしながら、ソフィアの愛称は「ソーニャ」で、アレクセイのそれは「アリョーシャ」だから、ドストエフスキー本人にそういう意識があったかどうかは分らぬが、いずれも彼の作品の中に生きているとも言える。言うまでもなく、ソーニャは『罪と罰 [ドストエフスキー フ. ミ., 1867]の「ヒロイン」であり、アリョーシャは『カラマーゾフの兄弟 [ドストエフスキー フ. ミ., 『カラマーゾフの兄弟』, 1979-1980]の主人公である。

あるいは、我が国に眼を転じてみれば、かの夏目漱石も五女・雛子を1歳で亡くしている。漱石はそのことを『彼岸過迄 [夏目, 1912年]の4章目に当たる「雨の降る日」に描いている。

近年であれば、筒井康隆は、長男伸輔を51歳で亡くしている。筒井は短篇「川のほとり」で、主人公の「おれ」が夢の中で、亡くなった息子・伸輔と再会する話を書いている( [筒井, 2021年])ハイデッガーにならって死後の世界を否定する「おれ」は三途(さんず)の川を思わせる岸辺に息子を見つけると、「これはおれの見ている夢なのであろう」。そう自覚しながらも、その姿が消えてしまわないよう、懸命に話しかけようとする。しかし、主人公が漏らす「(伸輔はもう)どこにもおらん」というひと言には、死後の再会の可能性をも否定せざるを得ない悲しみがこめられているように読める。

国際政治学者の姜(かん)尚中(さんじゅん)や、文芸評論家の加藤典洋も息子を何らかの理由によって亡くしていると聞いている。

そう考えてみると同じような状況に立ち至っている方々は枚挙に暇がないとも言える。しかしながら、その困惑は如何ばかりであろうか。

それらと比べると、わたしの場合は物の数にも及ばない。

同居していた兎が昨日亡くなった。

なんだ、兎か、と言わないで欲しい。3歳と10ヶ月だった。人間で言うと癌のような病気なので、致し方がないとも言える。そもそも兎の寿命は平均で7歳から8歳と言われているので、何をどう転んでも人間より早くお迎えが来てしまう。そういうことは分かってはいたものの、せめて、平均寿命ぐらいは普通に生きてくれるだろうと、思い込んでいた。病気にかかってしまったが、うちの子に限って、治らないことなんてないはずだ、と勝手に思い込んでいた。浅はかだった。

たかが兎ではないですか、単なるペットじゃないですか、とおっしゃるかも知れないが、まーそうだろうけれども、わたし個人としては娘一人に先立たれたのと同じような心境である。

しかし、決定的な(でもないかも知れないが)違いがある。実際の娘は血の繋がりがあるので、何らかの必然性(のようなもの)があるかも知れないが、兎の場合は単なる偶然としか言いようがない。もちろん、実際の娘ですら、本来的には偶然としか言いようがない気もするが、兎の場合は決定的に偶然である。それはパートナーと同じとも言えるが、その場合は出会うのは偶然だとしても、好きになるのは偶然とは一応言えず、少なくとも自分の内心の中では必然性、こうでなきゃ駄目だ的な要素があるはずだが、わたしが亡くした兎の場合は全くそんなことはない。

今のパートナー、相方と呼んでいるが、その相方と付き合うようになる前に、その相方がペット・ショップで8,000円ぐらいで買って来たそうだ。相方は多分、そこで何らかの必然性を感じて、その子を選んだのであろうが、わたしの場合、相方の家に来たら、もうそこにいた。選択の余地がない。大体、最初の出会いからして、全く覚えていないし、最初の頃は全くコミュニケイションが取れずにいたし、取ろうとすら思わなかった。

相方と同居するようになっても、毎日その兎と接するようになり、食事を出したり、トイレのお世話をしたりしていても、果たしてどこまでお互いに分かりあっていたか心もとないが、少なくとも最後の半年間はその兎のことを我が身とも思い接してきた。兎の方では嫌がっていたかもしれない。何しろ、自分が病気であることも分からず、何故、こんな痛い目や辛いことを仕向けるのか理解できなかったろう。

それも、もう、今となっては致し方がないことだ。

正直どうしていいのか分からない。偶々(たまたま)わたしは日常的に文章を読んだり、あるいは書いたりすることを習慣としている。これまた偶々、「偶然(性)」について書き始めたこともあり、それにからめて、取り留めのないことを書き連ねてみたい。

では、早速はじめてみよう。

 

2 映画「ドライブ・マイ・カー」について

 今、世界中の映画賞を総なめする勢いの、村上春樹原作 [村上, 「ドライブ・マイ・カー」, 2014年]による、濱口竜介監督*[2]『ドライブ・マイ・カー』*[3]を昨年秋*[4]、20年振りかという映画館での上映で観賞した。

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個人的な感想を言うと、いい意味で村上春樹原作は看板だけで、濱口監督が完全に軒を借りて母屋を乗っ取った体ではなかったかと思う。恐らく意図的にだと思うが相当無骨というか、ゴツゴツした手触りのある、言ってみれば、壁が未完成のため鉄骨があちこちに露出して、開かない扉があったり、登れない階段があるかと思えば、急に奈落に突き落とされるような建設中のビルディングの工事現場に入ったような気もした。これは決して悪い意味で言っているのではない。

それにしても、ちょっと、評価され過ぎのような気もするが、このことによって、濱口監督は、今後もっと自由に映画製作ができると同時に、何らかの足枷を嵌められてしまうこともまた危惧する。まー老爺心という奴ですね。

 また、この流れで言うと、本来は濱口監督の前作に当たる『偶然と想像』*[5]についても触れねばならぬが、それは未見のため、今度観てからお話ししたい。

 さて、実は、ここでは映画『ドライブ・マイ・カー』そのものについて、映画の全体について論じたい訳ではない(すいません)。

 主人公・家(か)福(ふく)*[6]は子供を亡くしている。そのためなのかどうかは不明だが、妻は複数の男性と性関係を持っている。偶々その行為の最中を目撃したものの、そのまま何も言わないまま、或る日突然妻は死んでしまう。ここまでが前段で、その2年後、家福が国際演劇祭にてチェーホフの「ワーニャ伯父さん」*[7] [チェーホフ, 1897年]の演出をして上演する過程が本編ということになる。

 ポイントと思われるのは2点。

 1点目は家福が、演劇祭に主役で出演する予定の俳優が逮捕され、演劇祭そのものが中止される恐れが出てきたとき、思い悩んだ彼は、それ以前に偶々紹介されて雇っていた専属ドライヴァー・みさきの、北海道にある故郷の町に一晩かけて二人して「ドライブ」する。そこで、唐突に家福は気付く。自分が「正しい形で傷ついていなかった」、ということを。今手元に脚本がないので不正確ではあるが*[8]、そういうことだったと思う。ここは、或る意味では理解し易い。何しろ、これを口にして言ってしまったのだから*[9]。家福が、妻の浮気シーンを目撃して、ショックを受けつつも、それを黙殺したように、娘の死にあっても、彼は恐らく「黙殺」したのであろう。黙殺という言い方に語弊があるなら、「流す」でもいい。並べられたカードには適当なものがない。「じゃあ、流す」。その「流す」だ。日常生活の中に、あたかも何もなかったかのように「流してしまう」。しかし、それをしないと普通の人は普通には生きていけない。

しかしながら、文脈的には、妻は、そのことによって、自らをも「黙殺」された、あるいは「流された」と、どこかで感じていたのだろう。妻の複数の男性との性関係も、あるいはそういう形でなくてもよかったのかもしれないが*[10]、何かエキセントリックな行動によって、この二重の喪失(拒絶? 遮断?)を癒す、あるいはそこから逃れる必要があったのであろう。

 原作では、妻は癌によって緩慢な死を遂げるが、映画では、あるいは自殺をも窺わせるかのような形で突然死する。家福はそれすらも正しく傷つくことができなかったのであろう。しかし、そのような場合、人はどのようにして正しく傷つくことができるのだろうか。これが2点目のポイントになる。

 繰り返しになるが、人は或る種の禍(わざわ)いが我が身に降りかかったとき、それを正しい形で傷つくように受け止めなければならない。それを黙殺したり、流したりするのは、日常への回復は早いかもしれぬが、あとで、予想だにしないしっぺ返し、復讐を受けることになる。これが1点目。

 2点目は、では、それは、つまり、正しく傷つくにはどうすればよいのか。どのような方法で、人は禍いからの傷を正しく受け止められるのだろうか。

 例えば、村上春樹の『ノルウェイの森 [村上, 『ノルウェイの森』上・下, 1897年]で、直子が自殺した後、主人公は当所(あてど)なく旅に出る。近作『騎士団長殺し』 [村上, 『騎士団長殺し』全2巻, 2017年]においても、妻に出て行かれた主人公は、矢張り、一旦当所のない旅に出かける。旅、というと気楽な感じがするが、言ってみれば、どこで死んでも、もういい、というような気持ちの旅だったのではないか。

映画「ドライブ・マイ・カー」では、その気づき、その発見がクライマックスになっていると先に述べたが、そこまでに家福は2年かかっている。いや、気付くのに2年かかっただけで、受け止めの過程はここからも続くのかもしれない。

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ここで登場するのが、アントン・チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」である。舞台俳優である家福にとっては、或る意味お手の物の作品ではないかと思うが、あたかも、武道家が日々素振りなどの鍛錬を欠かさぬように、生前の妻に相手役の台詞を吹き込ませたカセット・テイプを移動中の車中で流して、ワーニャ伯父さんの台詞を言う。もう完全に暗記しているのだ。しかし、彼はそれを止めない。気持ちを込めずに、棒読みで台詞を言う。この「気持ちを込めずに、棒読みで台詞を言う」というのは、彼が演出をする国際演劇祭の練習においても、何度も俳優たちに注意し、彼らを鼻白ませる。恐らく、濱口の演出方法も同じなのだろうと思わせる。

 これは全くの素人考えであるが、「気持ちを込めずに、棒読みで台詞を言う」ことによって、作られた気持ち、演じられらた気持ちではなく、自然な気持ちが、自然に沸き起こる、つまり、何らかの偶然の作用を待つ、ということなのだろうか。

 彼らは、何度も、何度も同じ台詞を練習させられる。そのうち気持ちの緩みも出てくるが、それでも練習する。すると、或るタイミングで、登場人物の気持ちが自然と、自分の台詞に乗っているのではないか。これは登場人物たちの傷を、あるいは、それを通して、自分自身の傷をも正しく受け止めることにならないだろうか。

 本作の上映時間は179分で、いささか長すぎるのではないかと思ったが、恐らくこの長さが必要だったのだろう。

 ラスト20分は、本来、ワーニャ伯父さんを演ずるはずだった、高槻(たかつき)が傷害致死で逮捕されたことによって、急遽、ワーニャ伯父さんを演ずることになった家福と、韓国手話にて演じられるソーニャとの絡みである。ここの重さはどうしても観客にもその重さを、重さとして受け止めてもらえるような、或る意味「訓練」、「修練」の時間が必要だったのだと思わされる。

 「ワーニャ伯父さん」末尾の3ペイジ分を、浦雅春の訳で引く。

 

ワーニャ  (ソーニャの髪を手で撫でながら彼女に) ソーニャ、なんてつらいんだろう! このぼくのつらさがお前に分かればなあー!

ソーニャ  仕方ないわ、生きていかなくちゃならないんだもの!

間。

ワーニャ伯父さん、生きていきましよう。長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。安らぎはないかもしれないけれど、ほかの人のために、今も、年を取ってからも働きましよう。そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう。そしてあの世で申し上げるの、あたしたちは苦しみましたって、涙を流しましたって、つらかったって。 すると神様はあたしたちのことを憐れんでくださるわ、そして、ワーニャ伯父さん、伯父さんとあたしは、明るい、すばらしい、夢のような生活を目にするのよ。あたしたちはうれしくなって、うっとりと微笑みを浮かべて、この今の不幸を振り返るの。そうしてようやく、あたしたち、ほっと息がつけるんだわ。伯父さん、 あたし信じているの、強く、心の底から信じているの……。(ワーニャの前に跪いて、彼の両手の上に頭を置く。疲れきった声で)そうしたらあたしたち、息がつけるの!

(中略)

あたしたち、息がつけるんだわ! あたしたちは天使の声を耳にし、 一面にダイヤモンドをちりばめた空を目にするの。地上の悪という悪、あたしたちのこうした苦しみが慈悲の海に浸されて、その慈悲が全世界をおおい、あたしたちの生活がまるで愛撫のように穏やかな、やさしい、甘いものとなるのを目にするの。あたし信じているわ、そう、信じてるの……。(ハンカチでワーニャの涙を拭ってやる) かわいそうな、 かわいそうなワーニャ伯父さん、泣いていらっしゃるのね……。 (涙声になって)伯父さんは人生の喜びを味わうことはなかったのよね。でも、もう少しの辛抱、 ワーニャ伯父さん、もう少しの辛抱よ……あたしたち、 息がつけるんだわ……。(ワーニャを抱く)あたしたち、 息がつけるようになるわ!

(中略)

あたしたち、息がつけるようになるんだわ!

 

( [チェーホフ, 1897年]光文社古典新訳文庫・p.p.127-129)

 

 

 

 チェーホフがここで何を言おうとしているかは、また別に論じなければならない*[11]。しかし、或る種の苦しみ、我が子を喪うことも含めて、この世に生を受けたことによる必然的な、いやそうではなくて偶然的な悲しみと苦しみを充分に味わったものには、このソーニャの台詞は痛いほど理会できるであろう。映画では、ソーニャは韓国手話によって演ぜられたが故に、基本、観客は字幕によって、そこで何が起きているのかを理解するのだが、ソーニャを演じたイ・ユナ役を演じたパク・ユリムの迫真の演技で、観客たちはそこに吸い寄せられていく。ラスト20分が、一瞬の出来事だったようにも感じた。

 さらに、述べておかねばならぬのが、家福が、理会しえたかもと思わされるのが、自ら選び取った妻ではなくて、その妻と性関係にあった高槻である。原作では、何故、妻がその男と関係をもったのか家福には最終的に理解はできない。家福と高槻の関係はまさに偶然というしかない。しかし、二人は、少なくとも家福の方は理会できたような印象を残す。

 更に、同じことは家福と、専属ドライヴァーであるところのみさきについても言える。二人は、無論拒否することはできただろうが、お互いに選びとった訳ではない。偶然である。映画ではそういう設定は表面上出ていなかったかも知れないが、みさきは、家福の亡くした娘と同じ年齢であり、家福は、みさきの疾走した父親と同じ年齢であるとされている。無論、そんなことは単なる偶然である。しかし、彼らは偶然の連鎖によって、お互いに理会し合い、そしてお互いに赦し合うことができたのだ。

 目の前のそこに転がっている石には何の意味も、必然性も、運命も存在しない。程度の差はあれ、この世の現象は偶然である。しかし、偶然である、転がっている石にも、人間は何らかの意味を感/観じるのである。

何故か? 

それが生きる、ということだからではないのだろうか? 生きること、この世に生を受けて、お互いに接し合い、傷つけ合い、愛し合うこと、それらすべてが、偶然のなせるわざだからなのではないか?

(この項続く)

 

 

8831字(23枚)

 

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【参考文献】

オースターポール. (1990). 『偶然の音楽』. (柴田元幸, 訳) 1998年・新潮文庫.

チェーホフパーヴロヴィチアントン. (1897年). ワーニャ伯父さん. 著: 『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』 (浦雅春, 訳). 2009年: 光文社古典新訳文庫.

ドストエフスキー ミハイロヴィチ ヒョードル. (1873年-1876年). 『作家の日記』.

ドストエフスキー ミハイロヴィチ ヒョードル. (1876年). 『未成年』.

ドストエフスキー ミハイロヴィチ ヒョードル. (1879-1880). 「エピローグ 3 イリューシャの葬儀。石のそばの挨拶」. 著: 『カラマーゾフの兄弟』5 エピローグ別巻 (亀山郁夫, 訳). 2007年・光文社古典新訳文庫.

ドストエフスキー ミハイロヴィチ フョードル. (1867). 『罪と罰』. (江川卓, 訳)

ドストエフスキーミ ハイロヴィチ フョードル. (1979-1980). 『カラマーゾフの兄弟』. (原卓也, 訳)

夏目漱石. (1912年). 『彼岸過迄』.

村上春樹. (1897年). 『ノルウェイの森』上・下. 講談社.

村上春樹. (1994年-1995年). 『ねじまき鳥クロニクル』全3巻. 新潮社.

村上春樹. (1996年). 「トニー滝谷」. 著: 『レキシントンの幽霊』. 文藝春秋.

村上春樹. (2005). 「偶然の旅人」. 著: 村上春樹, 『東京奇譚集』. 新潮社.

村上春樹. (2014年). 「ドライブ・マイ・カー」. 著: 『女のいない男たち』. 新潮社.

村上春樹. (2017年). 『騎士団長殺し』全2巻. 新潮社.

東浩紀. (2017年). 「家族の哲学(序論)」. 著: 『ゲンロン0――観光客の哲学』. 株式会社ゲンロン.

筒井康隆. (2021年). 『ジャックポット』. 新潮社.

 

 

【註】

*[1] 【引用者註】工藤の訳では「偶然の家庭」となっている。

*[2] 濱口監督の肖像写真を最初に見たとき、これはプロレスラーの永田裕志選手かと思ったのはわたしだけか? ツイッターにて呼びかけた(「お前、永田だろ!?」)が、誰もリアクションしてくれなかった( ノД`)。

*[3] 監督   濱口竜介、脚本    濱口竜介・大江崇允、原作 村上春樹『ドライブ・マイ・カー』(短編小説集『女のいない男たち』所収 / 文春文庫刊)、製作 山本晃久、出演者 西島秀俊三浦透子霧島れいか岡田将生、音楽 石橋英子、撮影 四宮秀俊、制作会社 C&Iエンタテインメント、製作会社 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会、配給 ビターズ・エンド、公開 2021年8月20日(日本)、上映時間 179分、製作国 日本、言語日本語・英語・韓国語・北京語・ドイツ語・韓国手話(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)。

*[4] どうでもいいが、今確認するまでずっと5月頃見た気がしていた。体感で言うと、もっと過去のような気がするのだが。

*[5] 2021年。3つの短編から成るオムニバス映画。第71回ベルリン国際映画祭に出品され、銀熊賞 (審査員グランプリ)を受賞した(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)。

*[6] この命名はとても皮肉だ。家福の家庭が幸福だったとはとても言えないだろう。そもそもカフクで想起されるのは「禍福」である。「禍福は糾(あざな)える縄の如し」という慣用句で知られる。幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだということのたとえ。あるいは「カフカ」の連想が働くかも知れない。

*[7] 村上の原作では「ヴァーニャ伯父」となっているが、これは湯浅芳子訳による旧岩波文庫版(1963年)によるものだと思われる。現行の岩波文庫は『ワーニャおじさん』(小野理子訳・2001年)。

*[8] これまた、どうでもいいが、今はどうか知らないが、文芸作品の上演で知られるシネスイッチ銀座のパンフレットには脚本が掲載されていた。映画の内容の振り返りをするときに、これは便利であった。有名人のコメントもありがたいが、ぜひ脚本を載せて欲しいものだ。

*[9] 映画的にはこの北海道の真っ白な雪の中で家福が述懐するシーンが見せ場なのだと思うが、このセリフは不要である。映画的に言ってはいけないところだ。ここは大きく減点要素である。

*[10] 一生着ることもできないくらいの服を買い集めるとか(村上春樹トニー滝谷」 [村上, 「トニー滝谷」, 1996年])。あるいは突然家を出ていくとか(村上春樹ねじまき鳥クロニクル』 [村上, 『ねじまき鳥クロニクル』全3巻, 1994年-1995年]、『騎士団長殺し』)。

*[11] 村上春樹が翻訳することで広く日本でも知られることとなったレイモンド・カーヴァ―の絶筆は、死の床にあるチェーホフを描いた「使い走り(errand)」であった(『レイモンド・カーヴァ―全集 6 象/滝への新しい径』1994年・中央公論社)。それについて触れるべきなのだが、今手元にないので、後日また。